[日本画家であった父の心の色を継ぐ…] | shinianooshare-kiyomiのブログ

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ブログ質問です。ここ1カ月位投稿させて頂きましてもnewという文字が入りません。私のスマホのミスでしょうか。




私の父は、日本画家であった。 

伊東深水先生の弟子であったので勿論人物画が主流であった。



家の中に、画室があったのでいつも

岩絵の具の匂いと膠の匂いが漂っていて父の画室をとおる時は、幼い私達も自然に背筋が伸びそっと歩みを進めた。



いつも何時も父は、絹布に向かって描いていた。



絵を描いていないときは、

「戦後の今、将来ある青年達を横道に向かわせてはいけない」

という<想い>から日本レクリエーション協会の副理事長を努めたり、我が家に毎日のように青年達を招き、演劇のグループや、コーラスのグループが集まって発表会etc.も開催していた。



その中には、自動車の部品製作のエンジニアの皆様もいらっしゃり後に上場企業になられた由。



私は、造形が得意ではなかったが色彩にはとても関心が深く2才のころから本棚から色彩に関する本を取り出しては感動を覚えていた事を記憶している。






<この絵画は、私が結婚をするとき
母も私も描いて下さる事を知らなかったが、嫁入り道具に…………>


幼少から、
児童舞踊、アメリカ人の先生からクラシックバレエ、日本舞踊、鼓etc.父がすべて手続きをして下さり、レッスンに通わせて頂いた。


私が現在講師として、お招きを頂き、《色彩》《ファッション》をメインとして講演させて頂いている。


何百回の講演の中で何時も皆様の前に立ったとき、心の中で父に問いかけます。


「お父さん、私を何になさりたかったのですか?
私は、お父さんが学ばせて下さった沢山の事を皆様に伝えています。
一生懸命……心をこめて……!」


昨晩<情熱大陸>という番組を拝見し、私の敬愛する吉岡幸雄先生のお嬢様の更紗さんの姿に涙した。


偉大な父を持ってしっかり、六代目の染め師を継承され………
なかなか辿りつける事の出来ない
《芸術》という大きな
路に向かって、歩み始められたお姿に………何故か、共感の涙だった。





きっと真摯なお姿に
お父様も応援と
安堵の微笑みをなさってくださっていらっしゃる事と…………。