shinianooshare-kiyomiのブログ

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ブログ質問です。ここ1カ月位投稿させて頂きましてもnewという文字が入りません。私のスマホのミスでしょうか。


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以前シャネルの布を織ったマリアの書いた本の感想を記した事がありました。



私が六本木の地で[BOUTIQUE  6 6]を経営してました頃
CHANELのデザイナーは、既にカール・ラガーフェルドでした。


<晩年のカール・ラガーフェルド>



同時にChloeのデザイナーでもあり、
25年間の私のBOUTIQUEのメイン・ブランドでもありました。



その後Chloeは、シットヴォンそして
ポール・マッカートニーのお嬢様ステラ・マッカートニーがデザイナーとなられ
日本のファッション・ショーには
お父様のポールさんが、私の前で嬉しそうに
ご覧になられていました。



その
カール・ラガーフェルドがこのたび
ご逝去されたニュースに接し
私のセピア色の想い出が蘇りました。









この著書を訳された秦先生のパーティーに
お招きして頂きました時
まだ<カサブランカ>の大輪が
なかなか手に入らなかった時代
秦先生にはカサブランカ*・*・*
私は、六本木のGOTOさんで
3輪を素敵にアレンジしていただき
先生からお礼の素敵なカアドがとどき、恐縮した想い出がありました。







この著者は、男性であり
作家であると同時に、外交官も歴任された
ポール・モラン氏が
1947年スイスでのガブリエル・シャネルとの
会話の聞き語りをモラン氏自身がまとめたものであると語っています。



男性の視点で書かれているため
モードという方向性より
時代的背景もわかりやすくなっています。



パリ
カンボン通りに帽子店を開いて後、第一次世界大戦中は、パリを離れ
やがて70才で、ファッションの世界に挑戦します。



然し、このブランクは大きくすぐには受け入れては貰えませんでしたが
獅子座の女ココ・シャネルは、そんなことではくじけません。



実はシャネル・ルックはアメリカで受け入れられたのです。






戦争に勝利したアメリカは
生き生きとして、経済力もあり
女性達が活動する場が多く
膝丈のジャージーで創られたシャネル・スーツ
が受け入れられたのです。



私にとって
ケネディー大統領夫人ジャクリーヌさんが
あの惨劇の時
ピンクのシャネル・スーツに身を包んでいらした姿が印象に残っています。



ココ・シャネルは、20年代から30年代にかけて天才と言える才能と
その美しさを持って
沢山の男性達を魅了した・・・・・とも記しています。



ジャン・コクトーは
「ココ・シャネルの存在無しにフランス文学を語る事はできないでしょう・・・・」
と迄語っています。



イギリスのジョージ5世の従弟ウェストミンスター公との恋*・*・*etc.



沢山の逸話を残し
私達には、シャネル・ス-ツという
素敵なデザインを残し
ホテル・リッツにて孤独な最期を遂げたのでした。

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