悪魔が昨日、し忘れたこと。@アメブロ -56ページ目

キューティーハニー前夜祭

庵野監督目当てで行ってきました。庵野秀明安野モヨコ夫妻のお惚気トークが楽しかったです。表現者同士の夫婦には憧れますね。


サトエリの演技にはさほど期待していなかったのですが、観てみたらなかなかカッ飛んでいて、よかったです。頭空っぽなOLハニー役もドスの効いたキューティーハニー役、どちらも大げさすぎるくらいの過剰な演技が逆にアニメ出身の庵野監督の演出にマッチしていると感じました。サトエリはかなりの読書家で、暇さえあれば文章を書いているそうです。どういうものを書くのか、興味あります。そういえば庵野監督の実写デビュー作『ラブ&ポップ』のヒロイン役を演じた三輪明日美は自ら映画のプロデュースなども手がけていますし、前作『式日』のヒロイン役を演じた藤谷文子は、原作を手がけています。庵野監督は、クリエイティブ志向の高い女優を起用する傾向にあるのかもしれません。


実は今年になってからケーブルテレビで『新世紀エヴァンゲリオン』が放映されていましたもので放映されなかった映画版もレンタルで観て今更になってようやっと全部観終えまして、今回のイベントで庵野監督作品の映画は全て観たということになります。


そこで全体的に感じたのは、どれもがいい作品ではあったものの、どうにもラストがぐだぐだになってしまう傾向にあるようだということです。ラストに到るまでの流れが素晴らしいだけに、どうしてもその辺りがひっかかるのですが、多分それは監督の作品を終わらせてしまうことに躊躇する姿勢があるのかもしれません。いわばそれはオタク気質と言い換えてもいいものでしょう。エヴァの主人公と同じ名前を持つ社会学者・宮台真司の言葉じゃありませんが、終わりなき日常を生きることからの逃避を目的として映像作品を作り続けてきたというような独白を『式日』の登場人物であるところの監督が言いますが、それこそまさに庵野監督自身が抱えてきた心の葛藤を如実に表したものだと考えれば、いつまでも可能な限り自分の生み出した創作世界と戯れながら生きていくことこそが創作者の精神を安定させるものであり、それを自らの手によって終わらせなければならないことは断腸の思いということなのかもしれません。


他にも色々と書きたいことはあるので、そのうちまた追加します。

『華氏911』

マイケル・ムーア監督の『華氏911』が気になります。9・11同時多発テロ事件の黒幕がジョージ・ブッシュだという噂は以前よりありましたが、この映画ではかなりその説の裏づけに繋がる事実が明かされているそうです。世界的大問題にまで発展した地球規模の事件ということを考えれば、これは単なるゴシップということでは済まされない問題です。


ちなみに『華氏451』といえばSF小説の大御所レイ・ブラッドベリのベストセラー小説で、フランソワ・トリュフォー監督によって映画化されたことでも有名ですが、「思想統制言論弾圧の恐怖」がテーマだったはずです。読書は罪とされ全ての本は「焚書官」によって華氏451度の炎で焼かれ、市民は下らないテレビ番組しか見ることを許されないという未来の話です。下らないテレビ番組、なんて書くとよくないかもしれませんが、いかに活字離れした視聴者が多かろうとも曲がりなりにも作家たる放送作家あってこそのテレビ番組ですから、読書を禁じられた世界で作られるプログラムが下らないものばかりになるだろうことは目に見えています。


今ではテレビも映画も本も既成だらけですから、唯一自由といえるのはインターネットだけとも言えるかもしれませんが、それも危うい傾向になりつつあります。そういえばこのインターネット自体が元々はペンタゴンのミル・ネットに由来するものだったことを考えてみると、電脳空間をアジトとしていると言われているタリバンとブッシュの間に繋がりがあっても、決して不自然ではないのかもしれません。


