ウォーレン・モズラー「命取りに無邪気な七つの嘘」紹介④(社会保障の持続性) | 進撃の庶民 ~反新自由主義・反グローバリズム

本日は、望月夜様の寄稿コラムです!

ウォーレン・モズラーは望月夜様の紹介ではじめて知った方なのですが、やはり面白いです。

これほど現代貨幣論を簡潔かつ端的に論じられる人は、なかなかいないんじゃないでしょうか?

ぜひともこの知性をお読みいただきたく思います!

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ウォーレン・モズラー「命取りに無邪気な七つの嘘」紹介④(社会保障の持続性)~望月夜様

noteにて、「経済学・経済論」執筆中! また、「望月夜の経済学・経済論 第一巻」「望月夜の経済学・経済論 第二巻」も発売中! その他、 「貨幣論まとめ」 「不況論まとめ」 「財政論まとめ」 などなど……


前回の『ウォーレン・モズラー「命取りに無邪気な七つの嘘」紹介③(財政赤字と貯蓄)』では、財政赤字が(金融システム上)民間部門の(純)貯蓄を増加させるということと、余談として、一般的な貯蓄(金融貯蓄)と経済学的な貯蓄(実物貯蓄)の違いについて論じた。

今回は、『MMT(現代金融理論)のエッセンス! ウオーレン・モズラー「命取りに無邪気な嘘 4/7」』から、社会保障制度の持続性に関するモズラーの論説を紹介・解説していこう。


『命取りに無邪気な嘘 その4:
社会保障制度は崩壊している』
『事実:
政府の小切手は不渡りにならない』

通貨とは政府(統合政府=中央銀行+財務省)の発行物なのであり、単に決済・支払の面で「不履行」が生じるということはないのだ、ということは、ここまでのモズラーの紹介でも強調してきたところだ。

その上でモズラーは、アメリカにおける社会保障制度民営化論の批判に移る。

『民営化の考え方は、こうだ。
1. 社会保障の徴収と支給を共に減額する。
2. 社会保障費としての徴収が減る分で被雇用者は優良株式を購入する。
3. 徴収が少なくなるので、政府の財政赤字がいったんかなり拡大する。財務省は「それを賄う」(彼らの表現)ために国債を売る』

『案に賛成な人は、こう考える。

「これによりいったんは財政支出が大きく拡大するが、それは後の社会保障給付の抑制によって埋め合わせられる。そして、社会保障費として徴収されていたお金は株式市場に流れ込むことで、経済の成長と発展につながる」

案に反対な人は、2008年の大暴落を引き合いに、社会保障の代わりとして株式市場に資金を投入するなど危険性が高すぎると主張する。

「もし人々が株式市場で敗北したら、政府は退職者を貧困から救うために年金支給を増やさなければならなくなるだろう。だから、私たちが多数の高齢者を貧困ラインを下回るような危機に晒そうと思わない限り、政府がリスクを負うことになるのだ。」

両方とも、ひどい間違いだ!』

『マクロ(大きな絵、トップダウン)レベルで見たときに何が根本的に間違っているかを理解するためには、まず最初に「社会保障制度への参加とは、機能的には国債の購入と同じだ」ということを理解する必要がある。説明しよう。』

『現行の社会保障制度においては、あなたが今政府にドルを渡すと、後日ドルが戻ってくる。これはまさしく、あなたが国債を買うとき(もしくは普通預金口座にお金を預けたとき)に起こることだ。

いま政府にドルを渡し、後日ドルが戻ってくる。加えて利子がつく。そう、社会保障制度は結果としてよい投資ということになって多めのリターンをもたらしてくれるかもしれない。しかし利回りがいくらであるかという点を除けば、国債とほぼ同じなのだ。』

以下は、この問題に関するスティーブ・ムーアとモズラーの会談の抜粋だ。

『ウォーレン:「オーケー、投資面についてはあとで触れるつもりですが、あなたの民営化案では、政府が支給する社会保障の額を減らし、社会保障制度に参加していた被雇用者はその分のお金を株式市場に投入するということになりますね。」』

『ウォーレン:「そうですね。私の論点を続けますが、株式を買うことになる被雇用者はその株式を別の誰かから買うわけで、株式の所有者は変わりますが経済に新しい資金が投入されるわけではありませんね。」』

