3歳の息子は無邪気だ
言葉のとおり邪気が無い
大泣きしたと思ったら、大笑いして
はしゃいだと思ったら、寝ている
エネルギーをマックスにして生きている
彼には未来への不安がない
彼には過去への後悔がない
つまり、時間という概念の中に生きていない
つねに、「今」を生きている
キリストは
「赤子のようでなければ天国に入れない」
と言った
時間という概念を一瞬忘れてみると
爽快な気分になる
エネルギーが湧いてくる
未来はない
過去もない
ずっと「今」しかない
原始時代も、弥生時代も、「今」で無かった瞬間はない
未来も過去もは頭の中で描いたイメージであり
そのイメージにわれわれの多くのエネルギーは費やされる
そういう意味で息子は最高の師匠なのである
弟から電話があった。
勤務先が異動になったという。
彼は今の職場でやりがいを見失っていた。
店長をしているが、店の仕事では世界が狭く
もっと広い視点で仕事がしたい、そう話していた。
相談に乗ったのはつい、2週間くらい前のことだった。
店舗をサポートする本部への異動。
希望通り、視野が広がる職場である。
今回の異動はめったにない栄転、
まずないことらしい。
人生は何が起こるか分からないね、
と笑って話した。
個人で理解できる範疇を超えたところで「何か」が動いているように感じた。
そして、弟との会話でさらにこの「何か」を感じる出来事があった。
それはまた次の機会に書こうと思う。
私はあるものを引き寄せた。
いや、引き寄せたのではなく、全体性の中で
出来事が「おこった」だけかもしれない。
また次回。
勤務先が異動になったという。
彼は今の職場でやりがいを見失っていた。
店長をしているが、店の仕事では世界が狭く
もっと広い視点で仕事がしたい、そう話していた。
相談に乗ったのはつい、2週間くらい前のことだった。
店舗をサポートする本部への異動。
希望通り、視野が広がる職場である。
今回の異動はめったにない栄転、
まずないことらしい。
人生は何が起こるか分からないね、
と笑って話した。
個人で理解できる範疇を超えたところで「何か」が動いているように感じた。
そして、弟との会話でさらにこの「何か」を感じる出来事があった。
それはまた次の機会に書こうと思う。
私はあるものを引き寄せた。
いや、引き寄せたのではなく、全体性の中で
出来事が「おこった」だけかもしれない。
また次回。
尾てい骨の当たりから地球の中心奥深くにつながる
グラウンディングは、有名なエネルギーワークだ
月曜日の朝はグラウンディングからスタート
尾てい骨だけでなく、骨盤を意識する
骨盤が重く、地中深くに沈んでいくようなイメージを持つ
地中深くに骨盤の根を張り、大地の荘厳なエネルギーを感じる
すると、へその裏(丹田)でマグマのような
活発で激しい動きのあるエネルギーを感じる
第1チャクラと第2チャクラを活性化させると
「さあ、やるぞ!」
という決意と強さが生まれる
今週もやるぞ!!
グラウンディングは、有名なエネルギーワークだ
月曜日の朝はグラウンディングからスタート
尾てい骨だけでなく、骨盤を意識する
骨盤が重く、地中深くに沈んでいくようなイメージを持つ
地中深くに骨盤の根を張り、大地の荘厳なエネルギーを感じる
すると、へその裏(丹田)でマグマのような
活発で激しい動きのあるエネルギーを感じる
第1チャクラと第2チャクラを活性化させると
「さあ、やるぞ!」
という決意と強さが生まれる
今週もやるぞ!!
