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UCHIKATSU

「てれびを消して、スローな夜を」

フィリップ・マーロー
「強くなければ生きていけない、優しくなければ生きていく気にもなれない」



新うつの気持ちがわかってきた


というか、自分の中に新うつに近いものがあるのがわかってきた


私がよくやるのは人体実験


自分の心が実験台








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よくあること


「奥様でよろしいですか?」と、電話口のオペレーターから言われること


公共料金の支払い方法変更の際、オペレーターの女性から「ご本人様でよろしいですか?」と言われず、「奥様でよろしいですか?」と


この前は電気、ガス、水道の3つに電話したが、そのうち1つで間違われた


女性的なところもある私


だけどこれはこれでいい、今はね


小・中の頃はこういう自分が受け容れがたかった


今はこうしてネタとして言えるぐらいに受け容れてる自分の女性的な部分





私の本質? コア? のひとつは「怠惰」かな、と最近思う


私ってとてもとても怠け者なんだなって


それを知ってか知らずか、私は真面目に働こうとするのかなと


ほんとは、のんびり、のほほんと生きていきたい、たぶんそうなんだと思う、私は


だけど、そうしちゃうと社会からアウトローしちゃうので、自分に無理してというか、反面教師で、マジメに生きようとしてるのかな、と


ただ、これが私の全てだなんては思ってないけどね
人にはいろんな面があるからね、多面体なんたよね人は。
タンメン体、単面体じゃないからね


単面体でくくられると、違う!って反抗したくなる自分が、自分の中にはウジャウジャいるからね


宗像恒次博士はキメラ細胞って言ってたけど、人はひとつで成り立ってるんじゃないもんね


私にはいろんな面がある
新しいものが好きなところ
肉食的なところだってある
草食的なところの方が多いかもしれないけど
強くなりたい気持ちだってある
お金持ちになりたい気持ちだってある
死にたい気持ちだって


自分にはいろんなところがある
多面体な私
ルービックキューブは6面体だけど
少なくともそれよりは複雑なんじゃないかな私は
あ、その、私に限らずね










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最近耳にした言葉で最も印象的だったのは「人薬(ひとぐすり)」という言葉


たしかNHKの新うつの番組で斉藤環先生だったかな? が使われてた言葉


心の病からの回復には、薬物療法だけじゃなく、人薬も、あるいは人薬の方が必要っていうようなことだった


なるほどと思った、心の病に限らずだろうけど、飲む薬ばかりに頼ってては、本当の回復にはなかなか行きつきにくいよね、たしかに





さらにそこから派生して考えたのは、「良薬は口に苦し」ってこと


人薬で、良薬は口に苦し、っていうと、どんな人だろう?


自分に厳しく言ってくれる人かな


なんかそんなことイメージして、想像したりしてた


空想好きな私、面白かった




左利きごっこというか
頭がよくなるというか
右脳を活性化させるために
左手を使うのをわざとやったりしてる


今やってるのは、お風呂の浴槽洗い
それを毎日じゃないけど、ほぼ毎日左手を使って洗ってる


それをしててあらためて気づいたのは
左手の使い方ではなくて
実は右手の使い方


えっ?と思われたかもしれないんだけど
メインの方じゃなくて、アシストの方の手のこと


まず目がいくのは左手をどう使ったらいいのかに目が向くんだけど、
実はそれ以上に重要なのは右手、つまり左手をアシストする方の手なんだよね


左利きになろうとして努力するのは左手の使い方なんだけど、
左手に目を向けてばかりで、ほったらかしになっちゃうのが右手なんだ


もっというと両手の協力関係
これが大事と思う





左利きになろうとして頑張ると
右手の働きが、死んじゃうんだよね


それは、右手をメインに使ってるときの左手の動きをみてみると、よくわかる
左手ってよく見てなかったけど、気づかなかったけど、ものすごく自然でサポーティブな動きをしているんだ


ほんと左手のアシストって、ものすごく自然で、無意識的なものなんだけど、いい動きをしてるんだよね


だから
左利きになろうと思ったら
右手のアシストも練習しないと、うまく左利きになれないよ!


◆◆


で、さらに今日考えたのは、身体の中で無駄なところってないよね、ってこと
右利きだから右手の方が大事ってわけじゃないし、アシストしてる左手の方が大事ってわけじゃないし


はたまた、手の方が大事で、足はなくていいよ、とはならないし


みんな必要なんだよね


みんなそれぞれの役割を果たしてて、どれひとつとしていらないものはない


なんか広げちゃうと、社会も同じかな、って
みんな必要、それぞれの役割がある


◆◆◆


ただ、ただ、私もそうなんだけと、華やかな役割したがる傾向はあるんだよね
「足じゃやだ」、「背中じゃやだ」、、、
「私は【顔】の役割をやりたいのよ、私は顔なのよ!!」、みたいな


