アイザック・ニュートン

 

 

17世紀~18世紀にかけて

「科学革命」を起こした、

 

偉大な物理学者であるとともに、

天文学者、自然哲学者、数学者です。

 

 

人類の歴史に刻まれた

彼の名は皆さんもよくご存知だと思います。

 

(ニュートンの人物像や功績等は

ここではとても書ききれないので、

彼に興味のある方はこちらをどうぞ)

 

 

天才の名をほしいままにし、

 

議論となれば、意見の合わない相手は、

反論の余地すら与えず叩き潰すまで

論破したと言われるほど、

 

他人に厳しかったニュートンは

自分自身についても厳しい目で評価し、

 

そして、その目は

 

天才らしい、大きな視野で

世界とその真理を眺めていたようです。

 

 

I was like a boy playing on the sea-shore, 

and diverting myself now and then 

finding a smoother pebble or a prettier shell than ordinary, 

whilst the great ocean of truth lay all undiscovered before me.


私は海辺で遊んでいる少年のようである。
時折、普通よりもなめらかな小石や

かわいい貝殻を見つけて夢中になっている。
真理の大海は、

全てが未発見のまま、

私の目の前に広がっているというのに。

(アイザック・ニュートン)

 

 

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どこまでも高く青い空、白い雲、

太陽の光を反射しながら

コバルトブルーに輝いて見える海。

 

寄せては返す波の音、

潮風のざわめき。

 

足元に触れる水の冷たさ。

素足で濡れた砂を踏んで歩いていく感触。

 

 

そんなのどかな光景を想像させる

文章でありながら、

 

 

その実は、

 

目先にあるほんの小さな事実に没頭し、

他愛もないことを解明して

(あくまでもニュートン目線です(笑))

喜んでいるに過ぎない自分自身の愚かさ、

 

世界の全ての真理を解明しきれない

自分の力の無さ、

自分の感じるもどかしさを

自虐的に笑い嘆きながら、

 

 

それでいて、

 

「でも、私は君たちとは違い

少なくとも、世の中には、

まだまだ解明できていない真理が

たくさんあるということには

気づいているのだよ」

 

 

と主張するかのような、

二重・三重の意味を持たせた言葉。

 

 

普通にストレートにそれらを述べたら

人から反感を受け、

自分自身も情けなくなる様な

文章になるところを、

 

「海岸での状況」

という、たとえ話を使うことで、

 

聞いた相手の心に

自然に自分の心境を納得させている、

 

 

これこそが、

先日の記事でもご紹介した

 

メタファー

 

です。

 

(こちらの記事も是非ご覧ください

「名こそ流れて・・・永遠の名」)

 

 

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ニュートンがこの言葉に込めているであろう

本意はともかくとして、

 

私たちも、

 

目先のことだけにとらわれることなく、

その後ろにある本質をしっかり見据えての

思考・行動を重ねていく必要がありますね。

 

 

人生を豊かにするため、

常に最善の選択をしながら

賢く生きていくために、

 

そして・・・

 

ニュートンに笑われないために。

 

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【こちらの記事も是非どうぞ】

それでも地球は回っている / ガリレオ・ガリレイの世界

 

思考と行動、そして事実 / ニュートンの世界 II

 

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