瞑想していると
思考がごちゃごちゃと声を上げる
頭に残っている音楽が
止めようと思っても止まらない
ただ、その思考の声を
ただ、その音楽を
観察してじっとみつめる。
するとおだやかに思考や音楽のエネルギーは力を失い
その声は小さくなっていく。
自分の体と脳みそが
消えてしまうようなイメージをもつ
するとそこには意識だけが残る
その意識は、ただ存在するのみの静かな意識
「存在」としか呼べないような
ただ、ここにある意識。
それに触れていると、
なんとも気持ちがいい。
「自分」でいることは実はかなりのストレスがかかっていること
「自分」が消えたときに、平安が残る。
その「存在」は、ほかの誰にでも合って
人だけではなく、そこらへんの石にも、机にも、
この世にある全てに「存在」はある。
そういう意味で、私と目に映るすべてのものは
同価値であると気づく。
他との価値の差、すなわち「特別な存在」たらんとすることが
エゴであり、エゴは本質を見失わせる。
「存在」とは、ただ静かにあるだけであって
そこに価値はない。
価値はないけど、「存在」に触れることは
とても素晴らしいことだ。
思考がごちゃごちゃと声を上げる
頭に残っている音楽が
止めようと思っても止まらない
ただ、その思考の声を
ただ、その音楽を
観察してじっとみつめる。
するとおだやかに思考や音楽のエネルギーは力を失い
その声は小さくなっていく。
自分の体と脳みそが
消えてしまうようなイメージをもつ
するとそこには意識だけが残る
その意識は、ただ存在するのみの静かな意識
「存在」としか呼べないような
ただ、ここにある意識。
それに触れていると、
なんとも気持ちがいい。
「自分」でいることは実はかなりのストレスがかかっていること
「自分」が消えたときに、平安が残る。
その「存在」は、ほかの誰にでも合って
人だけではなく、そこらへんの石にも、机にも、
この世にある全てに「存在」はある。
そういう意味で、私と目に映るすべてのものは
同価値であると気づく。
他との価値の差、すなわち「特別な存在」たらんとすることが
エゴであり、エゴは本質を見失わせる。
「存在」とは、ただ静かにあるだけであって
そこに価値はない。
価値はないけど、「存在」に触れることは
とても素晴らしいことだ。
いま、一番社会貢献している人は「お母さん」だと思います。
人口を増やすことは、国の力を増やすことと直結しています。
人口が減っている今、「子育て」は深刻な社会問題である「人口減」を解決する唯一のアプローチです。
非常に価値の高い仕事です。
しかし、今はあまり子育てがしやすい環境とは言えません。
けっこう大変です。
ですから、お母さんを応援する人が増えればいいな、と思ってます。
例えば、電車の中で子供を抱いて立っているお母さんがいたら席を譲ってあげて欲しいです。だっこは腰が痛くてホントしんどいんです。
もし、人のために何かするのが気恥しければ、この事実を思い出してください。
「この人は私の年金を払ってくれる人を無償で育ててくれている。」
そう思えば、どうぞ座ってください、って言えます(笑)。
そして、何より「子育て」を経験する人が増えることを願います。
私は男性なので、子 供との関わり方は母親と比べてどうやっても間接的ではありますが、
こんなにエキサイティングでやりがいと喜びと嬉しさのある仕事はなかなか見つからないと思います。
疲れるけどね(笑)。
人口を増やすことは、国の力を増やすことと直結しています。
人口が減っている今、「子育て」は深刻な社会問題である「人口減」を解決する唯一のアプローチです。
非常に価値の高い仕事です。
しかし、今はあまり子育てがしやすい環境とは言えません。
けっこう大変です。
ですから、お母さんを応援する人が増えればいいな、と思ってます。
例えば、電車の中で子供を抱いて立っているお母さんがいたら席を譲ってあげて欲しいです。だっこは腰が痛くてホントしんどいんです。
もし、人のために何かするのが気恥しければ、この事実を思い出してください。
