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福祉に関わる人たちへ

人生はどれだけ多くの気づきを経験したかで、如何様にもなるものです。誰かが言っていますよね。「人は思うようにならないと言うが、そう思っているという意味では、思い通りになっている」と。

こんばんは、、「障害者じゃなく、支援者が変わろう!」です。


僕は、障害者という言葉が嫌いだ。



よく支援者は、発達は○○、自閉は○○、統失は・・・

とまるで血液型占いのように、特性を決めてしまう傾向がある。


これって、本当に危険。



そして、決まってこう付け加える・・「個人差があります」と。



聞く方は「そりゃそうだ」と突っ込みたくなる。




僕は思う。

障害者を障害者にしているのは、もしかすると僕たち福祉に関わる人間たちなのかもしれないと。



ちなみに、このブログでは「障がい者」や「障碍者」ではなく、
障害者と書いているが、これは特に意味はない。


ただ、そんなところを気にすること自体に意味を感じないから。




僕らの潜在意識に深く刻まれた、世の中の普通や常識が、
障害者という名前を作っただけなのに。



考えたことがあるだろうか?




本当に障害者は、人間として障害を持った人なのだろうか?




本当にこの世は、どこにも誤りはないのだろうか?








こんにちは、「障害者じゃなく、支援者が変わろう!」です。

前回、専門用語の話の中で、自己満足ということを話した。


支援、支援というが、その支援を誰が望んでいるのだろうか?


考えたことがあるだろうか?


いくらおいしいパンを作って店頭に並べたところで、お客様は買ってくれない。

「これ欲しい!」「これ買わないと!」という感情が動かないから。


ターゲッティングという言葉があるが、誰に向けてどんなサービスを提供するのかが
理解できていなければ、どんなサービスも自己満足に過ぎない。


例えば、任天堂の「Wii(ウィー)」。

買う人は、なぜ何万ものお金を出して買うのだろうか?



家で、楽しく遊ぶ子供の顔や友達みんなと一緒に遊んでいる光景、
恋人と一緒にゲームをしている幸せ感を想像するからではないだろうか。


そこには、任天堂のCMや店頭の売り方等々に様々な演出があるからこそ、
お客様の感情をコントロールすることが出来るのである。


自分目線ではなく、100%相手目線だからこそ可能なことだと思う。



福祉に足りないのは、ビジネス力だと誰かが言ったが、僕も共感する。




自己満足ではなく、相手の感情に目を向けて欲しい。
こんにちは、「障害者じゃなく、支援者が変わろう!」です。

最近、障害者雇用が促進され、企業が様々な事情はあるとはいえ、
障害者の採用を率先して行うようになっている。


そこで登場するのが「支援者」


障害についてわからない企業の人たちと
働くことに大きな不安を抱えた障害者の間に立つ専門家だ。


だが、知っていただろうか?


実はその支援者もその障害者とは、数日前に会ったばかりだということを。
(*勿論、そうでない場合もある)


何が言いたいか?というと・・・


過去の情報と専門知識を頼りに支援をするということだ。



知的の人は、視覚的ツールが有効・・・
自閉の人はこだわりが強いから・・・
アスぺルガーの人は、コミュニケーションが・・・
統合失調症の人は、疲れやすいから・・・



などなどあげればきりがない。

実のところ、会社が困っていることは、支援者もわからないことが多い。


でも支援者は、「わからない」とはなかなか言えない。(なぜだか)


そこで、今回のいちばん伝えたいこと
それは、専門用語


僕は、個人的に嫌いだ。
専門用語
使うことが多い支援者には、なりたくないと思っている。
(その前に、自分を支援者だとも思っていないのだが・・・)



それは、何故かって?


相手に伝わらないから。


自分が、本当に対応方法を知っていたら、相手の立場になってシンプルに伝えられるはず。


これが、意外に難しいから専門用語を使う。
便利といえば便利なのだが、相手には伝わらない。


意味のない助言やアドバイスは、自己満足に過ぎないのに。


そんな経験ありませんか?