「マンデル=フレミング・モデルは財政無効を証明するか」 | 進撃の庶民 ~反新自由主義・反グローバリズム
木曜日は、ソウルメイト様と隔週で望月夜様の寄稿コラムをお届けいたします!

重厚な経済論を、どうぞお楽しみください!


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「マンデル=フレミング・モデルは財政無効を証明するか」

リフレ派の多く(私の知る限りでは、原田泰、浜田宏一、高橋洋一、田中秀臣)は、財政無効の論拠としてよくマンデルフレミングモデルを引用している。

マンデルフレミングの論理構造は以下のようなものだ。

①投資は、(投資収益率に対して、相対的に)金利が下がれば増え、金利が上がれば減る。(もちろん、投資収益率に変動がある場合はその限りではない)
政府支出など、金利に関係ない支出の変動によって、「ある金利における総支出額」は変化する。

②通貨が増えると金利は下がり、通貨が減ると金利は上がるが、金利は基本的には0%までしか下がらない。(金利は、通貨を手放すことに対する報酬なので、所持通貨が増えるほど低い金利でも手放すようになる)
また、経済の取引量が増えて、通貨の取引需要が増えると、通貨の所持需要が逼迫を受けて金利が上がる。

③海外よりも金利が高ければ自国に資本が流入して通貨高になる。逆に海外より金利が低ければ、他国に資本が流出して通貨安になる。(資本移動自由・変動為替の仮定を置いている)



この三つが合わさると、以下のようなグラフが描ける。

01



①がIS(貯蓄投資曲線)、②がLM(貨幣需給曲線)、③がBP(国際収支曲線)に対応している。

このモデルのインプリケーションとしては、ISの動きが完全にキャンセルされ、LMとBPのみで総需要ポイントが決定する。


なぜなら、ISの右方シフトつまり政府支出や民間投資の増加は、通貨の所持需要を逼迫し、金利(通貨を手放すことによる報酬)を引き上げるからである。
自国金利が引きあがるなら、③により資本流入が起き、通貨高を生じる。通貨高は(あくまで相対的に)輸出を減らし、輸入を増やすから、所得は減少し、ISは左方シフトする。

そうして、ISはLM-BPの交点に回帰する。

一方で、通貨供給によるLMの右方シフトがあれば、仮にISの左方シフト(例えば増税)があったとしても、金利低下による通貨安が効いて、ISが右方シフトし、LM-BPの交点に帰着する。


(なぜかリフレ派には、財政出動の効果に懐疑的である一方で増税や緊縮には否定的な面々が少なくないが、その結論は少なくとも上記モデルとは矛盾する話だ。)


しかしながら、金利が0%近傍まで引き下がるようだと、このモデルのインプリケーションはどうなるだろうか。それを記述したのが以下のグラフである。

x2

この場合、ISの変化は、それがLMが立ち上がっている部分に達するまで(つまり、通貨の逼迫が起こるまで)全く金利変化を起こさない。したがって、上記で解説したような、金利変化による揺り戻しも生じない。

総需要のポイントは、ISのみで決まるようになる。流動性の罠においてマンデルフレミングモデルは、(仮に資本移動自由・変動為替であっても)財政有効・金融無効を証明することになる。

この理解においては、増税・緊縮が問題であると素直に論じることが出来るが、一方で、モデルの必然的な含意として、金融政策は総需要拡張能力を持たないと見做さなければならない。

ただし、グラフからもわかるように、金融引き締め(LM左方シフト)は効く(総需要削減は達成可能)なので、金融政策には、「財政政策を邪魔しないようにする」という「補完的・補助的」な役割が求められることは間違いない。


すでに列挙したリフレ派がMFモデルについて理解不十分である、あるいは恣意的なミスリーディングを行っているせいで、ネットリフレ派のMFモデル理解も大変混乱している。

(そのことについて、リフレ派は増税を肯定し、財政出動を否定しているという事実を認めない人々で触れている)

特に多い勘違いが、「MFモデルによれば、金融緩和をすれば財政政策が有効になる(金融緩和をしなければ財政無効)。それがMF効果」という代物だ。

上記解説でわかるように、これは通常のMFモデルからは導けない。(通常のMFモデルはLM-BPのみで総需要が決まっており、財政政策が有効になったりはしない)

