「地震」
阪神淡路大震災が起こったのは1995年1月17日であるから、今から27年前、僕が8歳になる年である。当時の僕は神戸の須磨に住んでいた。早朝の激しい縦揺れで“叩き起こされた”ものの全く状況が掴めない。8歳の僕は地震などというものをほとんど経験したことが無かったし、ましてやこれほどの激しい揺れに見舞われたのは初めてであった。そのため、命の危機などというものはそれほど感じられなかったが、隣で寝ていた母親が必死になって僕に覆いかぶさっており、あぁ、これは何か重大なことが起こっているんだなぁ、と思っただけである。
地震という有事が文字通り“揺り動かした”のは政治、経済、我々の暮らしなど安定した地盤を前提に築き上げられた、ある意味平和ボケしたような物事のあり方だった。それともう一つ、地震が激しく揺り動かしたのは僕たちの精神そのものだったのかも知れない。
あれ以来僕たちは、平穏な暮らしの中にもどこか「このように平穏に見える暮らしも、激しい揺れによって一瞬にしてその基盤を壊されてしまうのでは無いか」という疑念を常に持つようになった。そのような不安定な基盤の上にオウムのような過激な新興宗教がある一定の人々の心をとらえてしまったということもある。そして今、直接被災することこそ無かったが、2011年の東日本大震災を経て僕はこうして生きている。いくつかの精神構造の大きな揺さぶりを経て、この不安定な社会をなんとか生き抜こうとしている。