「記憶」
記憶というのは螺旋階段に似ている。ぐるぐると辿っているうちにやがて自分が上っているのか下りているのか分からなくなってしまうのだ。そんな迷宮の中を彷徨ううち、幼いときの思わぬ記憶に出会う事もある。家の庭で祖父と遊んだときのこと。祖父は僕が物心つく前に亡くなったから、そのときにはもう、かなり晩年に近かったはずだ。祖父の顔は写真で見て知っているだけで、もちろん僕は覚えていない。だからその唯一とも言える記憶の中の祖父の顔も写真を切り抜いたように空白になっている。それでも何かのおりにふとそのときのことを思い出して以来、まるで映画の中の象徴的なワンシーンみたいに何度も頭の中に蘇るようになった。顔のない祖父と幼い日に庭で遊んだ記憶。
「なにかのコンプレックスの裏返しなんじゃないかしら。」
「祖父と遊んだ記憶が?」
「心の中で、幼いときに祖父母や両親に充分に愛されていなかったと感じているんじゃないかしら、あなた自身が。だからこそ数少ない遊んでもらった記憶を反芻するみたいに何度も思い出してしまうんじゃないかしら。」
「そう思う?」
「あくまでひとつの分析よ。気にしないでね、あまり。」
「君は専門家になれるよ、冗談抜きで。」
彼女は微笑んだ。そしてベッドの枕元の灯りを消してそっと僕に囁いた。
「眠りなさい。」
僕は目を閉じた。そして再び記憶の螺旋階段をするすると下りていった。幼い日の思い出を探して迷宮を辿るように。しかしやがて、自分自身がどこにいるのか、わからなくなってしまった。僕は不安になって彼女の名前を呼ぼうとした。しかし声はかき消されたように、口に出した瞬間から聞こえなくなった。
「眠るのよ。全て忘れて。そして全てを思い出すまで。愛されたことも愛したことも、憎まれたことも憎んだことも、全て。その中に私はいるわ。見つけ出してみて。」