悪魔が昨日、し忘れたこと。@アメブロ -58ページ目

ホームシックもしくはノスタルジー

今朝、久々に泣きました。正確に言うと、寝ながら泣いていたわけなんですけれど。多分、昨日寝る前に友人の飼っていた犬が亡くなった話を聞いたからだと思います。


今朝見た夢は時たま繰り返し見ることのある夢なのですが、僕がまだ幼稚園くらいの頃の実家の光景なのです。僕は先月28歳になったので今からもう20年以上前になってしまうんですね。20年というとかなりの歳月のはずなのですが、当時の光景は何故だか時折鮮明な記憶として夢に出てくることがあるのです。


今朝その夢をまた見たのが昨日聞いた犬の話に関係があるというのは、当時実家で飼っていた愛犬ゴローもその夢の中の光景に出てくるからなのです。コリー犬の血がかなり入った雑種で、見た目はコリー犬と殆ど一緒のりりしい風貌の犬でした。ゴローは僕が中学3年の時に亡くなっています。僕が産まれた頃に貰われてきた子犬だったので、15年生きていたことになり、亡くなった頃はもう老犬でした。でも老衰ではなかったんです。


かなり耄碌(もうろく)していたということもあり、たまにしか顔を見せない人が近付くと猛烈に吠え掛かるようになっていました。もともとは知っている人であればそんなことはなかったのです。ある日、近所のおばさんが気を効かしてゴローに餌を与えようとして近付き、噛まれてしまいました。全治1ヶ月の重症でした。僕の父親はその後考えた末に、ゴローを保健所に連れて行くと言いました。一度人を噛んで人の血の味を覚えた犬はこれからも人を噛むだろうという理由からでした。


僕は産まれた時から家にいたゴローを保健所に連れて行くことには猛反対していたのですが、数日経って学校から帰ってくるとゴローはいませんでした。保健所から戻ってきた両親にゴローが薬物注射で息をひきとったことを聞かされました。両親も辛かったみたいで、母は泣いていたような記憶があります。


確かに大それたことをしでかしてしまったのだから罰を受けざるを得なかったともいえるのかもしれませんが、僕はそれが命を絶たれる程の罪とは思えなかったこともあり、しばらく納得がいきませんでした。しかし何よりも悔いが残るのは、僕が納得するまでは両親がゴローを保健所に連れて行くことはないだろうと思い込んでいて、お別れの挨拶を出来ぬまま二度と会えなくなってしまったことです。この話の経緯はいつ思い出しても泣いてしまいます。


ゴローとの思い出があるから、「ハチ公物語」とか「南極物語」といった犬物の悲劇映画を見ても大泣きしてしまいます。もともと涙もろいところはあるのですけれども。でも犬に関しては「101」などの明るい映画であっても泣けてくるので、やはり事情が違うみたいです。コリー犬が活躍する「走れ!ジョリー」に至っては、風貌がゴローにそっくりなので辛いですね。さらに中学生になってからの僕は、放課後はサッカー部の練習をやり、休日や帰宅後はテレビゲームや読書といったインドアな趣味に時間を費やす様になっていたこともあり、あまりゴローを構ってやれてなかったことも後悔の一因でした。


個人的にはもう同じような思いはしたくないから犬は飼いたくないような気もするのですが、なにかのきっかけで今後飼うようなことになるかも知れません。そうなったら今度は、いつ飼い犬が亡くなるような事があっても後悔することのないくらいに愛情を注いでいきたいと思っています。犬の話は、とりあえずここまでです。


今日の様にゴローのことを思い出すと、決まって先程話しました幼稚園の頃の実家の光景が夢に出てきますので、同時に家族の事も思い出して、ちょっとしたホームシックに陥ってしまうのです。僕は北海道の実家から18歳の時に上京してきたので、あと3ヶ月で一人暮らし10年目に突入します。上京したての頃は年に2回、それぞれ1週間くらいずつは実家に帰省していたのですが、最近は1年に1回帰ったり帰らなかったりで、家族と過ごす時間はほんのわずかです。電話で話したのも今年は確か2回くらいしかないです。


こんなに家族と疎遠になっているのには色々とここでは言い辛い事情があったりもしますもので、本当は家族の事が気になって仕方ないのです。さすがに毎日ではないのですが、3日に1回くらいは家族の事を考えています。でも実際に連絡を取ったのは今年は2回程度ですから、複雑な想いではあります。今とは違った形でもっと親密に家族と接していきたいのですが、そうもいかないのです。

歌詞及歌唱乃間

唄を3点アップいたしました。&このサイトのBGMになっているラップの曲の計4点がアップされておりますが、伴奏が付いているのは友人の力を借りたラップの曲のみであります。楽器が全く出来ず、アレンジの知識もないのですが、メロディーを考えて唄うことは好きなので、みじめかなとは思いつつも一応アップしてみた次第であります。今日はこれくらいしか書くことないですね。曲は200曲くらいあるので、今後も追加していく予定でありますが、聴いてくれる人いるのでしょうか?w

やばいなあ、更新しないとなあ

というわけでまたもやほったらかしの日々が続いております。アップしたいコンテンツ素材は大量にあるのですが、あくまでもアナログ形式のものばかりなので、デジタル化させるのが面倒でなかなかアップできていないわけであります。そんなわけで、そろそろ何とかしないとと思っている次第であります。

画像が消えちゃった。。。

これまで、ある無料サーバスペース内に僕がウェブ上で公開している全ての画像を置いて、そこから様々なページにリンクさせていたのですが、そのサーバスペースにアクセスできなくなってしまいました。確かに、ファイルや画像置き場としてのみの利用はしてはいけないと規約に書かれはおりましたので、自業自得なのですが、それにしても、これからの後処理が大変です。此処のほかにも、画像専門の掲示板などを運営していたのですが、そこが空っぽになってしまったので、どうにかしないといけないわけなんです。

