Vol.30 「タイムマシン」 | 福祉に関わる人たちへ

福祉に関わる人たちへ

人生はどれだけ多くの気づきを経験したかで、如何様にもなるものです。誰かが言っていますよね。「人は思うようにならないと言うが、そう思っているという意味では、思い通りになっている」と。

おはようございます、「障害者じゃなく、支援者が変わろう!」です。


経験というのはとても大事。


プロフィールにも書いてある通り、僕は「てんかん」だった。




僕は昔、毎日のように痙攣発作を起こしていた。



まずは、口元が痙攣して、舌を噛み、全身発作になり意識がなくなる。



救急車に運ばれたこともあれば、気づいたら車が行き交う大通りの歩道を裸足のまんま
歩いていたこともあった。


まったく、記憶がない。



全身痙攣して、目が覚めると下半身が濡れていることもしょっちゅう。




自分が情けなくて、惨めでたまらなかった。





自分も苦しかったけど、いちばん苦労したのは親だ。





心配で仕方なかったに違いない。





僕が、何かするたびに心配する言葉をかけられたものだ。





人は、周囲から何かを言われた時、無意識のうちに自分の中に入り込んでいく。




そのうち、僕は自信の持てない、弱い人間になっていた・・・





勉強もしなければ、スポーツも続かなかった。




何も考えずに、親を安心させるために生きていた。






あの頃の僕に会えるなら言ってやりたい。




「大丈夫。焦るな、今の苦しさがお前の将来の宝物になる。これから先、何かうまくいかない時がチャンスだと思うといい。大丈夫だから・・・お前を待ってる人がいることを僕は知ってる。」

と。



僕にとって、あの時期は自分の人生の本質に気づかせてくれるきっかけだった。


今はそう思う。





今では障害者の支援なんて言ってるけど、障害を障害と受け入れられない、当の本人が僕だった。





受け入れられないなら、無理に受け入れる必要はないと思う。
それは今もそう思う。





世の中、きっかけやチャンスしか自分の周りには落ちていない。



だとすると、それが見えるように視点を変えるしか方法はない。





あの時の僕は、いろいろ試した。





どうやったら発作がなくなるのか?






どういう時に発作が起こってどういう時に起こらないか・・・




自分だけを信じていたあの頃。
絶対に治ると信じていたのは自分だけだった。





賛否両論あるだろうが、常識に囚われたくないという自分はあの頃から健在だったわけだ。