この『華氏911』はディズニーが配給を降りたことでも話題になっていますが、ここ最近のディズニーは他にも何かとすったもんだがあったそうです。セル画をやめてCG一本にするということでセル画アーティストをリストラする一方で、自社でCG制作を手がけるからと『ファインディング・ニモ』のCG制作に貢献したCG製作会社との契約更新を一方的に取りやめてしまったりしたという話です。ビジネス的戦略ということでやむをえないという言い方もできますが、現在のディズニーの社長は実写映画の失敗で大損失を出しているとのことですから、手放しで応援できる人ともいえないんだそうです。ちなみにこのディズニー裏話は、『SPA!』か『アスキー』の最新号に書かれていたゴシップ記事からの引用です。色々と書きましたけれどもディズニー映画で好きなものもたくさんあります。たとえばCG技術の全くなかった時代に制作された映画『トロン』の擬似CG映像には、子供心にも大変興奮しました。今見てもレトロフューチャリズム溢れるサイケな傑作といえましょう。これからもそういう作品を作っていってほしいものです。


ところで以前から気になっていたんですがディズニーとドリームワークスはライバル関係にあるともいえる間柄のようですが、ディズニー製作の『スーパーマリオ』とドリームワークス製作の『メン・イン・ブラックⅡ』ってストーリーがそっくりじゃなかったでしょうか? あれはどうしてなんでしょう? 記憶違いかもしれませんので、またあとで調べてみようと思います。

珍夢の話

掲示板およびメールへのレスが遅れてしまって申し訳ありません。
今日明日中には何とかしようという所存でありますが、
とりあえず、ついさっき見た夢の話でも書いてみることにします。


昨日は連休明けの仕事始め2日目で、休みボケなのかどうにも体調がすぐれず頭痛を抱えながらの一日だったということもあって、22時ちょっと前に帰宅後、ご飯を食べてから23時半頃には寝てしまいました。いつもなら寝る前に風呂に入るのですが、その気力がなかったもので整髪料を付けたまま寝てしまい、寝ている間に頭が痒くて掻き毟ったりしていたような記憶が有りますが、意外と眠りは深かったようで、4時半頃には目が醒めてしまい、風呂に入ってネットを見たりしていました。


さて、夢の話ですが、僕は日頃から、ぜんぜん意味不明の珍夢という感じのものをよく見るほうなのですが、今夜の夢もご多分に漏れず訳の判らない内容でした。


夢の中の僕は、何らかの事情があって知り合いの家に居候しているらしく、その家は診療所を営んでいるもので、僕は診察室の片隅で生活しているのです。その家には診察室と待合室の他には台所があるだけで、そもそも僕が寝泊りするには狭すぎるもので、そういうことになってしまったようです。もともとの居住者は他に家があるのでしょうけれど、やはり何らかの事情があって、僕を泊めるのは診療所の方にせざるを得なかったのでしょう。夜の間は診療もなく、僕は診察室のベッドで悠々と眠ることができるのですが、それでも急患などがあったりすると患者のためにベッドを明け渡すしかなく、毛布に包まりながら壁際の折りたたみ椅子に座って診察が終わるのを待ちます。待合室には何故か行ってはいけないようなのです。深夜の診察が終わり、医者らしき知り合いの年配の女性が「お腹空いたでしょ?」と言うなり台所で何やら夜食を作ってきてくれました。マグロとキュウリのヅケを串刺しにしたものです。それを食べながら女性と話をしていたのですが、彼女は何だか奇妙な宗教じみた新進小説家の世直し論とやらに嵌っているらしく、延々その話ばかりなので、辟易してしまいました。2時間ほど話に付き合って、ようやく彼女が診療所を出て行ったので、僕は再び診察ベッドに戻り眠ることができました。翌朝、診療所の外からけたたましい拡声器を使った声に起こされたので、その声に耳を傾けながら窓の外を見やると、選挙カーの前に立った白いスーツを着た候補者らしき若い男性が演説をしているようです。両脇にはピンク色のスーツを着たうぐいす嬢らしき数人の若い女性がいて、周りには聴衆もかなり集まっています。「私は皆さんもご存知だろうと思われますが、小説家として一応はそれなりの成功を収めた男ではありますが、この度、かねてより密かに憧れていた政治の道に飛び込むことを決意いたしました。つきましては、その決意の程をふんだんにつぎ込んだテーマソングを聴いて頂きたく存じます。ミュージック、スタート!」選挙カーのスピーカーからBGMが流れ、男は歌い始めました。うぐいす嬢たちはコーラスをしています。窓の内からその様を眺めながら僕は、「どうして小説家が選挙に出馬するからといって歌を唄う必要があるのだろう?」と不審に思いつつ、聴衆の中にテレビの取材班らしき人々がいて、レポーターが中継しているということに気がつき、診察室内のテレビを付けてみたところ、ちょうどニュースでも報道されているところでした。中継が終わるとコメンテーターの男性が口を開きました。「これはオウム真理教のパクリですね」キャスターがそれに答えました。「全くその通りです。だから小説家という人種は鼻持ちなりません」するとコメンテーターは鬼のような形相になり、「あんなヤツが小説家だと公言するのは、私は認めませんよ!」と憤慨を顕わにしたのでキャスターは慌てて「いえ、先生のような人であれば構わないのですが、一般的な話をしたまでで」と弁解しました。僕はそれをぼんやりと聴きながら、「どうしてこう、人間の世の中はくだらないんだ」と呟いてから、冷蔵庫の上に置いてあった夜食の残りを手に取りましたが、酸っぱい匂いがするので口に運ぶのは諦めて、「はあ」と大きなため息をひとつ吐き、ベッドに戻り二度寝に落ちて行きました。そこで目が醒めたというわけです。


