● 他者とハマる距離を掴むには!?
こんにちは、山崎です。
「パーソナルスペース」って言葉を聞いたことがあるかと思います。
この空間は「他人が近付くと不快に感じる空間」のことですが、逆にコミュニケーションを取ることの上手な人は、この空間や相手との距離を、ピタッと合わせることができます。
野球のバッターであれば、ピッチャーが投げる前の構えた時から「何か打てそうな気がする」という気持ちが湧いたり、クライマーであれば岩とピタッとはまっている感覚があったり、セラピストであれば「顧客は絶対に気持ちいいだろうな」と感じるような距離。
他者や相互の関係に於いて、自分と対象が“一体化”できた時、この「ハマる感覚」が得られるのです。
しかし、これを自覚的に他者や相互の関係に於いて、偶然ハマることはあるけれども、普遍的にハメることは難しいのが現実かと思います。相手があることですから、同じ相手ですら翌日にはハマらないんですよね。
ハマらない要因は、我々が常に変化しているからです。
男性ならヒゲの濃い人が朝にヒゲを剃ってきても、夜にはヒゲ男爵みたくボーボーになるように、我々は一刻として同じ自分は存在しておらず、自分と同じように他者も常に変化しています。
・自分が変化している
・他人も変化している
こんな状況下で他者とハマる関係を実現するには、変化に対応できる人間に昇華する必要があり、変化を察知する感性を身に付け、他者や対象に動かされる自分を作っていくことが必要です。
相手があなたよりステージが高い人の場合、あなたの気持ちに「同調」し、あなたの心の傷を癒す方へ「誘導」することができる人も存在します。
同じ心の傷を抱いた人間も、同じ心の傷を抱えた者同士、互いの気持ちを理解し合えて、「この人は私の気持ちを理解してくれるー」と、ハマった感覚が得られるかもしれません。
ハマった感覚を得ることは大切ですが、これらは劇薬になります。
他者から与えられた快感は、自らの力で生み出した快感ではないため、依存性の高い劇薬になるのです。
だから、僕は敢えて劇薬を使いません。
整体施術をリピートする人、心のケアを必要とする人、セミナー貧乏の人、僕の講座に受講する人、こういう人たちは劇薬に気持ち良くなり、結局のところは自分でハマる感覚を生み出せません。
つまり、「誰か」に依存しなければ、生きることが辛いのです。
誰かに「愛して」もらうのではなく、自らが「愛する」人間になってもらいたい。
それが結果的に、自分を愛してもらうことにも繋がるのだから。
と説法っぽくなりましたが、僕が推奨していることはノブレス・オブリージュ(高貴な人間の義務)であり、まずは能力を高めることによって「自立」し、他者にも「自立」を促す存在であれということ。
ただし、僕は劇薬を悪だとは思っていないため、劇薬を処方する人に対する怒りもありません。
自立する意思のない人は、一生誰かに依存しながら、会社に依存しながら生きていくことしかできないため、そのような状況で辛いのであれば、たまには劇薬を使ってでも、日々を快適に過ごすように努めるべきです。
一時的でも構わないから、ストレスを回避する劇薬を使用することが悪だとは思わないのです。
しかし、僕は「自立」を志している人と関わりたい。
僕が劇薬となれば「あー快感だ」と感じてくれる確率は高いと思いますが、僕にとって本位ではないため、僕のコミュニティでは劇薬を使わず、自分の身体で感じ、自分の頭を使って自立できる人間へと昇華してもらうように仕向けています。
生徒さんらと行きつけのカフェで試すんですけど、彼らは「関係できる」店員さん、「関係できない」店員さんらの見分けがつくようになってきたみたいです。
店員さんの意思がこちらに向かっているか否か。
「全然、目を見てくれないです」
「全然、意思が向かってきてないです」
なんて生徒さんらの話を聞くと「判断に客観性が育ってきた」と感じます。
「いらっしゃいませ」
「ありがとうございます」
と元気で明るい声を出しているにも関わらず、こちら側へ彼女の声(意思)は向かうことなく、自分の方向へと声(意思)が向いているだけなので、なーんにもハマらないし、彼女と関わりたいとも思えないのです。
ハマる感覚を掴む最初の段階では、他人の意思の観察を重ね、高い感性を有した人の感性を多く浴び、自らも試行錯誤して失敗を重ねることです。
相手とハマるには、自分を捨てる“絶対的受動性”と言いますか、「自分は忙しいから」とか、「体調が悪いから」とか、「私は出来ないから」とか、そういう自分勝手な言い訳をなくし、相手に全身全霊を傾けること。
相手を「感じること」に全身全霊を尽くすのです。
もちろん、自身の心と体を感じるための訓練も必要ですが、この訓練を積んだだけでは、他者とハマる感覚は掴めないし、時代に適応して自由に生きることもできません。
自分だけ、もしくは川や森という部分的な自然と関係すれば、一時的に心地良くなれるかもしれませんが、健康産業に蔓延っている「自然」の範囲だけだと「社会」では生きにくいのです。
もっと広く自分以外の外部に対して心や感性を開くことで社会とハマる人になり、やがて自立し、顧客に対して劇薬の提供に留まらず、自立を促進する教育者であって欲しいというのが僕の願いです。
【意思のやり取り】