「洗練」
世の中には洗練された小説とそうでない小説がある。また洗練された文体とそうでない文体がある。洗練された小説がその流麗な筆致によって人を惹きつけるように、洗練されていない小説もまた、そのゴツゴツとした異物感によって人を惹きつけるのであった。
僕にその短編集を紹介してくれたのは近所に住む作家であった。彼は華麗な筆致と洗練されたストーリーで人気を博している作家であった。そして彼が紹介してくれたその短編集の作品たちは、洗練されていないがゆえに僕の心を惹きつけた。
それから数年ののち、僕は引っ越しをしてその作家と会うことも無くなっていたが、ある日新聞の記事でその作家が亡くなったことを知った。自殺だという。晩年はその華麗な筆致に翳りが見えていると評価されていた。僕はその晩年の作品たちをより好んで読んでいたのだが。
ある日ふと、「あの作家が昔僕に紹介してくれた短編集の作品たちは、彼のものだったのではないか」と思った。そう思って読み返してみるとその文体にはどこか似ている所があった。
芸術家は処女作に向けて完成するという。晩年の彼の筆致に翳りが見えたと言うが本当にそうなのだろうか?彼は自身の初めての短編集の、洗練こそされていないが、だからこそ人の心に残る作品に立ち返ろうと彼なりに試行錯誤をしていたのではないだろうか?そしてその闘いの末に燃え尽きるように命を絶ったのではないだろうか?だとしたら彼の闘いは無駄じゃない。全然無駄なんかじゃない。彼の晩年の作品を読み返しながら僕はそう思った。
今、僕も小説を書き続けている。文体の華麗さこそ無いが、誰かの心に残るものを求め続けて。万人の心を惹きつけることは無いかもしれないが、それでも。