わざわざ日記に書くような内容でもなかったですね。とはいえ変な時間に目が醒めて暇だったのと、せっかく細部まで覚えていたのだからということで、書いてみた次第です。


ところで、この前の日記に書いていた「劇団四季」の元シンガーの女性ですが、来週の『誰でもピカソ』のゲストだそうです。昨日は十一代目を襲名した市川海老蔵が出ていて、彼も気になる存在だったもので、良かったです。観たのが途中からだったのが残念です。


あと、ここの日記って、色々な機能が用意されているらしく、「入力ルール」なる頁があるんですね。とりあえず今のところは何も使わずに書いていますが、今後は折を見て使っていこうかと考えています。

最初の更新

さてそんなわけで、ここはいわゆる最近ハヤりのブログとかいうシステムの日記らしいので、色々と書いてみます。ブログっていうのは、自分の書いたキーワードに自動リンクを張ってくれたり、それがまた自動的に更新されたり、同じような話題が出ている他の方のサイトを見つけやすかったり、日記にレスが出来たりするものだそうです。まあ、ブログなわけですからわざわざ説明しないでも判らなければ「ブログ」という言葉のリンク先を見ればいいのかもしれませんが、雑誌などの説明を見ても僕にはよく理解できなかったもので、自分なりに判りやすい書き方をしてみた次第です。実はこのブログという用語を知る以前からこの手の日記サイトは気になってはいたんですが、手動でリンクを張りまくっているんだと思っていたんです。実際、僕自身もそういう風にして面倒な作業を繰り返してきましたから。そんなわけで、このシステムは実に便利なものだと実感することがやっとできてよかったです。


ちなみに、この「はてなダイアリー」を選んだ理由は、もともと「はてなアンテナ」に僕のサイト「工藤伸一に関する諸問題」(ここにも自動リンクが張られるのでしょうか?)が「和光大学つながり」というページに入れられていて、それを知ったことから「はてな」を知り、その後、「週刊アスキー」を読んでいて「はてな」が国から表彰されたという話も知って好感を覚えていたところ、先週の「SPA!」の特集記事で日本で一番の人気を誇るブログサービス提供サイトが「はてなダイアリー」だと知って、さて使ってみようということになったわけです。あれ? でもそれだとここを借りたのが3ヶ月前なので、計算が合いませんけれども、面倒なのではしょります。


それでまあ、書くこといってもテレビや本の話ぐらいしかないんですけど、書いてみることに致しますです。


さて、ゴールデンウィークに入りましたが、とりあえず家でぐだぐだしているという感じです。あさってからちょっと遠出するつもりですが、それまで体力を温存しているといった按配です。


何気なくテレビを付けたら『ミュージックフェア21』がやっていて、劇団四季メンバーが勢ぞろいしていたんですが、その中のお一人の女性、どこかで見た事がある顔だなと思ったら、数年前に浜崎あゆみみたいな感じのシンガーとして売り出されていた人でした。レコード会社との考え方の違いが原因で新譜を出さなくなり、もともとやりたかったミュージカルの道に進んだということらしいのですが、好きでもない流行の路線で売れる道を捨てて、好きな道での成功を手に入れるという生き方はいいなと思いました。