「この人は私の年金を払ってくれる人を無償で育ててくれている。」
そう思えば、どうぞ座ってください、って言えます(笑)。
そして、何より「子育て」を経験する人が増えることを願います。
私は男性なので、子 供との関わり方は母親と比べてどうやっても間接的ではありますが、
こんなにエキサイティングでやりがいと喜びと嬉しさのある仕事はなかなか見つからないと思います。
疲れるけどね(笑)。
今日はある人と話していて昔の自分を振り返った。
僕は口では自分のやりたいことを見つけたい、と謂いながら本音は今の仕事が嫌なだけだった。
もっと素晴らしい可能性に満ちた天職のような仕事があるはず!と思えば思うほど、目の前の他人の親切や、貴重な瞬間を味わうことなくスルーしてしまっていた。
夢、理想、希望が自分のエネルギーの源になるなら良いが、
往々にして、夢、理想、希望が人生の素晴らしさを奪ってしまう。
いま、この瞬間をとらえる。
すると、未来への不安が消え、過去の後悔も消える。
僕は口では自分のやりたいことを見つけたい、と謂いながら本音は今の仕事が嫌なだけだった。
もっと素晴らしい可能性に満ちた天職のような仕事があるはず!と思えば思うほど、目の前の他人の親切や、貴重な瞬間を味わうことなくスルーしてしまっていた。
夢、理想、希望が自分のエネルギーの源になるなら良いが、
往々にして、夢、理想、希望が人生の素晴らしさを奪ってしまう。
いま、この瞬間をとらえる。
すると、未来への不安が消え、過去の後悔も消える。
あるがままにいよう。
~~~~~~~
→あるがままでないことが前提。欠乏感から満足感。つまりは方向を帯びている。
あるがままだ。
~~~~
→ あるがままであることが前提。方向性がない。
「方向性」を帯びているものに気づき、静止させる。線を点にする。
点は無限。永遠。
~~~~~~~
→あるがままでないことが前提。欠乏感から満足感。つまりは方向を帯びている。
あるがままだ。
~~~~
→ あるがままであることが前提。方向性がない。
「方向性」を帯びているものに気づき、静止させる。線を点にする。
点は無限。永遠。
ある女の子の話をします。
その女の子にはあったことがありません。
その女の子は本の中で出会いました。
その子は多発性硬化症という病気にかかっています。
その病気の薬を飲むと顔が膨れてまんまるになってしまうそうで
ずっと悩んでいたそうです。
その子はある時、ふと
「私の顔が丸くて困るのは、誰かな?」
と自分に問いかけました。
すると
「太って困るのは、この広い世界の中で私たった一人だけだった」
と気がつきます。
「私以外のすべての人は私の顔が太ってても細くても関係なかったんだ。」
と思ったらあきれて疲れがどっと出たそうです。
それからというものの、彼女は、
「まんまるでもいい、いい顔を目指そう」
と思って、太っていても笑顔が素敵な人を目指しているそうです。
この本を読んで、そしてこの女の子に出会って
私は大きな視点の変化を感じました。
本を読んだ当時、私は会社での仕事を辞めたいと思っていました。
もっと自分に合った仕事をしたい。
好きな仕事で独立をして、充実した毎日を過ごしたい。
と思っていました。
この女の子のエピソードを真似して
「今の仕事をしていて困るのは誰だろう?」
と自分に問いかけました。
すると、私以外誰も困っていないことに気がつきました。
それどころか、毎月決まった額の給料が安定して入ってきて
妻と子供にしてみれば、独立して不安定な収入になるより
喜ばしい状態にあったのです。
私自身も会社でいろんな知識を学ぶことができていたし
私のことをフォローしてくれる同僚や先輩も
たくさんいたのです。
それなのに、すべて見て見ぬふりをしていました。
また、独立したいというのも独立すれば何か特別な存在になれそうな気がしているだけで
テレビや本に登場する成功者と自分を比較して感じる劣等感を埋め合わせたい。
という単なる自分のエゴを満たしたいだけでした。
「困っているのは自分だけ。」