流動性の罠導入済みMFモデルでは、似たようなことを言えなくはない(金融政策が、財政政策の補助的な役割をする)のだが、当該モデルは同時に金融政策単体の無効性も証明してしまう。(このことに同意しているネットリフレ派は極めて少ないのではなかろうか)



というわけで、リフレ派全般でマンデルフレミングモデルの理解がしっちゃかめっちゃかになっているわけである。

流動性の罠版MFモデルの解説は「マンデル=フレミング・モデルの妥当性と流動性の罠に関する下手くそなお絵かき」でも行っている。
また、その議論の原型になった「財政赤字と金融市場」論文(福田慎一)についても、「アカロフのケインジアン擁護 / クイギンのRBC批判 / 福田慎一の流動性の罠における財政政策論」で紹介している。

興味ある向きはこちらも読んでいただけると幸いである。




※[マニアックな論点整理] LMにおける「通貨」とは、ベースマネーなのか、それともマネーサプライなのか。


経済論争で「通貨」という言葉が出てくるとき、それがベースマネー(日銀負債)なのか、マネーサプライ(主に銀行負債)なのかは常に問題になるポイントである。IS-LM-BP(すなわちMFモデル)においても例外ではない。

一般に、中央銀行が操作しているのはベースマネーである。ベースマネーの追加が金利を低下させるプロセスは以下の通りだ。

ベースマネーが増えれば、銀行同士のベースマネー融通金利(いわゆる無担保コールレート)が下がる⇒銀行間決済、銀行-政府間決済時のBM調達コストが下がる⇒銀行預金を拡大する余地が増加する。これは即ち、貸出拡大余地の増加を意味する⇒貸出金利が下がる

また、マネーサプライの追加が、金利を低下させる経路もある。
この場合の金利は、銀行融資金利ではなく、非銀行主体(家計や企業)への利払いや配当であり、社債や株式の市中購入によって齎される。

(余談だが、マネーサプライを通じた資金融通と、銀行融資を通じた資金融通で異なるポイントは、前者が利払いに際して単にマネーサプライが移動するだけであるのに対し、後者は利払い分だけマネーサプライが償却される(消滅する)ことにある。)


いずれにせよ、ベースマネーやマネーサプライが単に増えることそれ自体の効果は、金利のゼロ下限によって制約される。

マネーサプライの追加は一見支出追加効果を齎しそうなのだが、マネーサプライがどのように供給されるかをもう一度振り返ってほしい。

以前、「お金はどこからやってくるのか」コラムで論じたが、マネーサプライの追加は、銀行の融資や資産購入によってもたらされるのであった。

これは銀行利用者の観点から見れば、借入債務の形成(あるいは、見合い資産の接収)を通じてマネーサプライが与えられることを意味している。

したがって、資産面で見れば、銀行預金資産の増加と借入債務の形成(あるいは実物資産減少)でキャンセルアウトされ、プラスマイナス0になっているのである。

それでも借入が起きるのは、調達したマネーサプライの運用利益が、借入金利を上回るからに他ならない。

したがって、借入金利がゼロに近づき、それ以上下がらないようになれば、どんなに銀行の貸出能力を(BM追加によって)引き上げても、非銀行側の借入意思が刺激されない。

その結果として、BMが追加されてもMSがそれに応じた増加を見せないという現象が観察されることになる。

中央銀行は、(金利ゼロ下限において、MS追加効果を持たない)BM操作しかできないので、中央銀行がいかにインフレ目標を唱えても、借入側はそれに応える意味も必要もないのである。

これに対応する回答は、マネーサプライを「ばらまく」ことである。つまり、非銀行民間の対価(見合い資産や借入債務)拠出なしでマネーサプライを供給することで、市中のマネーサプライがようやくコントロール可能になる。

そしてそれが可能なのは、中央銀行ではなく財務省である。中央銀行は(金融調節の都合上)純粋な負債を形成することが出来ない一方で、政府財務省は純粋な負債を簡単に形成することが出来る。

問題になっているのは、市中の金融資産不足であり、それは政府の金融負債形成なくして解決できないのである。ここを理解できていないと、「統合政府で見れば財政再建は終わっている」などという珍説・誤謬に嵌まり込むことになる。





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