あと、深夜に見た特番で、テレビ朝日のアナウンサー勢ぞろいの朗読イベント『voice』というものが6月にあることを知りました。番組内では「恐竜の架空実況中継」という作品をやっていたんですが、僕にはいまいち面白さが判りかねました。その手のものなら、恐竜映画を観ていれば結構ありますからね。どうせならテレビ朝日のアナウンサーだからこそ出来るものということで、「朝まで生テレビ」の実況中継とかをやってくれたらいいのにと思いました。ちなみに数年前、フジテレビの似たようなイベントを友人に誘われて観に行ったことがあるんですが、内容はよく覚えていません。


アルプスの少女ハイジ・総集編』を観ました。よくある『懐かしのアニメ特番』では「クララが立った」シーンばかり出てきますが、一番泣けたのは、ハイジがクララと生活を共にするためにと都会・フランクフルトに連れて行かれ、ホームシックの余りに気が変になっていくところです。医者の診断によってようやく山に帰ったものの、しばらくの間は後遺症が残り、ヒステリー症状を起こしてしまたりするのです。ハイジがそんなにシビアな話だったとは、今まで知りませんでした。


あと、OVA版『うる星やつら』もちょこっと観ました。今年に入ってから、『新世紀エヴァンゲリオン』をやっとこさ映画版も含めて全篇観たり、『マンハッタンラブストーリー』を全話観たりしていていました。気にはなっていたものの、ちゃんと観ていなかったものを観られると、満足感がありますね。


ところで最近、「集団ストーカー」なる言葉があるそうです。リンク先の説明を読んでみると、その怖さが判ります。主に企業や宗教団体が行うということで、被害者の方が悪者扱いされてしまうケースもあったりするという、怖い話です。


それにしてもブログって、少しコツが必要みたいですね。キーワードの途中に中黒(・)を入れたり、単語同士の間に句点を入れていなかったりすると、うまくリンクが張られないわけです。たとえばここまでの文章だと、「マンハッタンラブストーリー」なら正確にリンクが張られますが、「マンハッタン・ラブ・ストーリー」だと妙な具合になってしまいます。句点のケースでは、「気になっていたものの、ちゃんと観ていなかった」だとリンクは生成されませんが、句点を省き、「気になっていたもののちゃんと観ていなかった」にすると、「ののちゃん」というキーワードに反応されてしまうわけです。こういう部分は勉強しないといけないようです。

メモ

とりあえず場所をお借りしました。

バーキン/ゲンズブール/有馬秀子

ニュースステーションにジェーン・バーキンが出ていた。僕は彼女自身のファンと言うわけではないが、彼女の元旦那だったセルジュ・ゲンズブール(故人)と二人の間に産まれた娘シャルロットのファンなので、興味深く観ていた。


以前ニュースステーションに出演した際に両親のことを語っていたシャルロットと、今回ジェーンがアレンジバージョンを歌う『エリザ』を歌っていたセルジュの映像も流れた。やっぱりセルジュ・ゲンズブールはいいなと思った。どこか卑猥で、なおかつ優しさを感じさせるねちっこい彼のヴォーカルには、僕も影響を受けている。僕の【歌詞・歌唱】のページの曲もそういうものだったりする。こういうヴォーカリストは、なかなかいないと思う。


ジェーンがあまりにも饒舌すぎて、久米宏が困惑するほどだったのが面白かった。エルメスバーキンというバッグの話題になり、バッグを足で蹴ってみせたりする様も魅力的で、さすがフレンチロリータの大御所だなと思った。いつまでも可愛らしい部分を持った女性はいいものである。


そういえばこの前の【いつみても波瀾万丈】に出演していた101歳の銀座ママ・有馬秀子さんも可愛らしい方だと思った。風化しない少女性が女性をいつまでも若々しくさせるのであり、それを受け止める男の包容力と言うものが大切なのだろうと思う。

