本日はヤン様の寄稿コラムの日です!
今回もわかりやすくも深い論考をヤン様が私達に提示してくださっております。
国会議員全員が読むべし。
それではヤン様コラムをどうぞ!
『政治と言葉の分裂-言葉の意味が失われていく-【ヤンの地雷】』
言葉というものは、それ自体を基準にして判断しても間違いのないものである。~福田恆存
稲田防衛大臣の発言要旨
先日、稲田防衛大臣が東京都議選でした発言が波紋を呼んでおります。
稲田防衛相「誤解」35回連発、会見大荒れ(TBS)
都議会議員選挙の応援で「自衛隊としてもお願いしたい」などと発言した稲田防衛大臣。30日の記者会見で「誤解」という言葉を35回も連発。大荒れとなりました。一体、何をどのように誤解させたというのでしょうか?
「防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党としてもお願いしたい」(稲田朋美防衛大臣 今月27日)
都議会議員選挙の応援で「防衛省、自衛隊、防衛大臣としてお願いしたい」などと発言した稲田大臣。防衛大臣として投票を呼びかけるのは公職選挙法に違反するのではないかという指摘に対し、稲田大臣は「誤解」という言葉を使って釈明しました。
「私としては、防衛省、自衛隊、防衛大臣としてお願いするという意図は全くなく、誤解を招きかねない発言であり、撤回をしたということであります」(稲田朋美防衛大臣)
稲田朋美防衛相、会見で「誤解」発言連発 記者の追及にどう答えた?(全文)(ハフィントン・ポスト)
会見の全文をご覧になりたい方は上記をご参照下さい。しかし注目したいのは「誤解を招きかねない発言であった」と釈明している点です。「誤解を招いたので撤回する」ではなく「招きかねない」とはすなわち、正しく解釈したら「誤解になるはずがない」と彼女自身が暗に主張しているわけです。
今回の問題点は何?
この発言の問題点はもっぱらメディアでは「公職選挙法違反に当たるのではないか?」と解説されますし、これは全く間違いではないのですが、その背景をご説明したいと思います。
公務員は基本的に「地位を利用した選挙活動はダメ」となっております。政治活動を一切してはいけないというわけではありませんが、地位利用をしたらアウトとなるわけです。
そして稲田防衛大臣は防衛省の長ですから、当然ながらその地位を選挙活動で利用することはアウトとなるわけです。
なぜか?国会議員は選挙で選ばれますが、公務員は基本的に選挙を経ずにその地位につくからだろうと思います。三権分立というシステムを守るために、公務員および行政の長や省庁の長の選挙活動は「あくまで国会議員として、もしくは1人の私人として」する必要がある、というわけだろうと思います。
言葉と政治の本質的つながり
政治家がよく「政治家の言葉は重い」といいますが、これは言葉と政治とは切っても切り離せない、正しく使われなければいけない、という本質的な前提条件があるからです。
政治とは合意を得るための過程であり、国家を存続させるための行動であり、国民(特に弱者)を救うための行為です。本来は極めてアカデミックなものであり、多くの経験値と実践知の集合体でもある”はず”です。
学問の世界で言葉の定義が非常に大事にされるのは、そこに嘘や”誤解”がはいると一気に虚構になるからというわけですが、政治も「本来はアカデミックなものである」のであれば同様なのです。
※もっとも民主制においてはここに、数の闘争という要素が入ってくるわけですが。
従って政治家は言葉を重んじなければならないというのは真なのです。もっともメディアやその他様々なものも、言葉を重んじなければならないというのは同様なのですが、政治家の場合は”特に”となります。
不景気は好景気なり、誤りは誤解なり
冒頭の稲田防衛大臣の話に戻りますが、彼女はしきりに「誤解を招きかねない」と誤解を35回も連発したのだそうです。会見の全文を読みましたが、私的な感想としては「誤解をとく気がない」と感じました。
稲田防衛大臣の論理建てはこのようなものです。
「防衛大臣として選挙活動をしたという意図はなかった」「従って発した言葉がどのようなものであれ、意図はなかった」「意図がないのに周りからそう受け取られるということは、誤解に違いない」
同様の例が安倍政権全体に見られます。例えば前川喜平氏の証人喚問を野党が求めたところ、その回答が「前川喜平氏を参考人招致する必要はない」、野党が「なぜ必要がないのか?」と質疑したところ「必要がないというのが、その理由だ」と述べたのだとか。
どこの東朝鮮でしょうか(汗)これは強弁ではなく、そもそも論理的に説明する気がないわけです。
稲田防衛大臣の「誤解だ!」と主張しながら「誤解をとく気がない」にそっくりではありませんか(!!)
また同様の例は安倍総理にもあります。国会質疑にて「そもそも」の意味を「基本的という意味だ、辞書で調べた」と答弁し、なんとそれを「閣議決定(!!)」までしたのです。
そもそもとは「土台」という意味で、この閣議決定は土台無理筋な話である、といわざるをえないでしょう。
このような言語感覚の内閣ですから、実質賃金の下落やGDPデフレーターのマイナスにもかかわらず「不景気ではない!好景気である!」とデマゴーグをバラマキするわけです。緊縮財政の論拠は「バラマキはいけない!」だったはずですが、デマゴーグのバラマキはOKのようですね(笑)
※けっこう、笑い事じゃないのですが、笑うしかないでしょう。
主流派経済学的思考法
このような安倍政権の言語感覚から読み取れるのは、極めて安倍政権全体が「主流派経済学とおなじ思考法をしている」という事実です。
すこし主流派経済学の問題のある思考法について解説しますと、主流派経済学では「市場は均衡する”はず”」という結論から出発します。しかし実際の社会では市場は均衡していないし、むしろ均衡するならインフレもデフレも起こるはずがない。
ところが主流派経済学は「均衡するはず」という結論から出発しているので、難解な理論であたかも解説したように印象づけ、煙に巻くわけです。
では安倍政権の結論とは何か?おそらく「政権の維持」が結論であり、その結果は「政権は正しいはずだ」という思い込みであり、それが「前川文書は怪文書」「意図はなかったのに誤解された」「”そもそも”の言葉の意味を間違って閣議決定」というわけです。
色々と論じてきましたが結論としては、安倍政権は主流派経済学やリフレ派と同じく「認知不協和に陥っている」と解釈可能です。
その結果の1つが「言葉と政治の分裂」であり、今回の稲田防衛大臣の問題と見ることが可能ではないでしょうか?
そしてこの分析が正しいとするならば、安倍政権もそう長くないかもしれません。
(了)
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