「空白」
遠くの方で誰かが呼ぶ声がした。僕は返事をしてそちらに駆け寄ろうとするが、なかなか前に進むことが出来ない。やがて声のした辺りに辿り着いて辺りを見渡すが、もうそこには誰もいない。悲しくなって僕は目を覚ました。
目を覚ますと僕は泣いていた。その夢が遠い昔の記憶なのか、それとも何かの暗示なのか定かでは無いが、この胸を裂かれるような切なさだけは実感としてある。「朝だよ」僕は横で眠る彼女に声を掛けた。
「泣いていたの?」
覚醒し切らない虚な目でぼんやりと、しかし心配そうに彼女は聞いた。
「哀しい夢を見たんだ」
「つらかったのね」
「いや、つらくはないよ。少し哀しかっただけだから」
「寂しい?」
「さぁ」
彼女はしばらく何かを考えている様子だった。
「私に何かを求め過ぎないでね。私はあなたの抱える心の空白、空虚さに束の間収まっているだけの存在に過ぎないのよ」
「そうかな」
「そうよ。何かを求め過ぎたとき、それは終わってしまうのよ」
僕は時計を見た。午前8時。ホテルのチェックアウトまでには随分間があったが、結局僕たちはそこを出る事にした。
別れ際彼女は、もう会わない方がいいのかも知れないわねと言った。僕は何と言っていいのか分からず黙っていた。その沈黙が彼女を傷付けたのか、あるいは単に意志を固くさせただけなのかは分からない。
「じゃあね」
それだけ言い残して彼女は駅の方に歩いて行ってしまった。しばらく僕は所在なくそこに立っていたが、やがて彼女とは逆方向に向かって足を踏み出した。すこし、歩きたい気分だった。