旬なうちに参戦してみる ~良いことだとしても、強要するのは良くないと思う | 日常の中の非日常

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タイトルを変えてみた。
仕事のことなんかも書いてみたり。

乙武洋匡氏があるイタリアン・レストランで店まで自分の体を運んでもらえず、失礼な対応を取られたことで『侮辱された』と憤り、Twitterでそのレストランを名指しで避難したニュースは、ご存知の方も多いんじゃないかと思う。

まあそれから乙武氏もBlogで経緯について話したり、イタリアン・レストランが心無い人達に叩かれたりして、けっこうすったもんだがあったんだけどね。

で、今日はこのことについて思うところを少し書いてみたい。

ホンマは別のネタにしようかと思ってたけど、今を逃すと本件について書く機会を逃しそうだったのでね。取り敢えず旬なネタのうちに参戦して、全力で叩かれに行ってみる。

まずきっかけとなったエントリ。

[WEB][社会]「一緒にご飯を食べられる社会のほうが、生きやすくないですか?」 ~琥珀色の戯言

このエントリを読み、更にその先の参考リンクを読んで、ちょっと感じたことがあったので。

まあなんだ、乙武氏が大人げないだとかレストランの対応がクソだとか少人数で回す飲食店のしんどさを知れだとか障害者ってことを盾に攻撃するなとか、そういう話は他の人に任せておく。別の内容について考えてみたい。

上で紹介した記事のブログ主さんが書いているように、確かにお互いに思いやって、一緒に御飯を食べられる方がいいとは、『個人的には』思う。そして自分の子供にも「あ、車椅子一緒に抱えましょうか?」とか、何も言わずに席を立って自分の椅子を動かして車椅子が通りやすいように自然と道を空ける、そんな人間になってほしいと『個人的には』思う。

でもそれって、あくまで個人的な思いでしか無いんだよね、僕にとっては。もちろんみんながみんなそうなることが、素晴らしいこと、なのかもしれない。なのかもしれないけど、それが「あるべき姿」になるのは、すごく怖くて生きにくい社会なんじゃないかな、と思う。

障害者(だけじゃなくて社会的弱者)に対して優しくある、手助けをする、ってことは、正論であり正しいことでもある。

だからこそ、それは「やらなければいけない」ことに簡単に変わるし、いつの間にか周囲からの圧力に切り替わることがある。それが変な形で出たのが、件のレストランに攻撃を仕掛けたりする行為なんじゃないだろうか。

正論って、誰から見てもそれが正しいがゆえに、反論ができなくなるからね。だからこそ正論の取り扱いには十分に注意しなきゃいけないんだけど、でも正論を振りかざす人は、その気持ちよさに気付いてしまってるから、自制を促すのはなかなか難しいよなぁ、と思う。

僕個人としては、上記したとおり『思いやって一緒に御飯が食べられる社会』がいいとは思う。

んだけど、「俺がなぜ障害者に配慮しなくてはいけないんだ?」って考えも、否定しようとは思わないのよ。だって、迷惑をかけられているのは事実なんだから。

もちろんそれは不遜な考え、意見だし、個人的には嫌いだけど、でもそこに障害者が来なければ、店側が障害者を受け入れなければ、配慮する必要はなかったわけで、そういう意味では被害者であるという見方もできる。

そう考えた時、やっぱり僕はあくまでも『個人的な考え』としてしか上記の事を主張できないし、それ以外の意見も認めざるを得ないと思うんだよね。

社会的弱者って、弱者であるがゆえに強者ともなり得る面を持っていると思う。そういう部分を、障害者を始めとする社会的弱者は、意識しているんだろうか?そんなことを考えたりもする。

おっと、いつものことながらまとまりがなくなってきた。そろそろ無理矢理まとめよう。

結局、自分と他人との考えが違うわけだから、他人に持論を押し付けることは出来ないと思う。というか、しちゃいけないんじゃないかと。その持論が正論であればあるほど、押し付けるわけにはいかないんじゃないかと。

ただ自分が正しいと思うことをやっていく、それしかないんだよなーと思う。そうすることでしか、自分の正しさは証明できないだろうし、自分以外の誰かに影響をあたえることは出来ないんじゃなかろうかと。

少なくとも、正論や正しさを押し付けられることは、非常に息苦しくて生きにくい環境でしかないですよ、ということです。それが自然とできるような、そんな環境を作っていくためにも、少しでも自分が正しいと思うことをやり続けるしかないんじゃないでしょうか。

そうそう、ホリエモン(堀江貴文)が著書の『刑務所なう』で書いてた言葉。

「人の気持ちとか思いやりとかって、結局、経験値なんだよね」

コレは本当にそうだと思う。いろんな経験値を積むことで、分かってくるものなのだと思う。どういう経験を積むか、ってところが一番大事ではあるけどね。