今様今昔物語:東京府東京市があったころ | 進撃の庶民 ~反新自由主義・反グローバリズム

 本日は、有閑爺い様の寄稿コラムです! 本日はなぜ東京市が解体され、東京都になったのか? を大阪都構想に絡めてお書きいただいております。自治体論、国家論として非常にじっくり読むべきコラムかと思います。

 どのようなバランスが自治体と国家に求められるか? 是非とも皆様も考えてみてくださいませ。

現在進撃の庶民では寄稿コラム執筆者を募集しております。執筆いただける方はアメーバメッセージでご連絡ください。
※アメーバアカウントが必要です

⇒ブログランキングクリックで進撃の庶民を応援!


今様今昔物語:東京府東京市があったころ~有閑爺い様

 東京府東京市という自治体は1943年(昭和18年)6月30日まで存在していました。その東京府は東京都と呼び変えられ、東京市は東京都の特別区という特異な形態をとることになりました。

 当時の時代背景を言うと、約1年前の1942年(昭和17年)6月に帝国海軍は、ミッドウェーで空母4隻・航空機約300機を失うという大損害を被り、以降戦争の主導権を失うに至りました。
 その約1年後の1944年(昭和19年)6月に絶対国防圏の最前線の拠点であったサイパン島を失い、もはや戦勝の見込みがまったくなくなったのです。

 つまり、大東亜戦争の節目となった年月のちょうど中間時点で、東京都の特別区が作られたのです。
 なぜ、戦争の真っ最中にそんなことをしなければならなかったのか?

 当時の日本は、戦場で戦って戦勝を得ることこそ最も必要なことであり、そのためには武器弾薬を大量に作り、兵員と共に前線に送り出すことこそやらなければならないことだったはずです。
 当時の日本は米国と異なり、戦うごとに兵員と兵器を失い、その補充がままならず、弱くなる一方だったのです。片や米国は、戦で失った兵員や武器を上回る補充を受け、戦訓を生かし戦法に改良を加え、強くなる一方でした。

 にもかかわらず軍部は行政上の些末な改編に力を注いだのです。

 実は、丁度首相を決めるのは国会であるように、市の首長は当時市議会が決定していたのです。特定者を指名することもあったし、複数の候補を市議会議員が選挙で決めることもありました。
 市議会議員は市民の選挙で決められていましたので、市長は間接的ではありますが市民が決めていたのです。つまり国家権力が及ばない、いわゆる自治の範疇で決められていたのです。

 当時の軍部は戦争の雲行きが怪しくなってきたため、「帝都防衛」ということが気になり始めたのです。その時初めて、市長の存在が「国家権力の及ばない市民の自治により決められた者」ということに気付き、そのことを問題視したのです。
 で、「市長を排除する方法」として「東京都と特別区」という形を作ったのです。つまり住民自治を破壊するための方策であったわけです。

 当時の道府県の知事は内務省(敗戦後廃止された)の役人がつとめており、新たにできた都の知事も役人でした。すなわち都道府県は中央集権のための仕組みであったのです。
 特別区(旧東京市)は都知事直轄の行政区ですので、国家の直接支配下に置くことが出来たのです。
 一方、市町村は実質は議会の力が非常に大きく、議会の議員は選挙で選ばれていましたので、明らかに分権・自治の存在でありました。

 日本に中央集権・統治ということが始まったのは明治に入ってからであり、江戸時代までは完全に分権・自治が基本形でした。徳川幕府は全国の租税徴収権を持っていたわけではなく、各大名の「本領を安堵する」という形でひろく各大名の支配地統治を任せていました。また、大名も土地所有者ではなく租税徴収権を持つだけの存在でしたので、「村で起きたことは村で解決」する自治が基本でありました。

 ですので、当時の日本の市町村こそ分権・自治の実を上げていた組織体です。そのことをこころよく思っていなかった当時の軍部が、それを破壊するシステムとして「都と特別区」を作ったのであります。

=====

 「大阪都構想」なるものの実態は「市」という自治体を破壊する構想であることは、上述の説明で分かっていただけたと思います。

 「市町村」は鎌倉時代から連綿とつながる地方分権・地方自治の遺伝子を持つ組織体であると私は思っています。
 中央集権しかなかったシナや朝鮮がもつ不健全な国家観を見てもわかるように、地方分権・地方自治ということこそ、多様性を生む基盤であり、守り育てていかないといけないと思います。

 議論の対象とすべきは「都道府県」でしょう。これは明治政府が作った中央集権のための道具です。敗戦後、それが地方自治体としての体裁を持つに至ったのですが、市町村とのすみわけがうまく行っているのかが問題です。広く地域の振興を図る観点からは今の在り方を考え直してもよいと思います。
 私は、「都道府県」をいくつかの「広域自治体」(例えば北海道・東北・関東・甲信越・東海・北陸・近畿・四国・中国・九州)にまとめ、分断されているため生じている弊害を減らすことが大事だろうと思います。例を挙げれば、県警を広域自治体警察にまとめることで、より広範囲な活動が可能となり、府県をまたがる犯罪防止につながるのではないか、といったことです。

 「国家への権力集中」が、安倍のような無自覚な独裁者を生む土壌になります。「国家権力」とバランスの取れるぐらいは「地方分権・地方自治」が強くなることが望まれるところでしょう。

(了)


発信力強化の為、↓クリックお願い致します!

人気ブログランキングへ