「ベル」
電話のベルが鳴ったとき、僕たちはキッチンでコーヒーを飲んでいた。
「出なくていいの?」
僕は聞いてみた。彼女は今職を探している最中だし、仕事に関係した電話かも知れない。
「いいのよ」
彼女は言った。
「どうせ大した電話なんて掛かって来やしないんだから」
次にベルが鳴ったとき、我々はベッドの中にいた。今回も彼女は電話を取らなかった。それどころか、今鳴っている電話のベルが彼女に聞こえているのかどうかすら怪しかった。それぐらい彼女は自然にベルを無視した。
「ねぇ、どうして電話を取らないの?」
「どうして電話を取らなくちゃならないの?」
彼女はまるでその答えが宙に浮かんでいるかのように、虚空を眺めながら言った。
何日かあとに僕が彼女の家に電話を掛けてみたら彼女はちゃんと電話に出た。
「僕の電話番号が表示されていたから出たの?」
「いいえ、あなたの電話番号まで覚えていたりはしないわ」
「じゃあどうして今回は電話に出ようと思ったの?」
「あなたの電話だって分かったから」
「どうして僕からだって分かったんだい?」
「ベルの響き方よ。あなたからの電話って少し変わったベルの響き方をするのよ」
「まさか」
「本当よ。あなたからの電話はあなたからの電話らしく響くし、他の人からの電話はそうじゃないわ。それにね」
そこで彼女は言葉を区切ると、微笑んだのが分かった。
「私あなたからの電話のベルの音って好きよ。柔らかくて、暖かいの」
「そんなものかな」
彼女は再び電話口でにっこりと微笑むと、
「また会いましょう」
そう言って電話を切った。彼女の家ではまた電話のベルが鳴り続けているのだろうか?そして彼女はまた、空中に浮かんだ何かの答えを探し続けているのだろうか?