おはようございます、「障害者じゃなく、支援者が変わろう!」です。
もう、やめたのかと思うほどに、久々の投稿・・・
最近、言われることがある。
いつも障害者と働く従業員から、「障害者の方と働いていて、疲れませんか?」と。
僕は、正直に言う。「疲れませんね。でも知的障害の方以外と一緒に働いている時は、
たまに感情が出ることがあります」と。
前にも書きましたが、「はい」「はい」と言われた通りに動いてくれる障害者のことは、
他に問題があっても意外に、可愛がられたりしてしまう。
逆に、自己主張をする障害者には、厄介もの扱いしてしまう。
これって、どうなの?
シーンは違えど、指導について桑田さんがこんなことを言っている。
シーンは違えど、指導について桑田さんがこんなことを言っている。
日本中、何百というチームを見てきたけど、子供達を怒鳴り散らしている指導者ばかり。
「怒鳴らないと理解してもらえないほど、私には指導力がないんです」
と、周りに言っているようなもんだよね。
そんなことも、わからないのかね?恥ずかしいというか、あまりにもひどすぎるよね。
そりゃぁ、叱らなければいけない時もあるよ。でも、試合中、練習中、最初から最後まで、怒鳴ることないよね。
その情熱は、素晴らしいと思うんだけど、方向が間違っているよね。
それだけ情熱があるのなら、もっと勉強して知識を身につけるべきだよね。
もっと怖いのが、知識はあるけど、その知識を間違って使っている指導者だよね。
どちらのタイプの指導者にも、他人の大切な子供を預かるんだから、最低限の知識を身につけ、
知識があるのであれば、正しい方向に使ってほしいよね。
このことを、声を大にして、お願いしたいし、そろそろ「気が付いて」ほしいね。
叱ると怒鳴るは違うというのは、よく言われるけど、実際に理解出来てる親や指導者は少ない。
簡単にいえば、自分自身が感情にコントロールされているのか、コントロールできているのかの違い。
障害者、障害者っていうけど、それは縮図であって、本当はどの人間も結局のところ同じだと思う。
感情がコントロールできないから怒鳴る。
感情に流されるから疲れる。
加えて、
自分に逆らうからムカつく。
自分の言うことを聞かないからイラつく。
自分を否定されたと思うから怒る。
全部、受け皿の問題・・・・
あと、言うことを聞いてくれる障害者や、自閉症の癒されキャラ的な障害者を
可愛いとか癒されるとか、思ってしまうのは、
受け皿である、僕らに直接害を及ぼさないことがわかってるから。
そう考えるとこれまた滑稽だな・・・
「怒鳴らないと理解してもらえないほど、私には指導力がないんです」
と、周りに言っているようなもんだよね。
そんなことも、わからないのかね?恥ずかしいというか、あまりにもひどすぎるよね。
そりゃぁ、叱らなければいけない時もあるよ。でも、試合中、練習中、最初から最後まで、怒鳴ることないよね。
その情熱は、素晴らしいと思うんだけど、方向が間違っているよね。
それだけ情熱があるのなら、もっと勉強して知識を身につけるべきだよね。
もっと怖いのが、知識はあるけど、その知識を間違って使っている指導者だよね。
どちらのタイプの指導者にも、他人の大切な子供を預かるんだから、最低限の知識を身につけ、
知識があるのであれば、正しい方向に使ってほしいよね。
このことを、声を大にして、お願いしたいし、そろそろ「気が付いて」ほしいね。
叱ると怒鳴るは違うというのは、よく言われるけど、実際に理解出来てる親や指導者は少ない。
簡単にいえば、自分自身が感情にコントロールされているのか、コントロールできているのかの違い。
障害者、障害者っていうけど、それは縮図であって、本当はどの人間も結局のところ同じだと思う。
感情がコントロールできないから怒鳴る。
感情に流されるから疲れる。
加えて、
自分に逆らうからムカつく。
自分の言うことを聞かないからイラつく。
自分を否定されたと思うから怒る。
全部、受け皿の問題・・・・
あと、言うことを聞いてくれる障害者や、自閉症の癒されキャラ的な障害者を
可愛いとか癒されるとか、思ってしまうのは、
受け皿である、僕らに直接害を及ぼさないことがわかってるから。
そう考えるとこれまた滑稽だな・・・