そして
「困らせているのは自分。」
ということにも気がつきました。
自作自演のドラマ中で、一人で悩んでいる私を発見したとき
ああ、なんて私は愚かなんだろう。
と思いました。
「愚か」と書きましたが、決して自分を責めているわけではなく
気づきを得られたことで、長年心を煩わせていた
悩みの原因を掴んだような感じがしていて
気持ち的には、とーーーーーってもスッキリした気持ちになっていました。
そして、本に登場した女の子が、
「顔がまんまるでもいい顔を目指そう」と思ったように
「会社の仕事をしながら、今の自分にできることをしよう。」
と思って、いろんな人に相談したり試行錯誤した結果
今では心理セラピーを提供し、喜んでいただいています。
よく、「あるがままの自分を受け入れよう」ということが言われます。
でも「あるがままの自分」を受け入れたら
それ以上、行動しなくなってしまうんじゃないか、
成長しなくなっちゃうんじゃないか、と思っていました。
でもそれは誤解で
今自分が置かれている状況や、自分自身を否定しなくなったら
ちゃんと出来ることが見えてくるんですね。
そして、それを行う気力も出てくる。
そんなことをこの本から教えてもらいました。
ご興味がありましたら、
読んでみてください。


ありがとうの花―魔法のメルマガは朝8時に届く
PS:
今週法事があるので
かいとは冠婚葬祭用のスーツを買いました。
まだ着たのを見ていないのですが
子供のスーツ姿ってかわいいですよね。
法事すら楽しみにしてくれる子供の力は偉大です。
心吾
その女の子にはあったことがありません。
その女の子は本の中で出会いました。
その子は多発性硬化症という病気にかかっています。
その病気の薬を飲むと顔が膨れてまんまるになってしまうそうで
ずっと悩んでいたそうです。
その子はある時、ふと
「私の顔が丸くて困るのは、誰かな?」
と自分に問いかけました。
すると
「太って困るのは、この広い世界の中で私たった一人だけだった」
と気がつきます。
「私以外のすべての人は私の顔が太ってても細くても関係なかったんだ。」
と思ったらあきれて疲れがどっと出たそうです。
それからというものの、彼女は、
「まんまるでもいい、いい顔を目指そう」
と思って、太っていても笑顔が素敵な人を目指しているそうです。
この本を読んで、そしてこの女の子に出会って
私は大きな視点の変化を感じました。
本を読んだ当時、私は会社での仕事を辞めたいと思っていました。
もっと自分に合った仕事をしたい。
好きな仕事で独立をして、充実した毎日を過ごしたい。
と思っていました。
この女の子のエピソードを真似して
「今の仕事をしていて困るのは誰だろう?」
と自分に問いかけました。
すると、私以外誰も困っていないことに気がつきました。
それどころか、毎月決まった額の給料が安定して入ってきて
妻と子供にしてみれば、独立して不安定な収入になるより
喜ばしい状態にあったのです。
私自身も会社でいろんな知識を学ぶことができていたし
私のことをフォローしてくれる同僚や先輩も
たくさんいたのです。
それなのに、すべて見て見ぬふりをしていました。
また、独立したいというのも独立すれば何か特別な存在になれそうな気がしているだけで
テレビや本に登場する成功者と自分を比較して感じる劣等感を埋め合わせたい。
という単なる自分のエゴを満たしたいだけでした。
「困っているのは自分だけ。」
そして
「困らせているのは自分。」
ということにも気がつきました。
自作自演のドラマ中で、一人で悩んでいる私を発見したとき
ああ、なんて私は愚かなんだろう。
と思いました。
「愚か」と書きましたが、決して自分を責めているわけではなく
気づきを得られたことで、長年心を煩わせていた
悩みの原因を掴んだような感じがしていて
気持ち的には、とーーーーーってもスッキリした気持ちになっていました。
そして、本に登場した女の子が、
「顔がまんまるでもいい顔を目指そう」と思ったように
