本日は、有閑爺い様の寄稿コラムです!
MMTについての寄稿を頂いております。恐らく様々な議論がコメント欄でなされるであろうことから、私からはあまり多くは申し上げません。
じっくりとお読みいただき、ご議論くださいませ。
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老いの一徹:MMTは理論ではなく、単なる出鱈目である~有閑爺い様
謹んで初春のおよろこびを申し上げます。
新年早々ですが少し刺激的な表題としました。注目をひくために、というよりは世に流布している金融に関する考えを自身で反芻咀嚼していただきたいということが主眼であります。
前回に私の投稿した【老いの一徹:『人物「中野剛志」考』】のコメント欄で「MMT」が大きな議論を呼び、さまざまの観点からご意見が寄せられ、議論がなされました。私は「富国強兵」を捉えて、ある種の学説を基に展開するのでなく、保守の観点から進めるべしと述べたのですが、意に反して「MMT」に大きく議論が傾いたのです。
ですので、今回はMMTを正面からとらえて論じてみたいと思います。実は極めて簡単な説明でMMTは成り立たない、と断言できるのです。
従って、今回はまずそのことを述べます。
しかし、少し考えれば成り立たないということがわかるはずなのに、なぜMMT論者は「銀行貨幣」ということを主張するのかです。その裏には、極めて危険な思想が隠されている、その思想に殉じるためそう主張している、とまで私は考えているのですが、その考えも今回は述べています。興味がある方はその部分もお読みください。
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世の中の言葉にはセットと関係ということが存在し、そのことを意識しないといけない場合があります。
「貸す」という行為の反対には「借りる」という行為があり、「貸し借り」ということでワンセットです。
また「預ける」という行為の反対側には「預かる」という行為があり、「預け預かる」ということでワンセットです。
説明の要は無いと思うのですが、「貸し借り」という関係を消滅させる行為が「返す(返済)」です。「貸し借り」は「返済」と別の意味でワンセットです。
同じように、「預け預かる」という関係を消滅させる行為が、預けたものを「引き取る」ことです。「預け預かる」と「引き取る」は同じようにワンセットです。
そして、これも説明の要は無いのですが、「貸し借り」と「預け預かる」という二つの行為は、両者互いに何の関係もなく、互いに単独で成り立つものです。
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上に述べたことを銀行との「金銭の貸し借り」と、「金銭の預け預かり」に当てはめると次のように言えます。
金銭を銀行に貸してほしいと頼むと審査の結果貸してもよいと銀行が判断すれば貸してくれます。この時借り手は銀行に借用書を提出します。銀行は貸金を預金の形(預金通帳に預かっているという記載がされている)で渡してくれます。ここで「貸し借り」の関係は成立します。
借り手が、返済のお金を整えて銀行に持ち込むと銀行は借用書を返してくれて、貸借の関係が消滅します。
貸借を銀行預金で受け取る時以外でも、金銭を銀行に預けに行くと銀行はお金を受取り、預金通帳に預かったという記載してくれます。この両者ともに「預け預かり」の関係は成立します。
預け手が、預金通帳をもって預けたお金を「引き取り」に行くと、銀行はお金を渡してくれて預金通帳の預かったという記載を抹消します。ここで「預け預かり」の関係が消滅します。
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では、MMT論者が上記に述べた言葉をどう使うかを述べてみます。
下記の文言はいわばMMTの「公理」としての役割を果たしており、MMTの基盤となっているもので、ほとんどの主張がこの延長線上でなされています。
『現代貨幣には主に二種類ある。銀行融資によって創造され返済によって消滅する銀行貨幣と、政府支出によって創造され徴税によって消滅する政府・中央銀行貨幣(通貨)だ。』
『特に銀行預金では、融資によって創造され、返済によって消滅するというメインのサイクルがあるわけで。』
上記の文言は本当なのかが、論点です。そのことを逐一検証してみたいと思います。
なお、以下に記述する銀行融資とは万年筆マネーであることが前提です。
銀行が貸し出しを行うと、そのことは銀行の会計帳簿に記載されます。
借り手は借金をするときに借用書を銀行に差し出します。銀行はそれを貸出債権という金融資産と評価し、帳簿にそう記載します。同時に借り手名義の預金通帳に貸し出しの金額を記載し、かつ帳簿に負債として「預り金」ができた旨記載します。
上記に述べたことを、銀行の帳簿B/Sで示すと下図1の通りとなります。下に示した図が「万年筆マネー」の説明図です。
図1
銀行の最初のB/Sは真っ白なのですが、貸し出しにより、資産と負債が生まれたのです。
因みに「預り金」(万年筆マネー)をMMTでは「銀行貨幣」と呼称していますので、『融資により「銀行貨幣」が創造される』、という表現はこの限りにおいては正しい記述です。
