「タクシーにて」
「こういう仕事してるとね、怖い体験の一つや二つあるもんなんですよ」
運転手は言った。
「あれは雨のしとしと降る、夏の終わりの少し肌寒いような日でしたねぇ」
ルームミラーに写る運転手の表情は少しぼんやりとして、記憶を遡っている様だった。
「夜も更けて来たんで、ボチボチ会社にでも戻ろうかと思ってるところに、女の人が一人、手を上げてるのが目に入ったんです。夜更けに女性が一人で妙だなぁと思いましてね…」
そこで運転手は言葉を切った。
「綺麗な人だったんですが、なんかこう暗い雰囲気っていうか、時間も時間だし気味が悪かったんですが、乗車拒否ってわけにもいかないんで私は彼女を乗せることにしました」
僕は黙って彼の言葉の続きを待った。
「そして彼女の告げた行き先ってのがまた山の中なんです。早く送り届けちまおうと思って車を走らせていたんですが、途中ふと気になってルームミラーを見るとね、その女性の姿が無いんです。ギョッとして後ろを振り返ると、ちゃんと女は座っています。もうゾッとしちゃいましてね」
運転手は怖さを紛らわすように苦笑いしてみせた。
「ようやく女の言う目的地に辿り着いて後ろを振り返ると今度は本当に女がいないんです。びっくりして辺りを見渡すと、そこに一本の太い気がありまして、なんとそこには…」
僕は固唾を呑んで彼の言葉の続きを待った。
「あ、お客さん、この辺でよろしいですか?」
唐突に運転手は言った。
「えっ?」
「着きましたよ」
辺りを見渡すと確かにそこは僕の目的地だった。
「え、話の続きは?」
「ごめんなさい、次予約が入っちゃったもんだからスグ行かなくちゃ」
納得いかないまま僕が料金を払うと、さっさとタクシーは走り去って行った。なんて言うか、うーん、すごくモヤモヤするなぁ…。