「会社の仕事をしながら、今の自分にできることをしよう。」
と思って、いろんな人に相談したり試行錯誤した結果
今では心理セラピーを提供し、喜んでいただいています。
よく、「あるがままの自分を受け入れよう」ということが言われます。
でも「あるがままの自分」を受け入れたら
それ以上、行動しなくなってしまうんじゃないか、
成長しなくなっちゃうんじゃないか、と思っていました。
でもそれは誤解で
今自分が置かれている状況や、自分自身を否定しなくなったら
ちゃんと出来ることが見えてくるんですね。
そして、それを行う気力も出てくる。
そんなことをこの本から教えてもらいました。
ご興味がありましたら、
読んでみてください。
ありがとうの花―魔法のメルマガは朝8時に届く
PS:
今週法事があるので
かいとは冠婚葬祭用のスーツを買いました。
まだ着たのを見ていないのですが
子供のスーツ姿ってかわいいですよね。
法事すら楽しみにしてくれる子供の力は偉大です。
心吾
今日もサクっと気づきだけ書きます。
人間の行動は「禁止」と「許可」で決まっていると思っています。
自分が何を禁止しているのか。
自分が何を許可しているのか。
幸せになってはいけない、と思っている人は
無意識のうちに不幸な方へ行き
幸せになってもいい、と思っている人は
幸せな方へ行く。
とてもシンプルなことだと思います。
だけど、自分が何を禁止しているのかは
自分で考えて出てくるものではなく、
他人との関係において初めて理解できる。
例えば、叱られてゴッソリへこんでしまったとき
ああ、自分は叱られることを禁止しているな、とか
不完全であることを禁止しているな、とか
気がつけるわけです。
そんなときは、
自分に対して、叱られてもいいよ、
不完全でもいいよ、失敗してもいいよと許可を出してあげると
バランスがとれて、力が戻ってきます。
こう書くと許可って「おなぐさみ」みたいな感じがするけど
現実を変える強い力があります。
よくアファメーションというのがあって
「●月●日までに、私は●●になります」
って言ったり紙に書いておくと実現するっていう話を聞きます。
確かに、その方法で実現することもあると思うけれども
心の無意識のところで
「そんなのムリ」
って思っていたら、絶対にかないません。
私はそれより
「●●してもよい」
という許可を与えるほうが好きです。
4年前に初めて人前でセミナーをした時は
経験も、知識もたいしてなかった。
ただ、自分が話したいことがあって
それを人に伝えたかったし、
セミナーをしてみたらどうなるだろう、という好奇心があっただけ。
でも心の中では
立派な人にならないと、セミナーなんかしちゃいけない!
絶対無理!っと思っていた。
だから
「今の私は何にもないけど、セミナーをやってもよい」
と許可を与えた。
それだけで、実現しました。
みなさまも気が向きましたら
自分は何を禁止していて
自分は何を自分に許しているのか
を感じてみてください。
そして、もし、許可を与えたいことがあったら
毎日口に出してみると良いかもしれません。
「私は私の人生を生きて良い。」
「私は自分をもっと好きになってよい」
「私はネガティブでもよい」
「私は人とうまくやれなくてもよい」
「私は恋人を作ってもよい」
「私は人に助けを借りてもよい」
「私は幸せになってよい」
などなど。
サクっと書くつもりが長々書いてしまいました。
今日も読んでいただいてありがとうございました。
PS:
今日はかいとと二人でクリスマスツリーの飾り付けをしました。
かいとはボールの飾り付けをしてくれました。
かいとは背が低いので、ツリーの下の方にしかつけられません。
だから、下の方にボールがいっぱい。
決してきれいなデコレーションにならなかったけど
なおさず、そのままにしました。
だって、生まれて初めての作品ですから。
不格好だっていいんです。
下の方にボールがいっぱいついたクリスマスツリーは
これから1ヶ月半、我が家のリビングに
クリスマスが近づくワクワク感を演出してくれます。
