満開に咲き誇りながら
風に散りゆく、
桜の花のように、
夏の午後、眼前に揺れる
追っても追っても届かない、
はるかかなたの蜃気楼のように、
その身を目に鮮やかな
燃えるような真紅に染めながら
秋風に舞いゆく
紅葉の葉のように、
そっと手に取ったと思ったら
既に溶けてしまっていた
真っ白い雪の結晶のように、
儚さ、潔さ、美しさ・・・。
多くの日本人は、
そういう価値観を
愛するのかもしれません。
源義経、真田幸村、土方歳三・・・
そしてこの人に対しても・・・。
「非は理に勝つこと能はず、
理は法に勝つこと能はず、
法は権に勝つこと能はず、
権は天に勝つこと能はず、
天は宏大にして私無し」
(楠木正成)
(人はどうあがいても
天命に逆らうことはできない。
だから人は
天道に従って行動すべきである)
今回は、
からの続きです。
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数万の大軍をもってして
赤坂城に攻め込みながら、
正成の常識破りのゲリラ戦術に
煮え湯を飲まされ、
攻めあぐねた幕府軍は兵を引き
持久戦に持ち込みます。
正成軍は20日持ちこたえたものの、
ついに食料が尽き
正成は城に火を放ちます。
当時の常識に従い、
正成は炎の中で自刃したと考え、
「敵ながらあっぱれな最期」
と言いあう幕府側の武将たちを尻目に、
正成は火災の混乱に乗じて
抜け道から脱出し行方をくらまします。
「絶対に勝つ!!」
その信念のためには、
常識にとらわれず、
取れる戦法は全て使い、
今日は負けたとしても、
その屈辱は胸にしまって
何が何でも生き延びて、
明日の勝利を目指す。
それが正成の知恵・智略だったのでしょう。
正成はその後も、
千早城における籠城戦で
得意のゲリラ作戦で奮戦するなどし、
幕府軍を蹴散らします。
正成らの活躍に触発されて、
各地で討幕運動が起こり、
足利尊氏や、新田義貞らも挙兵。
1333年ついに鎌倉幕府は倒れ、
時代は次の扉を開け、
後醍醐天皇による建武の新政の
時代へと進むのでした。
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「大将たらん人は、
心に油断の義ありては
叶うべからず。
あまたの心得あるべし。
まず能者を親しみ近づけ、
姦(あ)しき者を遠ざくべし。
国家の風俗おのずから
よくなるものなり。
それにしたがって自然に
対象の知恵もいや増しに
出るものなり」
1333年、
鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇による
「建武の新政」
は朝廷の力を高めることを目指した
性急なものでした。
これに不満を感じた武士達を味方につけて、
足利尊氏は武家政治の復活を旗印として、
政権打倒に向けて挙兵します。
そのような時勢の下でも、正成は、
己の筋を曲げず天皇側につき、
一度は尊氏の軍勢を撃退しますが、
時代の流れ、
天が決めた運命の流れは、
既に方向が決まってしまっていました。
先の時代の
源義経のように、
後の時代の
真田幸村や、土方歳三のように、
正成もまた、時代という
音を上げて怒涛のように
流れゆく激流に逆らう
石つぶのように、
抵抗し転がりながらも
次第にその流れに
押し流されていきます。
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正成は、
後醍醐天皇に尊氏と和睦するよう
進言したものの容認されず、
次善の策として進言した、
京都から朝廷を一時退避して、
足利軍を京都で迎え撃つという
常識破り、奇想天外、一発逆転の
必勝の策も却下されてしまいます。
もはや勝利の目は無しという、
絶望的な状況の下、
京都を出て戦うよう出陣を命じられた正成は、
最後の決戦の地、
湊川に向かうのでした。
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「世の中は変わる。
それをじっと山の中から見ておれ。
おのずと、
己の生き方が見えてくるはずじゃ。
志もでき、分別もつけば立派な大人じゃ。
大人になれば、
その時そなたの命をいかようにでも使えばよい。
それから先はそなたの一生じゃ」
(NHK大河ドラマ「太平記」より / 楠木正成)
既に死を覚悟した正成は、
湊川に向かう途中、
桜井の駅で、
「自分も一緒に戦って死ぬ」
「最期まで父上と共に」
と懇願する数え齢11歳の
(今でいう満10歳ほどですね)
息子・正行に対し、
たった一つの命を大切にして、
志をもって生きていけ。
そう諭して、
故郷に帰るよう命じます。
息子を思う、
強く、温かく、そして切ない
父親の気持ちが伝わる、
これが、世に言う
「桜井の別れ」
です。
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「誠に賢才武略の勇士とは
この様な者を申すべきと、
敵も味方も惜しまぬ人ぞ
なかりける」
(梅松論)
湊川の戦いで壮絶な最期を遂げた正成。
もともと南朝寄りの古典
『太平記』では、
正成の事跡は、
強調して書かれていますが、
北朝側の足利尊氏側の記録である
『梅松論』でも、
敵将・正成の死に対し、
上のように書かれています。
これは尊氏自身も、
正成に一目置いていたためと
されています。
常識にとらわれない
天才的な智略にあふれ、
滅びゆく定めと知りつつも、
たとえその命、尽きるとも、
後醍醐天皇方、南朝方として、
自分の筋を曲げず、
最後まで戦い抜いた
正成の生き様は、
戦に勝った足利尊氏と
その配下の武士たちからも尊敬され、
さらには、
戦国時代の武将たち、
幕末の志士たちからも、
武士の鏡として敬慕されたといいます。
自分の信念と美学のもとに、
持てる全ての知恵と才能を駆使し、
完全燃焼した生涯。
そこに、
儚さ、潔さ、美しさ、
そして
共感と憧れ
を感じるのは、
時代を超えて全ての日本人に共通の感情
・・・なのかもしれませんね。