想像してみて下さい。

 

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あなたは

どこにでもある住宅地の中、

車を走らせています。

 

よく知っている、

見通しのいい道です。

 

天気も良く、

鼻唄をうたいながら運転していたら、

 

 

突然、

 

対向車がウィンカーも出さず、

あなたの車の直前を横切って

右折しようとしました。

 

 

脊椎から脳に直結するような

凍りつくような刺激と、

 

耳をつんざくような急ブレーキの音、

 

続いて襲ってきた、

 

慣性の法則に従って、

前方に向かってあなたを

放り出そうとする力と、

 

それを妨げるシートベルトが

あなたの体に食い込む感覚。

 

 

・・・あわや大事故でした。

 

すんでのところで正面衝突を逃れた

あなたは、

 

当然、車から降りて

対向車のドライバーに文句を

つけるでしょう。

 

「なぜウィンカーを出さずに

突然曲がったのか?」

 

 

そのドライバーが、

こう答えたらどうしますか?

 

 

「私は悪くない!突然でもない!

私は毎日この時間に

ここを右に曲がるんだ!!」

 

 

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いつの世も人は、

 

一般的な社会常識や、

自分のやり方・習慣・価値観に従って

生きることを望み、

 

それにより

安心を得ようとするのかもしれません。

 

 

でもその常識や、習慣は

常に正しいもの、

あなたを安心や成功に

導いてくれるものでしょうか?

 

 

状況というのは、常に変化します。

 

自分の中にある

常識や習慣にこだわりすぎると、

進歩も発展も無いだけでなく、

 

突発的な事態において

自分や周囲を危険にさらしたり、

 

自分の目の前にある危機的状況から

逃れる術も思いつかなくなる。

 

 

それもまた事実かもしれませんね。

 

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「合戦の勝負

必ずしも大勢小勢に依らず

ただ士卒の志を

一つにするとせざるとなり」

(楠木正成)

 

 

楠木正成は、

1294年頃生まれとされる、

鎌倉時代末期から南北朝時代

にかけての武将です。

(正確な出自は謎とされています)

 

1331年、

鎌倉幕府に対する討幕計画が発覚した

後醍醐天皇は笠置山に挙兵。

 

これに呼応した正成は、

河内の国、

赤坂城(下赤坂城)で挙兵します。

 

【皇居外苑の楠正成像】

 

 

眼前には、

視野を埋め尽くす敵の大軍。


鎧兜に身を包んだ、

関東武者の大軍の

怒号と歓声が渦巻き、


肌に突き刺さるような殺気がほとばしる、


その数およそ20万。

かたや、


城とは名ばかりの

粗末な要塞に立てこもる味方は、


ろくに防具も身につけていないものも多い、
野武士の集団。


その数、およそ・・・

 

500!!
 

 

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古典「太平記」には

鎌倉幕府方の兵力は20万

と記載されていますが、
 

実際には

それは誇張であったとしても、

 

数万の大軍であったことは

確かなようです。


 

粗末な山城に立てこもる

みすぼらしい敵を見て、

 

勝利を確信した

敵方の幕府軍の武将に、


「恩賞にあずかるために、

せめて1日でも持ちこたえてくれよ」

 

と願われる始末の中、

 

幕府軍の総攻撃が始まりました。

 

・・・

 

 

この状況、

 

あなたならどうしますか?

 

 

勝てない理由なら

山ほど見つかります。


 

自暴自棄になり突撃する。

降伏して命乞いする。

 

・・・という選択をしたとしても、

誰もあなたを責めないでしょうし、

 

 

もしかしたら、

それが常識的な選択かもしれません。

 

 

でもこの絶望的な状況の中にあっても、

 

正成の眼に
あきらめの色は

一切ありませんでした・・・。

 

それどころか、その瞬間

 

「にやり」

 

と笑ったんだと思います。

 

 

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21世紀に入っての

18年目も終わりが見え始め、

 

日本では

平成の世も終わろうかという時代です。

 

 

あなたが

「正しい」

と思いこんでいることは、

 

既に正しいものでは

なくなっているかもしれませんし、

 

あなたが

「常識」

と信じていることは

あなたを成功に導くとは限りません。

 

 

既存の発想にとらわれない、

自分が置かれた状況に応じた

臨機応変の柔軟な発想と、

 

 

その発想を

「やる」

と決断してやりぬくこと。

 

 

知恵と判断力と行動力

の大切さ。

 

 

それは

皆さんも十分ご承知だと思います。

 

 

そして、

 

今からおよそ700年前を生きた

この男も、

 

それを十分知っていました。

 

 

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「大将は大なる知恵も

細なる知恵も

なくてはかなわぬものなり。

 

知恵は生まれつきにあり

というも、

その知恵を磨かざれば

正智(正しい知識)いずることなし。

 

知恵に自慢おごりて、

磨かざる大将は

みな代々持ち来る国を失い、

家をなくすものなり」


 

幕府兵が、

まるで

黒アリが樹液にたかるかのように、

 

山城の赤坂城の斜面を

一斉に昇り始めると、

 

突然、

 

地響きをあげて、その頭上に、

岩や大木が転がってきました。

 

 

当時の鎌倉武士による合戦は、

 

名誉を重んじて、

名乗りを上げた上で

1対1で戦うことが常識でしたが、

 

正成の作戦、

それは、当時の常識にとらわれない、

 

まさに

「常識外れ」

の奇襲作戦でした。

 

 

その後も、正成は、

藁人形であざむく、

城壁を登る敵兵の頭上から

熱湯をかける、

糞尿をかける・・・等、

 

圧倒的な戦力差を埋めるため、

智略の限りを尽くした、

ゲリラ戦をしかけて幕府軍を翻弄。

 

 

幕府軍はこの初戦だけで、

700人を失ったと言われています。

 

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「絶対に勝つ!どうしたら勝てるのか?」

 

 

その思考の末に

知恵を巡らせて思いついた策が、

 

当時の武士の常識から

外れていたものだったとしても、

 

指揮官として

自軍を勝利に導くことを

最優先と判断し、

実行した正成。

 

 

この赤坂城の合戦の初戦で

見事な勝利をあげた後、

 

彼はどうなったのか?

 

 

長くなりましたので、

 

それはまた別の機会に

ご紹介させて頂こうと思います。

 

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