心吾
人間の行動は「禁止」と「許可」で決まっていると思っています。
自分が何を禁止しているのか。
自分が何を許可しているのか。
幸せになってはいけない、と思っている人は
無意識のうちに不幸な方へ行き
幸せになってもいい、と思っている人は
幸せな方へ行く。
とてもシンプルなことだと思います。
だけど、自分が何を禁止しているのかは
自分で考えて出てくるものではなく、
他人との関係において初めて理解できる。
例えば、叱られてゴッソリへこんでしまったとき
ああ、自分は叱られることを禁止しているな、とか
不完全であることを禁止しているな、とか
気がつけるわけです。
そんなときは、
自分に対して、叱られてもいいよ、
不完全でもいいよ、失敗してもいいよと許可を出してあげると
バランスがとれて、力が戻ってきます。
こう書くと許可って「おなぐさみ」みたいな感じがするけど
現実を変える強い力があります。
よくアファメーションというのがあって
「●月●日までに、私は●●になります」
って言ったり紙に書いておくと実現するっていう話を聞きます。
確かに、その方法で実現することもあると思うけれども
心の無意識のところで
「そんなのムリ」
って思っていたら、絶対にかないません。
私はそれより
「●●してもよい」
という許可を与えるほうが好きです。
4年前に初めて人前でセミナーをした時は
経験も、知識もたいしてなかった。
ただ、自分が話したいことがあって
それを人に伝えたかったし、
セミナーをしてみたらどうなるだろう、という好奇心があっただけ。
でも心の中では
立派な人にならないと、セミナーなんかしちゃいけない!
絶対無理!っと思っていた。
だから
「今の私は何にもないけど、セミナーをやってもよい」
と許可を与えた。
それだけで、実現しました。
みなさまも気が向きましたら
自分は何を禁止していて
自分は何を自分に許しているのか
を感じてみてください。
そして、もし、許可を与えたいことがあったら
毎日口に出してみると良いかもしれません。
「私は私の人生を生きて良い。」
「私は自分をもっと好きになってよい」
「私はネガティブでもよい」
「私は人とうまくやれなくてもよい」
「私は恋人を作ってもよい」
「私は人に助けを借りてもよい」
「私は幸せになってよい」
などなど。
サクっと書くつもりが長々書いてしまいました。
今日も読んでいただいてありがとうございました。
PS:
今日はかいとと二人でクリスマスツリーの飾り付けをしました。
かいとはボールの飾り付けをしてくれました。
かいとは背が低いので、ツリーの下の方にしかつけられません。
だから、下の方にボールがいっぱい。
決してきれいなデコレーションにならなかったけど
なおさず、そのままにしました。
だって、生まれて初めての作品ですから。
不格好だっていいんです。
下の方にボールがいっぱいついたクリスマスツリーは
これから1ヶ月半、我が家のリビングに
クリスマスが近づくワクワク感を演出してくれます。
心吾
あることが頭から離れません。
それは・・・
なぜ、こんにゃく?
詳しくは⇒コチラ
数あるモノの中から彼はなぜこんにゃくを選んだのか?
気になります。
私はこの「気になる」を結構大事にしています。
「気になる」っていうことは何かあるから「気になる」わけであって
何もなければ気にならないはずです。
こんな時、「あ、これは何かあるな?」って思ってちょっと深く思いを巡らせてみます。
まず、「大きくなったら何になる?」のアンサーが「こんにゃく」ですから、
「大きくなる」と「こんにゃく」に何か関連がありそうです。
「こんにゃく」は「こんにゃく芋」からできます。
「イモ」が大きくなって「こんにゃく」になります。
みなさん、知ってましたか?
こんにゃくは芋からできるんですよ。
って知ってますよね。
でも、私がこんにゃくが芋からできているということを知った時
体中に衝撃が走りました。
だって、あんなくにゃくにゃしたグレーの食べ物が
まさかまさかイモだったなんて!!