でもな、「顔」が一番大事ではないんだよ、「足」は大事でなくてはならないもの、「背中」も、「お尻」も
他の役割もそれぞれみんなそう


でも「顔」になりたい、ってのもわかる
自分もそうだからね
目立ちたいし、華やかな、華のある役って憧れる


だけど、「足」だって「お尻」だって「ひじ」だって、みんなそれぞれに大事な、なくてはならない役なんだよね


うん(^_-)-☆








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最近、私は部屋の整理をしている

GW辺りからだ

そして、割りと潔く、あるいは大胆にモノを捨ててる

なんか、捨てたい、壊したい、そんな気分なのかどうかよくわからないが、それが気持ちよく感じるこの頃

それが、なんか、象徴的に思えてしまう

というのは、なんか、部屋の整理って、実は心の整理してんじゃないかと思ったりするからだ

だから

なんか、今までの諸々捨てさりたい気分なのかな、ってね

古い自分を脱ぎ捨てて、違う自分、新しい自分にチェンジしようと思ってるのかな、って

だから、今こうしてしている部屋の整理って、私としては大事なところなのかなって










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最近よく考えるのは「利用する、利用しちゃおう、利用させてもらう、活かす、活用する」ということ





例えばこういうことがはるかはるか昔にあって

[かわいいなと思う子がいて、その子から『○○さんこれ詳しいよね、今度これ教えて^^』と言われた私。

ほんとは詳しいとまでは言えず、少し知ってる位のレベルだったが、その子に教えたいと思った私は快諾。

そしてその後私は、半分困ったわけだが、「これを機に勉強しちゃおう」と思い、勉強して、その子に教えるためにがんばった

だがしかし、結局その子からは「あ、この間のあれ、別の人に教えてもらったから大丈夫だった」と言われ、あれっと思ったが、その子は私にとっては可愛かったから許せた]

といったことがあった。






でも実はこれ許せたのは、「その子が私にとっては可愛かったから」ではないんです

私の考え方がこうだったから

【“可愛い子に教えたい^^”その自分の気持ちを利用して勉強しちゃおう。モチベーションにして勉強しちゃおう】

ということだったのです。

つまり、自分が勉強するということが目的で、【可愛い子に教えたい^^】は目的にたどり着くための手段にしたわけです

だから、「えっ、教えてあげようと思ったこっちは一生懸命勉強したのに、なんだよ、可愛いからって許されるわけじゃないぜ」と怒りプンプンにはならずに、
「あっ、そう、残念だけど、利用させてもらって、自分勉強して詳しくなれてよかった」

と内心、思えたわけです






私は、あまのじゃくなので、こういう風に、何かを理由に、それも自分が喜びそうなことをダシに使ってやると、私の心のエンジンがスイッチオンになる。
つまりモチベーションがアップするわけですが、そういう風に利用する、っていいのかな、と最近思う

ただ「利用する」じゃ、横柄かな、なんていうようにも思えるときがあるので

「利用させてもらう」
「活用する」

などと考えてる






なんだけど、これって人生なのかな、って少し大げさかもしれないけど思う

目の前の人、自分の周りのことを、最大限活かしていく、それが人生の醍醐味、自分の人生の有効利用なのかな、と

今・ここを生きる

大げさかもしれないけど、そんな風に思う昨今






そう考えると、「あいつ嫌なやつだな、あまり一緒にいたくないな」と思う人がいても

「そうだ、この人を利用して、自分の苦手な相手とのコミュニケーション能力を鍛えちゃえばいいんだ」

などと考え、その人を利用させてもらったりしてます

そうなると、不思議ですが、

「苦手な人、ありがとう m(__)m 」

とも思えてくるときがあるのです






あまのじゃくな私の生きる道








「解離とは、心身の統一がバラバラになる現象である。

トラウマだけで生じるのではないが、トラウマに遭遇したときにもっとも生じやすい反応なので、トラウマとは切っても切れない関係にある。

解離というこの心の働きは、大きな苦痛をともなう体験をしたとき、心のサーキットブレーカーが落ちてしまうかのように、意識を体から切り離す安全装置が働くことがもともとの基盤になっている。

これは次のように説明されている。

人はかつて、どちらかというと弱い生き物であった。

たとえば肉食獣に噛まれ、まさに捕食されそうになったとき、噛まれた苦痛でパニックになっていては逃げられる可能性は低くなる。

このような危機的瞬間に対処できるように、苦痛の回路を遮断してしまう安全装置が備わったという。






さらに、いよいよ逃げられなくなったときには、苦痛を遮断して楽に死ねるように安全装置が働くのである。

時間体験も変化する。

…スローモーションのように、数分の一秒の間に、いくつもの場面がゆっくりと無機質に認識される。

この意識の切り離しは場合によっては、体から離れて、外から見ているという体験に発展することもある。

たとえば性的虐待で、性交を強いられている自分を、天井から眺めていたり、ベッドの下に潜り込んで見上げていたりという経験をしている被虐待児は少なくない。

意識を体から切り離してしまえば、苦痛を感じなくてすむからにほかならない。

解離もまた人間だけの現象ではない。

有名なのは、狸がショックを受けたときに仮死状態になるいわゆる狸寝入りである。」






以下の書籍、105-106Pより






発達障害のいま (講談社現代新書)/杉山 登志郎




イメージって大事なんだな、と最近思う


イメージができると違う


そういう意味で、モデルがあるとやりやすいと思う


観察学習ってことか???


こういう人になりたいな、というのがあると


例えば、それが身近でよく知ってる人だと


真似しやすい、学びやすい、取り入れやすい





イメージしやすい、っていえば



だからか、知らず知らずに家族には似ちゃうところがあるんだろうなぁ