おはようございます、「障害者じゃなく、支援者が変わろう!」です。
障害者の支援に関して、とても共感したことがある。
それは、ある支援者が講演の壇上で、客席からの質問に答えた時のこと。
質問は、
「どうしても支援をしているとおせっかいおばさんになってしまいます。どこまでしていいのかわかりません」
というもの。
同じく客席で聴いていた僕は、「あ~自覚はあるんだ。でもあの方、どう答えるだろうか?」
少し、息を飲んだ。
その方は、こう答えた・・・
「対象者に「支援してもらった」と思われたら負けだ」
そう思って支援をしていると。
言葉の使い方としてどうかとは思うが、支援とは、本人が自分で問題を解決出来たと実感してもらうことだ。第三者に何かをしてもらったなどと思われたらそれは、支援ではない。
多くの支援者は、「私は支援してます」とご満悦状態なのだが、それらは、自己満足以外のなにものでもない。
極端なことをいえば、感謝される存在であってはならない。
前回の記事で、
"本当の支援とは、支援される側から「ありがとう」と心から言ってもらえる行動のことを言うのではないでしょうか??"
とコメントをいただいた。
そうなのかもしれない。ケースバイケースで支援者と障害者の信頼関係を築くために、
「この人は私を助けてくれる人なんだ」
そう思ってもらうことから始める場合もあるから。
しかし、それは表面上でしかない。
最悪の場合、「助けてあげるから私の言うとおりにしなさい」となる場合もあるだろう。
どんな人でも、何かに気づく時期というのは異なるものだ。
「今、こうすることがあなたの為なんだよ」
そんなこと、今わかるはずがない。
支援者は、今すぐに支援者としての自分が何をしなきゃいけないか?ばかりを考えてしまう。
そして、それを他者にも求める。
暴走発言になるかもしれないが、一度、支援者や福祉の仕事をすべてなくしてしまえばいい。
世の中は、それでも回っていくものだ。
「支援してください」という障害者
「支援してあげます」という支援者
どうやってお金を稼ぐか、どうやって日本経済を潤沢にしていくかと考えている
企業人にとっては、理解不能の世界でしかない。
僕は、よく知ってる。
障害者が障害者じゃないということを。
どうしても「障害者」という存在を作りたいのなら、それは世間体に囚われている健常者と呼ばれる側なのではないだろうか?
自らの思いや考えを麻痺させて生きるほど、意味のない人生などない。
Vol.27 「不必要な支援③」に続く・・・