確か小学校低学年の時に教育テレビを見ていて
その驚きの事実を知ったのですが、
正直、
「うっそーーーー!!!!!」
と思いました。
それくらい衝撃だったのです。
そして、私が衝撃を受けるくらい
おそらく、当人はもっと衝撃だと思うのです。
当人とは、そう「イモ」です。
「イモ」に気持ちがあったならば、
「こんにゃく」に変わった自分を鏡で観た時。
「うっそーーーー!!!!!」
だと思うのです。
「これがわたし?」
もしくは
「これ、自分ッスか??」
だと思うのです。
えー、無駄に行数使いましたが
結局何が言いたいかというと
息子が
おおきくなったらこんにゃくになりたい
と言ったのは、人生はイモがこんにゃくになるみたいなことが起こるかもよ、
ということだと思うのです。
以下、訳してみたいと思います。
本文:「おおきくなったら何になりたい?・・・・こんにゃく!」
訳:
大きくなったら何になりたいか、だって?
パパ、僕の考えを聞いてくれる?
こんにゃく芋がね、こんにゃくになるなんて知る由もないだろう?
まさか、自分がこんにゃくになるなんて思いもよらないのさ。
自分で自分の未来を決めるのもいいけど「まさか」っていう人生もあるんだよ。
こんにゃくになるかもしれないし、はんぺんになるかもしれないし、
それを楽しむってのもいいよね。
パパは「人生をこうしたい!」っていうエネルギーが強くなると力が入るよね。
「人生をこうしたい!」っていうエネルギーは
自分の範囲で物事を考えがち。
もっとリラックスして、心をオープンにしていけば
この世界は広くて豊かでいつでも手を差し伸べてくれるのに、
その豊かさが流れてくる余裕とか、隙間がなくなっちゃうよ。
流れに任せて、力を抜いて。
ぐにゃぐにゃぐにゃ~って。
こんにゃくみたいにリラックスすれば、うまくいくんだよ。
そっか、ちょっと頑張りすぎてたかもな。
と、気が楽になりました。
最初の「あ、これは何かあるな?」は正解だったみたいです。
もちろん、息子はこんなことを思っていません。
単なる私の空想(妄想)でしょう。
ただ、
自分の日常生活の些細な出来事から
この出来事は何の意味があるんだろう?
この出来事は何を教えてくれているんだろう?
って思って生活すると
小さいことでも、そこにたくさんの情報が入っていることを感じることができたり、
ちゃんと自分に必要な情報は与えられているな、と感じることができたり
自分もこの宇宙の一部なんだ、と感じることができたり
自分は孤独じゃないんだ、と感じることができます。
ちょっと分かりずらいテーマだったので
長々と書いてしまいました。
でも個人的にバカっぽくて楽しく書けました。
活字だとどうしても固い表現になっちゃうんで。
長々読んでいただき、ありがとうございました。
PS:
毎朝
「パパ、今日はお仕事行かないの?」
と聞いてくるかいとくん。
「お仕事行くよ」
というと
「行かないでーーー!!!」
「朝帰ってきてーーーー!!」
※「朝」というのは彼の言語では太陽が出ている時間、つまりお昼頃という意味。
まだ、朝と昼の違いが分からない。
と言ってくれます。
悪い気はしないんだけど、遅刻しちゃいそうな毎日です。
※バカ話もまんさいのワークショップ、ぜひどうぞ。
癒しのワークショップ「自分を癒す、他人を癒す」
それは・・・
なぜ、こんにゃく?
詳しくは⇒コチラ
数あるモノの中から彼はなぜこんにゃくを選んだのか?
気になります。
私はこの「気になる」を結構大事にしています。
「気になる」っていうことは何かあるから「気になる」わけであって
何もなければ気にならないはずです。
こんな時、「あ、これは何かあるな?」って思ってちょっと深く思いを巡らせてみます。
まず、「大きくなったら何になる?」のアンサーが「こんにゃく」ですから、
「大きくなる」と「こんにゃく」に何か関連がありそうです。
「こんにゃく」は「こんにゃく芋」からできます。
「イモ」が大きくなって「こんにゃく」になります。
みなさん、知ってましたか?