有名と無名のはざま

有名と無名のはざま
そこにいる全ての人に
伝えたき歌


才能のある人は有名になるべきだと思う。
そしてそのために流行の手段をとるべきだと思う。


音楽をやってるのならジャズや現代音楽ではなくポップスを演奏すべきだ。
絵画をやってるのなら油絵やドローイングではなく漫画を描くべきだ。
詩歌をやってるのなら短歌や現代詩ではなく小説を書くべきだ。


本当に好きなことは有名になってからいくらでも出来る。
それがたとえどんなにマニアックな表現であったとしても
自らの有名性をおとりにして人を惹きつけることが出来る。


本当に才能のある人は自らが崇高であると信じているマニアックな表現よりも
下等な存在であると考えている流行の分野でも簡単に成功できるはずだ。
それが出来ないというのならその人には何の才能もないと言うことだ。


あるいはまた僕がそんなことを考えるのは貧乏だからかもしれない。
お金に困っていない人なら好きなことだけやっていられる。
しかし彼らは本当にそれでいいのだろうか?
多くの人に伝えてこその表現なのではないのか?


しかも売れるということはただ単に本人だけでなく
それに関わるたくさんの人々に恩恵をもたらすのだ。
経済的視野から捉えてみたならば
表現者を目指すことと社長を目指すことの効果にさほどの違いはあるまい。


才能のある人は有名になるべきだと思う。
そしてそのために流行の手段をとるべきだと思う。

生きた気もせぬ程の飢餓感

生きた気もせぬ程の飢餓感
それゆゑに湧き起こり来たる
生の実感


2日間、珈琲と紅茶と緑茶だけで過ごしながら、本を5冊読み、40枚分の原稿を書いた。


余りの飢餓感で気が変になりそうだった。飽食の時代に産まれてすっかり忘れ去っていた飢餓感!それはそれで素晴らしいことのようにも思える。一心不乱に労働に身を殉ずる。それもまた一種の 真理を得るための修行といえるかもしれない。しかし断食もまた同様に現代の日本人が失ってしまった人類の可能性を見出す手段のひとつかもしれない。そんなことを考えていた。


とはいえさすがに飲み物だけで生きながらえるのはもうしんどい。銀行にまだ幾らかの預金が残っていることを思い出し引き出しに行ってみた。ところが残高があるのは普段利用していない銀行の口座だったので、暗証番号が思い出せない。うっすらとした記憶を頼りに3度試してみたが全て間違っていた。3回入力を間違えるとカードは使えなくなってしまうんだね。


もう腹が減ってしょうがないので困り果ててすぐさま家に戻り、もう読み返すこともなさそうな 漫画本15冊を抱えて近所の古本屋に駆け込んでみた。そこにはいつもの店長の姿はなくて、店番をしている初老のおやじさんが対応してくれたのだが、店長じゃないと値段が付けられないので明日 にしてくれと言われた。明日じゃもう手遅れなんです、僕は腹が減ってしょうがないんです、お願いですから何とかして頂けませんものでしょうかと懇願してみたところ、おやじさんははっきりとした買取値はわからないから、とりあえず最低の値段でよければ引き取ってあげようと言ってくれて、240円で買い上げてもらった。一冊50円として15冊なら700円にはなるだろうと考えていたが甘かった。でも言葉の例えなんかではなく本当に背に腹は替えられぬ状況に追い込まれていた僕はそれでも十分だと思い、その金を受け取った。


どうにかこれで99円オンリーストアで食パンとマーマレードジャムが買える。ところが何故か僕はメロンパンを買ってしまった。菓子パン如きがたいした腹の足しになりえぬことは承知していたものの、そのメロンパンにはなんと粒あんとマーガリンが入っているらしいのだ。粒あんとマーガリンの入ったメロンパン!なんて美味しそうなんだろう。その誘惑に耐え切れず僕は税込価格103円のそのメロンパンを買ってしまった。残りは137円。実は煙草も買いたかったので、1箱130円のショートホープを買うことにした。普段は1箱270円のゴールデンバットボックスを愛煙しているが、それすらもままならぬ状況なもので、このような手段を講じることとなった。自販機では2箱セットで売られているショートホープをわざわざ煙草屋で1箱だけ買う客も今時珍しいに違いない。あと20円あればエコーが買えたのだがそれすらもあたわないの
だ。