『ウォーレン:「株式を売った人たちはそれによってお金を得ますが、それが追加国債を買うお金になると見ることができますね。」』

『これをマクロのレベルから見てみると、いくつかの株式の所有者が変わり、またいくつかの国債の所有者が変わっているというだけです。社会保障を債券として捉えれば、株式総数も発行済国債も総数はほぼ変わりありません。ですのでこのことが経済や総貯蓄、その他のことに影響を与えることはありません。せいぜい取引手数料が発生するくらいでしょう。」』


MMTerのマクロレベルの金融を考える”知的体力”の高さ、あるいは、MMTを理解していない人々の”知的体力”の低さが垣間見える一例と言えよう。

要するに、社会保障制度を縮小することで資金が株式市場に向かうように仕向けたからと言って、その支出補填を国債発行で行うならば、(社会保障制度自体が国債保有と似た性質を持つので)株式保有と国債保有(実質的国債保有)が入れ替わるだけで無意味だ、とモズラーは指摘するわけである。

(ただし、実はこの問題はもう少し複雑だ。社会保障制度が財政赤字(≡通貨発行)前提で回る場合は、国債保有とは少し経路の違うものになるし、もし支出補填を国債発行で行わないならば、民間(純)貯蓄が減少して不況圧力になる。)


次にモズラーは、少子高齢化による社会保障問題について議論している。

『労働者が減少し退職者が増加する問題(”依存人口比率”と呼ばれる)だが、彼らは「高齢者が十分な購買ができるための基金を確実に作ることで問題を解決できる」と考える。』

『こんな風に考えてみよう。もし今から50年後、現役で働いている人はたったの一人、退職者が三億人だとしよう(単純化のために誇張している)。.....いまのわたしたちは、この三億人の退職者が彼一人に対して支払うための十分な基金を確実に持てるようにしておこうと考える必要があるのだろうか?私はそうは思わない!これは明らかにお金の問題ではない。』

『我々がしておかなければならないこと。それはこのたった一人の労働者が十分賢く、また十分生産的であるようにしておき、またすべてをこなすために十分な資本財とソフトウェアがあるような状態を作っておくことだ。さもなくば退職者たちがいくらたくさんのお金を持っていようと深刻な問題に直面してしまう。ゆえに今の問題というのは、現役労働者を充分には生産的ではない状態に留めておくことの方で、その結果が将来の資本財とサービス不足につながってしまう。』

いくら財政黒字を蓄積したとしても、それが将来の”余裕”を作ることは無い。将来の余裕の源は、将来の生産力のみだ。そしてもし財政再建への固執が経済を弱らせるのであれば、そうした努力は却って将来にとって逆効果になるわけだ。まして、そうした財政再建への固執が、「政府の不履行」というあり得ない事態への無知に基づく恐怖によってなされているのであれば、これほど滑稽なことはない。

そして、モズラーが文中で指摘している通り、意味のない財政再建志向は、教育支出削減といった、将来生産抑制に繋がるような愚行すら引き起こしている。ありもしない問題におびえた結果、現実に存在する問題を見失う喜劇がそこにある。


MMTは、マクロ的な金融システムを理解する枠組みであるにも関わらず、いや、そういう枠組みであるからこそ、『実物面』に強くフォーカスする。モズラーは以下のように言う。

『もし政策決定者が、通貨システムがどのように機能しているかを正しく把握したならば、問題は社会資本そして恐らくはインフレなのであり、政府の支払い能力は問題ではありえないということに気づくことになるはずだ。』

『真の課題は「私たちは高齢者に対してどれくらい水準の実質資源を割り当てたいのか」なのだ。高齢者にどのくらい食料を割り当てるのか?どの程度の住居を?衣服を、電気を、ガソリンを、医療サービスを? 本当の問題とはこういうこと。』

『私たちの本当のコストとは、高齢者に割り当てているモノやサービスの量なのだ。それにいくらを支払っているかでは決してない。それは銀行口座の「数字」でしかない。』


マクロ的な金融理解の不十分故に、財政の構造の理解にも、実物と金融の峻別にも失敗し続けている人々が政策決定に強く関わる現状では、事態は改善せず、『私たちの今の幸福と将来の幸福の両方を棄損し続ける』というわけなのである。

(了)


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