● 2人で行う運動の将来的可能性(スポーツ訓練やリハビリ訓練システムへの応用)
こんにちは、山崎です。
先日はプロゴルファーの高梨さんとセッションでしたが、セッションが終わった時に高梨さんは「ペアを組む相手(稽古相手)がいない」と、3歩進んで2歩下がる的な状況を嘆いておられました。
せっかくここで学んでも、自分なりにやると間違うのだと。
それでも、シニアの大会に出られる年齢になっても、今が一番身体のことが分かっており、「若い時よりも状態が良い」と言われていましたが、確かに最近の高梨さんの成長スピードはハンパねぇです。
僕が股関節を補助してスイングを行ってもらうと、途切れたスイングに「流れ」が生まれました。
体重移動がスムーズになったんです。
一般的に、股関節は「求心性」に働きやすいので、膝が伸び、上体が浮き上がり、脊柱の回旋を起こせず、バラバラに途切れた身体になって、加速運動になり、スイングをしても快適な「音」が聞こえません。
納得いく「スイング音」は、身体が遠心性に働き、スムーズに流れ、等速運動が起こせた時に得られます。
スイングを観察している側の僕も、脊柱が回旋し、全身の繋がりが見える「動き」を美しいと感じたし、本人も「感触」として「音」として、納得いくものが得られたようでした。
毎月関東から足を運んでくれるんですけど、どうしてもセッションは1ヶ月ぐらい空くので、その間に誰か「受け」をしてくれて、共に成長を志せる仲間が得られるといいのになぁと思います。
そういう人を育ててみては?カンナさん。
さて、先日、ニュースを読んでいたら、運動学習は1人よりも2人でやった方が早く上達するとの研究結果という記事を見つけました。
これを下記に引用してみます。
僕の言う2人組エクササイズのニュアンスとは違いますが、ようやく科学的にも追い付いてきてくれたみたいなので、「科学、頑張れっ」って想いで研究結果を歓迎しています。
一人エクササイズは自宅や日常から行うべきであり、公共施設(フィットネスクラブやカルチャーセンター等)で行う運動は、「2人(以上)で行う運動を推奨した方が良い」と一貫して提案していますが、この声が世の中に響くのはまだ少し先かな。
それでも、時代は「シェア」や「共感」の時代になっていると肌で感じている人も多いと思います。
この共感とは、字の如く「感じる」であり、触感や体性感覚(知覚神経)と呼ばれる感覚的なものですが、人間はこの「共感」を求めているにも関わらず、エクササイズは一人でやって自己満足を求めるものです。
これら一人エクササイズは「ヒト」としての進化向上は得られるかもしれませんが、社会的な生物である「人間」としての進化向上は得られないので、他人との関わりを進化させてもらいたいと思うわけです。
人間の悩みの多くは「人間関係」であります。
ですから、色んな人と良好な関係が構築できる「身体」になれば、「対立する」傾向にある心と体から解放されるので、ストレスが溜まりにくい心身を構築できるはずです。
今後は2人組のエクササイズが発展していくと思います。
2人組のエクササイズは全くと言っていいほど健康産業に浸透していないので、エアロビクスが流行ったように、ヨガが流行ったように、健康産業にイノベーションを起こせるチャンスではないかと思うのです。
とはいえ、マジョリティたちは世間に浸透して暫く経ってからでないと、流行ってからでないと、自分にとって未知なことに取り組みません。
ですから、価値や先見性を見出した賢明な読者の人たちには、早めに取り組んでいただくことで「イノベーションを起こしてみてはどうか」「先行者利益を得るのはどうか」と提案しているのであります。
一人エクササイズも良いサービスだとは思うんですけど、世の中に浸透してからヨガインストラクターになった人は、肉体的には健康的になれるんでしょうけど、職業として選択してしまうビジネスセンスに関しては発言に苦しむところ。
世の中へ既に浸透したサービスは、価格競争となり、顧客は自分以外の競合へと足を運ぶからです。
将来的に停滞するであろう自己の経済状態だと、雀の涙ほどしか得られない利益だと、幾ら肉体的に健康になっても、心理的なストレスから肉体まで悪影響が及ぶことになりかねません。
ですから、健康体という観点から見ても、人間関係や経済状況を疎かにすることはできないのです。
「経済を見ろ」「ビジネスとも向き合え」「フワッとするな」というのは、何も「金の亡者になれ」という主旨ではなく、健康体を獲得してもらうための老婆心だとご理解いただければ、おじさんは救われます。
健康体を追求した時、ストレスという観点が見つかり、人間関係や経済状況がストレッサーになっていると感じたからこそ、この問題を解決しないと健康体に近付くことが難しいと思ったんです。
まぁ、余計なお節介かもしれませんが。
今日も和身塾なので「対人関係」から何かを掴み取ってもらえるよう、精一杯の余計なお節介をしてこようと思います。