中身が無いなあ

とりあえず色々とサイト内をいじってはみたものの、肝心の中身が無くてはしょうがないですね。近いうちに怒濤の如く更新して魅力的なコンテンツ盛り沢山のスーパーサイトにすべく、目下虎視眈々と機会を伺っている次第でありまする。

今日も気が付けば朝なり

ちうわけで何も書ける状態ではありませぬがとりあえず適当に文字を埋めておきませう。

日記くらいは毎日書こうかな

そんなことをふと思い立ち特別書くようなこともないのだけれどこうしてなんとなくキーボードを叩き続けてみてはいるもののやはり書くべきことなんてそれほど無いわけでありましてにも拘らずこのような形にて何事かを世界に向けて発信しようとしていることの虚しさといったら馬鹿馬鹿しい事この上ないほどの見事なる無意味の体現に他ならず今宵も全く無意義にして無味乾燥の静寂のうちに幕を閉じたわけだったりするのでありまするよ。

模様換ゑ乃御報せ

このところ暗い内容の日記が続きましたが、それは別途【輪区集・壱】から行ける【アメリカのテロについて真剣に議論する掲示板】に書き込んで行く事と致しまして、此処はもう少し明るい投稿をして参ろうかと考えておりまする。

宗教と戦争の関係について

今回のテロ行為はイスラム原理主義者の犯行であろうとの見解が世論を賑わわせていますが、そもそも戦争と宗教とは常に深い関係にあるものであると僕は考えているのです。


それは日本も例外ではなく、第二次世界大戦の折には戦争の必勝祈願のために日本国民全員が靖国神社にお祈りをし、たくさんの兵士たちが神のために戦って死んでいったのです。さらに神道を信仰しない者は非国民として投獄され、ひどい仕打ちを受けた挙句に多くの罪無き人々が獄中死を遂げています。このような歴史を見るにつけ、大日本帝國時代の日本のやってきたことも、イスラム原理主義となんら変わらないのではないでしょうか?


そして今もなお、そういった血塗られた歴史の遺物である筈の靖国神社に首相が参拝をしていたりするのですから、わけがわかりません。いうなれば靖国神社に日本の総理大臣が参拝するという行為は、ドイツの首相がナチス軍を褒め称えるようなものであり、極めて狂気の沙汰であるとしか僕には思えないのであります。

日米関係について

本当はあまり政治的な事ををここに書いていいものやら迷ったのですが、特別にどこかの党や団体を擁護するわけではなくて、ただ単に個人的な意見を民主主義国家の人民の一人として語りたいだけですし、やはり心の中に秘めているだけではなく、公共に開かれた場にてこういった発言は積極的に公開されて様々な立場の人々からの反応を請うべきだろうと思い、日米関係のあり方についての僕の見解を述べることと致しました。


僕はとにかく、暴力的な政治行為には断じて反発致しております。当然それはテロ行為のみならず、アメリカの報復行為も含めた全ての政治的暴力行為に対してであり、軍隊というものの存在にも嫌悪感を覚えております。確かに平和を守る為の暴力というものが必要だという考え方は判りますが、実際にテロや事件が起きてから動いたところで、亡くなった方々にとっては警察や軍隊は何の役にも立たなかったという現実は決して消え去ることの無いものです。日米安保条約では米軍が日本の安全を保障してくれるということになっていますが、易々と軍部施設などへの攻撃を許してしまうような組織に、本当に日本を守る事なんて出来るのでしょうか?これは日本の自衛隊や警察にも言えることですが、地下鉄サリン事件のような少人数でのテロですらも未然に防ぐことが出来ないわけですから、はっきりいって米軍基地への援助や自衛隊や警察の存在は、税金の無駄遣いであるようにしか思えません。


しかしもしそういった組織が無かったら、安全な市民生活は誰が守ってくれるのだというような反論があるかもしれませんが、考えてもみてください。若し仮にあなたが夜道を歩いていて武装した暴漢に襲われたとしても、そこが交番や基地の目の前でもない限り、警察や自衛隊や米軍があなたを助けに来てくれる可能性はかなり低いはずです。すなわち、いくらそういった保安組織が用意されていたところで、いざというときには自分で自分のみを守るしかないということです。だったらそもそも公的な保安組織は別に無くても構わないということになりませんか?それでも誰かに守ってもらいたいという人は、民間の保安組織に守ってもらえばいいのです。現に人の多く集まる場所や、身の危険を感じている有名人などは、警察や軍隊などははなから頼りにせず、民間のガードマンを雇うのが常識であります。


だから日本も、暴力に対して暴力で報復を画策するような野蛮な政策は断じて支持せず、たとえ日米関係が険悪になろうとも、アメリカに対して平和的な措置を採る様、強く働きかけていくべきであると思います。そしてもしもアメリカがそういった要請を無視して暴力を行使するようなことがあれば、全ての条約を破棄することも辞さないという断固たる立場にて対応すべきであろうと僕は考えております。


最期に、僕は決してナショナリズム的な意味でこのような発言をしているのではなく、あくまでも生命というものがいかなる思想や信条よりも大切なものであるというという個人的立場からの意見であるということを明記しておきます。そういった意味では、この世に存在するあらゆる宗教の類もまた根源的には人命を信仰よりも軽視しているという点において、僕の立場とは一線を画すものであるということも、付け加えつつ、ここでいったん、筆を置く事としましょう。