借金は借りっぱなすこともできますが、普通は返済されます。
借り手が融資の返済を行う場合、返済金を整えて銀行に持ち込みます。
返済金が持ち込まれると、銀行はそのことを帳簿に記載します。
まず、返済金が持ち込まれたのですから、借り手が差し出していた借用書を借り手に戻します。そのことは貸出債権という金融資産の消滅を意味しますので、銀行の帳簿の資産側の記載から貸出債権は消えます。ところが返済金は現金(銀行名義の口座に振り込まれる場合は預け金ですが)という資産ですので、資産側に現金と記載します。
つまり、返済によって「貸出債権」が「現金」に変わるのです。そのことをB/Sで示すと、下図2の通りとなります。
図2
上記を見てお分かりのように返済で預り金(=銀行貨幣)は消滅していません。消滅したのは貸出債権です。
「消えてもいないものを、消えた」と大嘘をつき、壮大な絵空事を作り上げたのがMMT論者です。彼らは、現実に行われているシステムを説明したものがMMTだと、嘘の上塗りをしていますが、現実は、「返済」で消えるのが「貸し借り」、預けたものを「引き取ること」で消えるのが「預け預かり」であるという、基本中の基本の事柄を捻じ曲げるという、許すべからざることをしているのです。
銀行貨幣は銀行預金なので「預け預かり」の関係にあるものです。ですのでその関係を解消するためには預金の名義人が預けたものを「引き取る」必要があります。
図3
お金を借りた人(預金の名義人)は預けた政府貨幣を「引き取る」ために、すなわち「預け、預かった」関係を解消するため銀行を訪れて、預けた政府貨幣を「引き取りたい」旨を申し出たとします。銀行には貸出債権しかないので政府貨幣を「引き渡す」ことが出来ないのです。
つまり、「預け預かり」の関係を解消することが出来ないのです。この関係を解消することが出来ない事を最も合理的に説明するなら、元々万年筆マネーで「預け預かり」の関係など生むことが出来ない、です。
結局、生まれるはずのない関係が生まれた、つまり創造することの出来ない銀行通貨(万年筆マネー)を創造したと主張しているわけです。
「創造などできていないのに、創造した」と大嘘をついているのです。
もともと、「貸し借り」と「預け預かる」という行為には何の関係も存在しないのですが、それを言葉巧みに絡ませて作り上げた大嘘がMMTであるのです。
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それでも、現状ではMMTの語る大嘘を信じる人で満ち溢れています。何をどう信じようと個々人の自由なのですが、自分が信じたものはどんなものなのかを、常に反芻することが必要があると思います。
特に、MMTという論は最近売り出しの新参「理論」であり、永い人間の営みからすると十分な咀嚼を得られていないと考えるられるもので、現れる反論に注目することが必要でしょう。
で、私はそうした反芻と咀嚼という観点から『MMT論者が何故「銀行貨幣(万年筆マネー)」という虚構を持ち出すか』を考えたわけですです。その結果、MMTの裏には下記のような「物語」が隠されていると思うようになったのです。
『政府支出によって創造され徴税によって消滅する政府・中央銀行貨幣(通貨)だ。』
この文言で、MMT論者の真に言いたいことは、「政府・中央銀行貨幣など税を処理するためのつまらない存在だ」ということです。つまり中央銀行の機能を貶めることが目的で、「銀行貨幣」こそ「経済に役立つ貨幣」だと言いたいためです。
当然視点は、「政府貨幣」を貶めることで、だれが利益を得ることが出来るのか? その答えこそが「物語」の主題でしょう。
なので「政府支出」「徴税」と通貨は無関係であります。MMTの述べている事はここでも虚構であるわけで、どこまで嘘をつけば気が済むのかという思いがします。
一方、『欧州中央銀行が擁する22の諮問組織は合計517人で構成され、そのうち508人は金融業界の代表』( wiki よりの引用)であり、実質的には金融資本が欧州中央銀行を牛耳っているといえるのです。
つまり「貨幣」は「銀行貨幣」のみで必要十分だ、政府貨幣など不必要な存在だという主張さえ可能な状況なのです。その主張が「金融業界の代表」からの真のメッセージであり、MMTの隠している主張であると私は考えているのです。
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デフレ期の政府の政策は「借りて使え」であり、このことを鮮やかに実行した人が、日本の高橋是清です。
我々の誇るべき人物をないがしろにして、MMTなどという「まがい物」を持ち出すことなど絶対にありません。
「借りる」ために「預ける」必要は一切ありません。
もっと事態をシンプルに考え、過去に存在した事例を検証し、その考察結果を正しい政策に落とし込むことこそ、政治家に必要な資質であり、そうした政治家を見出し育てることが我々のやるべきことだと思います。
(了)
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