ひとりごと | shingo722のブログ

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 「ひとりごと」
 
 ある朝僕は目覚めると顔を洗い、鏡を見ながら丁寧に髭を剃った。そしてアイロンをかけてパリッと糊をきかせたシャツを着ると、まだ2回しか袖を通していないジャケットを羽織った。そして電車に乗って運賃表の1番端の見知らぬ駅まで行き改札を出た。その駅で降りたのは僕ひとりだけだった。そして近くの目についた公園に入るとベンチに座って買っておいた缶コーヒーを飲んだ。無性に煙草が吸いたかったが随分前に禁煙して以来煙草もライターも鞄の中には入っていなかった。仕方なく僕は空を見上げた。鳶だか鷹だかが宙空を舞っていた。それを眺めているうちに煙草を吸いたいという気持ちも消えてしまった。生まれ変わったような気分だった。
 少し前に僕は上司とつまらない喧嘩をして会社をやめていた。それ以来フリーランスでモノを書く仕事をしている。会社時代からの知り合いがいくつか仕事を回してくれたお陰で、幸いにも食べていくことは出来ている。今の仕事を始めて以来、何人かの女性と知り合い寝たが、特に深い関係になることは無かった。何度かデートを重ねるうちにどちらからともなく連絡を取らなくなり、関係は霧散してしまった。その繰り返しだ。今のガールフレンドとは比較的長く関係が続いており、今でちょうど3ヶ月といったところだ。これが半年になり1年となるとそれなりに責任というのも生じてくるのかも知れないが、今はとくに何も考えず、流れのままに付き合っている。僕たちは割に気が合った。
「あなたって考えごとをするとき、いつもブツブツとひとりごとを言うのね。」
 ある日ベッドの中で彼女は言った。
「ひとりごと?」
 びっくりして僕は尋ねた。
「僕はひとりごとなんて言ってるかな?」
「自分でも気が付かなかった?」
 彼女はクスクスと笑いながら言った。
「僕はどんなひとりごとを喋ってるのかな?」
「どんなって…そうね、あれもやらなくちゃ、これもやらなくちゃ、まだアレを済ませて無いじゃないかっていうふうに、自分のなすべき事についてあれやこれやと喋っているの。」
「そんなこと全く気が付かなかったな。」
 僕は愕然として言った。自分の意識とは無関係に人前であれこれ自分が喋っているなんて信じられなかった。
「きっとあなたは、自分はこうありたいっていう気持ちが人より強いのね。」
 彼女は僕の裸の胸に顔を寄せながら言った。
「そうかも知れないな。」
 僕は認めた。
「確かにいつもこうありたいっていう自分の原則みたいなものを貫こうとして来た気がするな。上手くいかないことの方がずっと多いけれどね。」
「もっと今の自分自身を受け入れてみたらどうかしら。たとえそれが自分の思い描いた通りの自分自身じゃなかったとしても、これまであなたが自分なりに考えて生きて来たことは決して無駄なんかじゃないと思うわ。それにね…。」
 彼女は微笑んで言った。
「あなたって結構素敵よ。」
 空を舞っていた鳥はいつの間にかどこかに消えていた。僕はベンチから立ち上がると、また元来た道を歩き始めた。いつもより穏やかな気持ちで、少しだけ胸を張って。