こんにゃくは芋からできるんですよ。
って知ってますよね。
でも、私がこんにゃくが芋からできているということを知った時
体中に衝撃が走りました。
だって、あんなくにゃくにゃしたグレーの食べ物が
まさかまさかイモだったなんて!!
確か小学校低学年の時に教育テレビを見ていて
その驚きの事実を知ったのですが、
正直、
「うっそーーーー!!!!!」
と思いました。
それくらい衝撃だったのです。
そして、私が衝撃を受けるくらい
おそらく、当人はもっと衝撃だと思うのです。
当人とは、そう「イモ」です。
「イモ」に気持ちがあったならば、
「こんにゃく」に変わった自分を鏡で観た時。
「うっそーーーー!!!!!」
だと思うのです。
「これがわたし?」
もしくは
「これ、自分ッスか??」
だと思うのです。
えー、無駄に行数使いましたが
結局何が言いたいかというと
息子が
おおきくなったらこんにゃくになりたい
と言ったのは、人生はイモがこんにゃくになるみたいなことが起こるかもよ、
ということだと思うのです。
以下、訳してみたいと思います。
本文:「おおきくなったら何になりたい?・・・・こんにゃく!」
訳:
大きくなったら何になりたいか、だって?
パパ、僕の考えを聞いてくれる?
こんにゃく芋がね、こんにゃくになるなんて知る由もないだろう?
まさか、自分がこんにゃくになるなんて思いもよらないのさ。
自分で自分の未来を決めるのもいいけど「まさか」っていう人生もあるんだよ。
こんにゃくになるかもしれないし、はんぺんになるかもしれないし、
それを楽しむってのもいいよね。
パパは「人生をこうしたい!」っていうエネルギーが強くなると力が入るよね。
「人生をこうしたい!」っていうエネルギーは
自分の範囲で物事を考えがち。
もっとリラックスして、心をオープンにしていけば
この世界は広くて豊かでいつでも手を差し伸べてくれるのに、
その豊かさが流れてくる余裕とか、隙間がなくなっちゃうよ。
流れに任せて、力を抜いて。
ぐにゃぐにゃぐにゃ~って。
こんにゃくみたいにリラックスすれば、うまくいくんだよ。
そっか、ちょっと頑張りすぎてたかもな。
と、気が楽になりました。
最初の「あ、これは何かあるな?」は正解だったみたいです。
もちろん、息子はこんなことを思っていません。
単なる私の空想(妄想)でしょう。
ただ、
自分の日常生活の些細な出来事から
この出来事は何の意味があるんだろう?
この出来事は何を教えてくれているんだろう?
って思って生活すると
小さいことでも、そこにたくさんの情報が入っていることを感じることができたり、
ちゃんと自分に必要な情報は与えられているな、と感じることができたり
自分もこの宇宙の一部なんだ、と感じることができたり
自分は孤独じゃないんだ、と感じることができます。
ちょっと分かりずらいテーマだったので
長々と書いてしまいました。
でも個人的にバカっぽくて楽しく書けました。
活字だとどうしても固い表現になっちゃうんで。
長々読んでいただき、ありがとうございました。
PS:
毎朝
「パパ、今日はお仕事行かないの?」
と聞いてくるかいとくん。
「お仕事行くよ」
というと
「行かないでーーー!!!」
「朝帰ってきてーーーー!!」
※「朝」というのは彼の言語では太陽が出ている時間、つまりお昼頃という意味。
まだ、朝と昼の違いが分からない。
と言ってくれます。
悪い気はしないんだけど、遅刻しちゃいそうな毎日です。
※バカ話もまんさいのワークショップ、ぜひどうぞ。
癒しのワークショップ「自分を癒す、他人を癒す」