「ノック」
ノックの音は断続的に続いていた。コンコン…コンコン…コンコンコン…ふぅ。
僕は玄関のドアを開けた。
「あの」
隣の部屋をノックしていた女はこちらを見た。
「いないんじゃないですか、隣の人」
「ねぇあなた、彼がどこに行ったか知らない?」
「知りませんね。だいたい挨拶すらロクにしたことも無いんです」
「どこに行っちゃったのかしら。何度電話しても繋がらないし。ねぇ、本当にあなた何も知らない?」
僕が黙って首を振ると、女はまたノックを再開した。コンコン、コンコン、コンコンコン…やれやれ。
女は濃い化粧をして泣き腫らした目をしていた。香水の匂いだけが甘く優しく、哀しかった。
「とにかくもう帰った方がいい。その人を見かけたら、あなたが来ていたことを伝えておくので」
「いいわ、ごめんなさい。本当は家まで来るなって言われているの。でもどうしても顔を見て話がしたくて、それで…」
女は鼻をすすった。
「わからないわ、あの人が考えてること。でもたまに電話くれたりするし…馬鹿よね、好きでも無いって分かってるクセに」
女は無理に笑うとそう言った。崩れた化粧が薄暗い蛍光灯の下で彼女の顔を余計に疲れて見せていた。
女が帰ると僕は玄関のドアを閉め、何も考えずにタバコを一本吸った。そしてグラスの底に残ったウイスキーを飲み干して布団に入り、枕元の時計を見た。午前2時過ぎだ。
やれやれ、とにかくこれで朝までノックの音に悩まされることは無いワケだ。