それから1時間経過した今、僕はこの文章を書いている。メロンパンはとっくに腹の中に納まってしまっていた。もはや新たなる飢餓感が僕を襲い始めている。それをまぎらすためにショートホープをくゆらしながらこうして文章を綴っている。僕は一体全体、何がしたいというのだろう。僕はこれから何処へ向おうとしているのだろう。全然わからない。わかるはずもない。わかっているのは僕がいま腹を空かしていて、なおかつ財布の中には7円しか残っていないというこの唯一の現実だけなのだ。 もうすでに僕は狂ってしまっているのかもしれない。


地位も名声も得ていながらその立場に安住し醜く生きながらえることを良しとしなかった三島由紀夫の生き方に憧れる。だから今ここで何もなさぬままに餓死する道を選ぼうとは思わない。とりあえず身の回りにあるお宝を売りさばいてどうにかやってこうと考えた。ファミコンショップでファミコンソフトを一律100円で買い取ってくれるとの広告を見つけ、どうにか更に2000円獲得することに成功した。


2キロ700円の米と、サッポロ一番を数岱、カップ酒を1杯、缶詰を数個、そしてエコー1箱を購入し、それなりに贅沢な晩酌の時間を過ごす事が出来た。まだ仕事をするために都心に出るための交通費は残っているので、早急に社会復帰する方向で努力したい。その前に、現在の堕落仕切った状況の中でしか生み出しえぬと思い込んでいる100枚の小説を書き上げることで、この度のろくでなし実験の一旦の成果を見出す考えである。

日々浴びる浸かる飲み込む

日々浴びる浸かる飲み込む
新しき水分が
日々、僕を新しくする


今朝は結構早起きでした。とりあえず煙草を一服しながら(ちなみに5日の日記で書いていた禁煙は、結局4日で打ち止めとなってしまいました。意思が弱いんですよ)PCを立ち上げて、メールチェック及び巡回している掲示板のチェックをしました。


そんな中、2ちゃんねるの文学関係の板で、「君には文学的才能なんかない」という煽り文句に腹を立ててしまった僕はついうっかりもののはずみで「だったら新人賞で勝負しよう」などと口を滑らせてしまいました。小説は中学生時代から好きでしたから、自分でもちょくちょく書いてはいたものの、新人賞に送る程まとまった分量のものは中学3年の時に一度だけ新人賞に応募した際に書いたっきりで、もう長いこと書いていないのです。そもそもこのところ小説のアイディア自体、かなり短めのものしかありませんでしたもので、自分から勝負を持ちかけたくせに内心困ってしまいました。


とりあえずシャワーでも浴びてさっぱりしてどうすべきか考えようと風呂場に入りましたところ、何故だか小説の構想が浮かび始めました。結局、風呂場からあがるまでの40分間に(なぜか僕のお風呂タイムはいつでもきっかり40分間なのです)どうやら全部で400字詰原稿用紙100枚分くらいに出来そうな内容の各種エピソードがするすると浮かんできましたもので、さあこれは大変だと思い、すぐさま小説を書き始めることにしました。


とりあえず今日は400字詰原稿用紙に換算して20枚分書いただけですが、根を詰めればもっとたくさん書けそうです。下書きなわけだから細かい部分を気にせずに書き続ければ1時間に5枚分くらいのペースでもいけると思います。そうすると20時間で100枚分書けることになります。それはさすがに早すぎですね。構想は殆ど出来上がっているというのになかなか筆が思うように進まないのには、まあパソコンを使って書いているものでついつい気が逸れてネットに手が伸びたりしまうせいもあるのですが、でも集中力も持たないしタイピングのスピードも追いつかないというような理由もあったりもします。計ってはいないけど大体1秒に1文字のペースでは打てているみたいだからそれほど遅くはないとは思います。プログラマの人とかと比べたら全然遅いんでしょうけれどね。とにかく頭に文章が浮かぶスピードにタイピングが追いつかないのでいらいらしてきます。言葉を忘れないようにしながら入力し続けているわけですが、どうやら頭に文章が浮かぶスピードは1分間に原稿用紙1枚分くらいはあるようなので、どうやっても追い付けやしないんですけどね。1分間に400文字のタイピングを行うということは1秒間に約6.5文字だから半端じゃないと思います。大体、日本語は変換もしなきゃいけないですし。


