多事争論(時事所感) -48ページ目

租界【時事所感38】

以前から歴史文化的遺産として保存、
残して欲しいと思っているものがあります。



「租界」です。



中国は上海や天津などにあって
中国には似付かわしくない
欧州や米国様式の建築物が建ち並ぶ旧外国人居留地区です。

上海の租界はそのなかでも有名で、
煉瓦や石造りの欧州風建築の街並みが
今は観光スポットになっています。

御存知の方々も多いのではないでしょうか。



※現在の上海租界の夜景



欧米諸国が植民地政策で世界各地に進出し、
中国英国の阿片戦争後、
東アジアへの欧米諸国の本格的進出が始まった。


有期限の租借地とは違い
無期限だった租界、
上海租界は実質欧米領地で、
法制度も比較的自由であったため、
人・物・金が集まり街が発展していきました。



※欧米居留地として開発が進んだ当時の上海租界写真



この租界はフランス租界や欧米諸国や米国が入る共同租界があって、
そこから少し外れた所に後から遅れて入ってきた日本の租界も出来ました。










この日本の租界に関係する話が、
8月9日産経新聞記事に掲載されています。







中国、上海ユダヤ難民資料を世界記憶遺産申請へ、日本保護下の史実隠蔽「抗日戦勝70周年の一環」


上海ユダヤ難民を日本が保護した史実を隠して、
中国がユダヤ難民を救ったという歴史を世界記憶遺産に申請準備遂行中
というとんでもない歴史隠蔽と捏造の話です。


当時ナチス・ドイツ側から
ユダヤ人の虐殺殲滅が打診されていたものを、
日本軍は拒否、日本租界近くに「無国籍難民隔離区」を設け、
そこに匿うことで多くのユダヤ人の命を救った経緯があります。

上海租界に逃れてきたユダヤ難民の数、約2万人と言われています。

これらユダヤ人のなかには
外務省杉原千畝氏のビザ発給により
ナチス・ドイツの迫害から逃れ
日本経由で上海に逃れてきた人々が沢山いました。


話を戻せば、
アフリカや中南米、オーストラリア、インド、東南アジアへと世界中へ拡大していった欧米諸国。
そして東アジアへと植民地拡大を進めていくなかで
造られたのが上海をはじめとする「租界」でした。







抗日戦勝イベントはまた別に述べますが、
こうしたものこそ歴史文化的遺産として、
特に中国はアジアの一国として、
欧米諸国の植民地政策や軍事政策の侵略行為に対して
歴史的メッセージとして残すべきだと思われます。





模擬原爆【時事所感37】

1945年8月6日広島、8月9日長崎へと
原子爆弾投下がされて70年になりました。


この原爆に関連し、つい最近まで知られていなかった事実がありました。


「模擬原爆」


愛知の市民団体が
米国の国立公文書館内の資料から
発見するまで公には知らされてきませんでした。


広島・長崎への原爆投下前に
日本の全国各地へ模擬原子爆弾の投下が行われていたそうです。






原子爆弾の特異な形状から
落下曲線や速度を実測するのが目的だったという話ですが、
実際は原爆投下の際に
米軍機が爆発に巻き込まれないようにするための
回避の予行演習だったという話が出ています。

被害者の心情はなんともやりきれないであろうと思います。


日本全国へ実際に投下された模擬爆弾の数、
49発に上ります。






原爆投下に関連した被害者の数は
広島・長崎だけではないわけです。

模擬原爆の被害は
死者数:計400人以上
負傷者数:計1200以上

最近では
大阪市東住吉区田辺の模擬原爆追悼式の話がメディアを通じ伝わってきていました。









私個人の見解を述べれば、
原子爆弾の投下の必要性はなかった
と思っています。

前の「多事争論」のアメリカン大学のピーター・カズニック教授の話にも
繋がるのですが、
私見からもやはり必要性はなかったと思います。



旧ソビエト連邦の対日本侵攻へ向けて動き
出したことも、
米国はキャッチし大統領へ報告されていた。

ソ連邦側も米国の核実験成功の報告に
日本侵攻を急いだ。

ソ連侵攻日本降伏の前に間に合わせたかったのか、
原爆開発担当グループに急ピッチで実用化を指示した
という話があります。


原爆投下の是非について
いろいろ議論になります。

各資料や記録、その後の事象からすれば、
当時の時代背景からも、
大戦後の米ソ東西冷戦はこの時から始まっていて、
対ソ連を目的とした原爆投下であったわけです。

アジア人種への人種差別的側面もあったと思います。

広島・長崎は一種のホロコースト性、
無差別な大量殺戮の面が強い。





善悪の話ではありません。

責任や賠償の話でもありません。


こうした事象に米国も正面から真摯に向き合って話がなされなければ、

戦争について、
そして核兵器について、
人類の不戦平和の成熟度は
まだまだ未熟だと思います。









歴史家の警告[1]【時事所感36】

歴史家でジョン・ダワーという方がいらっしゃいます。





この方、米国人でしばらく日本で教鞭を執りながら暮らした時期もあったそうです。
奥様も日本人で知日・親日派で知られています。

※ハーバード大卒業。現在MIT名誉教授。
著書「Embracing defeat [邦訳:敗北を抱きしめて]」など多数。プリッァー賞受賞。





この歴史家ジョン・ダワー氏が
昨年から今年にかけて新聞やテレビなどメディアにしばしば出られていて、
現在の米国そして日本について警告しています。

ダワー氏の話をご紹介しようと思います。







『今年は日本にとって第二次大戦終戦から
70年目の節目の年に当たる。
米国にとっても先の大戦終結70年目であるけれど
実は米国にはベトナム戦争突入から50年目でもあるのです。
私は危機感を抱いています。
今年米国ではこれに対して
式典や催しを計画しています。
それらは悲惨な戦争の記憶としてではなく、
愛国の記憶としてなのです。』








警告1:戦争の美化


『米国には戦争で亡くなった兵士たちの慰霊碑がある。そこには亡くなった兵士たちの名前が刻まれています。
彼等は「英雄」と呼ばれています。










日本には靖国神社があります。
日本国のため、天皇陛下のために命を捧げた、亡くなった人々が祀られています。
日本でも彼等は「英霊」と呼ばれています。





日本でも米国でも
大義を掲げ国のため亡くなった人々がいる。






私には米国の記念碑と日本の靖国神社が重なって見えるのです。


最近米国でリベラルなコメンテイターが
こんなことを言いました。
「戦争で亡くなった人々全てが英雄とは限らない。なかには戦争のなかで酷いことをしている人々もいる。」』


『こうした慰霊碑や記念碑のなかで
興味深いものがあります。

沖縄の慰霊碑です。





沖縄の慰霊碑には
亡くなった沖縄の人々や日本兵だけでなく米国兵の名前もあります。
それだけではありません。
中国人や韓国・朝鮮人など、
あの沖縄戦で亡くなった全ての人々の名前があるのです。





沖縄の人々は戦争とは何たるものかを知っているのです。』






これらジョン・ダワー氏の話は

人類が繰り返してきた戦争という凄惨な歴史を
歴史家の視点からよく表していると思います。

私個人これに付け加えて述べさしていただくと、
国家の業とでもいいましょうか、
国家と戦争というのは
こうした側面があります。

ただはっきり言えるのは、

戦争で悲惨な被害に遭うのは
多くが一般市民であるということを
しっかり頭に入れておかなければなりません。