「感情の迷宮」
彼が僕の何に対して腹を立てていたのか、今となっても分からない。あるいは僕の態度に問題があったのかも知れない。もしくは僕が何かしでかしたのかも知れない。とにかく、僕は小学校6年生になるまでの3年間を一緒に過ごした親友を失うことになった。
彼が転校してきたのは僕が小学校3年生のとき、それまでも父親の仕事の都合で何度か引っ越しを重ねて来たという。最初から僕とは気が合って、よく休み時間や放課後にキャッチボールをしたりして過ごした。しかしある日、小学校6年生に上がってしばらくした夏休み前ごろ、彼の転校が決まった。沖縄だという。僕はとても寂しい思いをしたが(僕には彼の他に友達と呼べる子がほとんどいなかった)、それでも彼が転校する前日、僕は大切にしていたトレーディングカードを彼に贈った。もちろん僕は今ではそのカードを集めてはいないのだが(あれから20年以上が経った)それは今ではプレミアがついてかなりの値になっているという。彼も笑顔でそれを受け取り、また連絡するから、と言って別れた。それからいくら待っても彼から連絡はなかった。
僕はそれほど連絡が無いことを気にしていた訳ではないのだが(何か事情があるのだろう)、久しぶりに彼に電話してみることにした。確か中学校に上がったか上がらなかったかぐらいだったと思う。まず電話に出たのは彼のお母さんだった。僕が名前を告げると少し彼女は口ごもったような気がした。そして電話の向こうで彼の名前を呼んだ。しばらくして(僕にはとても長い時間に感じられた)彼が電話口に出た。
「はい」
「久しぶり」
「うん」
「元気?」
「うん」
「そう」
「…」
「あのカード使ってる?」
「カード?」
「転校する前に渡した」
「あぁ…人にあげた」
「え?」
「もういい?テレビ観てるから」
「あぁ…」
そこで電話は切れた。それ以来彼とは連絡を取っていない。
どこで行き違いがあったのだろう?しばしば僕たちは日常の中で感情の不思議な迷宮に迷い込む事がある。様々な人の様々な感情によって入り組んだ複雑な迷宮に。そこには出口なんて無い。そもそも人を迷い込ませるために作られたようなものなのだ。僕たちはそんなところに迷い込むたびに深いため息をつき途方に暮れることになる。やれやれ、全く一体誰がこんなものを作ったんだろうと。一体誰が、何のために?