よくプロの小説家の中にはものすごく文字の汚い人がいるという話を聞くことがありますけど、わかる気がします。ある程度キーボードのタイピングを習得してしまったらもうどうやっても直筆よりも書くスピードは早いわけですが、それでもなお文章が浮かぶスピードに入力が追いつくことはまずないわけですから、直筆で猛スピードの思考の流れを追うのは本当に大変な作業なんだと思います。誰だってそれは同じことですが、書くことを生業としている人の文章量は半端じゃないですからね。ちゃんと清書してからでないと人には見せないと言う作家もいるみたいですが、その場合でも構想を書き下ろす下書きの段階では壮絶なる文字の汚さだったりするんじゃないでしょうか。


さてここで話題はがらりと変わりまして音楽の話です。最近デビューした日本の音楽バンド「気志團」って、何だかとても気になる存在です。ビーバップハイスクール的な風貌を初めて見かけた時はなんだこれはと思いひいてしまいましたが、かすれ声で切なく歌うボーカリゼーションに思わず心を動かされてしまいました。巷でも彼らの不思議な魅力にやられた人が多数いらっしゃるようでして、今やオリコンチャート10位以内に入るほどの人気なんですね。僕自身は別に中高生時代不良だったわけでもなく、暴走族(最近は珍走団と呼ぶようですが)もうるさいので好きではありませんが、少女漫画「ホットロード」に描かれたような不良少年少女の持つある種の孤独感とか言いようのない閉塞感と言った世界に多少の憧れは持っていました。僕に出来る不良行為と言ったらせめて髪を逆立ててボンタンを履く位で、授業をさぼったり煙草を吸ったりはできなかったんですけどね。大体、高校時代は生徒会長でしたからね。それなのにこの体たらくはなんということなのでしょうか。自分でも信じられません。早く何とかこの状況を打破して立ち直らなくてはいけないなと考えている今日この頃なのです。

その過去もあの遠い出来事も

その過去もあの遠い出来事も確実に
寸分の隙間もなく世界はつながっている


おとといの日記でこれからは毎日書こうといっておきながらもうすでに1日空けてしまいました。まあ僕の決心なんてもともとこの程度の当てにならないものなんですけどね。なんて風に悪びれたところもなく簡単に済ましてしまうところも僕の欠点のひとつだったりもします。あ、でもおとといのは日付を一日ごまかしていたから2日ぶりですね。今更どっちでもいいことですけど。


ところで昨日、僕が登録している派遣事務所から仕事を紹介してくれるとの連絡があり、このところ何もしていない僕は当然、その件を受ける事にしました。ただ一点だけ問題がありまして、紹介先は金融関係の会社とのことなのです。何故それが問題なのかと言いますと、僕が信用情報会社のブラックリストに載っているからなのです。そういう状況だと金融関係の仕事は出来ないという話を以前どこかで小耳にはさんだことがありましたもので、念のため事務所の人にその件を尋ねてみました。事務所の人が言うには、そういうこともあるかもしれませんが何とも言えませんので一応先方に確認しておきます、との事でした。結局やはりそれではまずいのでその件は白紙と相成りました。


噂には聞いていたものの本当の話だったんですね〜。自己アポ自己営業の仕事の経験があったのでスキル的には問題なかったらしく、全く勿体無い事をしてしまいました。人間、綺麗に生きてないと意外なところでその煽りをこうむってしまったりするものなんですかね。まあでもおぼろげだった噂話の真相を知ることが出来ただけでもよしとしよう、などというどうでもいいような納得の仕方をしつつ、電話を切った後はそのまま特に何もせずに寝てしまいました。


あれ? これじゃ昨日の日記になってしまいますね。というわけでこれは昨日分ということにします。でも見出しの日付を変えておけば今日の日記になりますが、まあいいでしょう。せっかくここまで書いてしまったのでこのままにしておく事にします。今日の分はまた別にして新たに書くことと致しましょう。ちなみにここで言っている今日とは、もうすでに翌日なのです。