4月7日朝。

テントの中。

さすがにお疲れモード。


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しかし、朝のカップめんを食べて

朝礼のころにはヤル気満タン!

今日もやるぞ~
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この日は物資を積んで女川・牡鹿半島へ。

倉庫にある全国から届いた物資たち。

必要とする方に届けられるのを待っています。


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運び出して詰められるだけ詰めます。

この日は食料は割と大丈夫との情報を得ていたので、

水・医療品・下着・毛布・おむつ・長靴などなど。


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詰め込め―!


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そして出発。

これまで活動していた石巻市街よりも、

さらに海の近くを通っていきます。

視界に入る破壊はどんどん酷くなっていきます。


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車の中の4人は唸るだけです。

うめき声です。

「う、うーん」

「あああ」

そして溜息。

「ふう」


そうこうしているうちに女川町に入りました。

小学校を目指していましたが、

ちょっと間違えて高台の病院に行ってしまいました。


ここはかなりの高台です。

なぜこんな高いところにまで押しつぶされた車が?


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そう思って振り返ると、

高台の下には女川の町が広がっていました。


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何も残っていません。

なにも。


病院の駐車場のおじさんに小学校の場所を聞きました。

少し話もさせていただきました。


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すると、たまたまマンションの屋上に

引っ掛かっている車の持ち主の方でした。


この車です。


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ここは18mの津波に襲われたそうです。

おじさんは高台の車の中にいたのですが、

渦を巻いて津波が上がって来て、

慌てて車を捨てて逃げたそうです。


そのまま車に乗ってたら命はなかった。

そう言って視線を下に落とされました。


元気づけるつもりの握手なのに、

目を合わせられませんでした。

ただ、必ず僕の地元に伝えますと約束しました。


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僕たちはその後高台を降り、目的の小学校を目指します。

別れ際、おじさんが言いました。

5時までには帰って来ないと、下は通れなくなるよ。

地盤沈下で満潮になると町が沈むから。


満潮で沈む町に希望などあるのか?

僕は本当にやり切れない気持ちになりました。


高台を降ります。

何もありません。

破壊し尽くされています。

なんだか心の灯が消えていく気がしました。



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小学校へ向かう途中、丘の上に港が一望できる公園がありました。


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公園には地割れがところどころにありました。


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公園にあった石碑です。


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そこにはこう書かれていました。


-------

昭和八年三月三日

大震嘯災記念


大地震の後に津波が来る

地震があったら津波の用心

-------


昭和三陸地震の後の教訓として建てられたものでしょう。

しかしここまでの破壊を見ると何か虚しく思えてしまいます。


牡鹿半島の方も同じような光景が続きました。

希望を失いそうになります。




しかし、そうではなかった。


希望はありました。

瓦礫と瓦礫の間に、何本も新しい電柱を立てる工事をしていました。


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ぴかぴかのシルバーに輝く電柱が建っていきます。

電気は希望です。

街は必ず復興します。



(続く)

めっちゃ大事な告知を忘れていました。

僕の大好きな大心友新谷さんの開催する被災地復興イベントです。


4月30日 金沢です。


大師匠西田文郎先生も来て戴けます。

もちろん僕も行くつもりです。


4月30日は地場産業センターで会いましょう!


ぜひ皆さん参加を!


詳しくはここ

↓↓↓

http://ameblo.jp/shin0094/entry-10851115722.html


ありがとうございます。


感謝。

お昼からの現場へ。

これも個人の方からの依頼。


うっ、ひ、広い。


駐車場。


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庭。


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塀にはひびが。

塀の下の溝もヘドロで埋まっている。


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ここを5人かあ。

一人で10人分の働きをする星野さんは、

別の現場に行っちゃったしなあ。


・・・・とか考えている暇はない。

基本的に一日のボランティアは15:30に切り上げ、キャンプには17:00までには戻る。

テント生活をしながら夕方遅くまでやると健康を害す恐れがある。

こういう割り切りも大事。

とにかく出来るとこまでガンガンやるぞ!!


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薄井さんも頑張る!


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大学生の拓くんはさすがに若い!

僕たち40路、50路がヘロヘロなのをよそに、

元気いっぱい!

背中にも活気があります!


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しかしなにしろ5人。

しかも中年率が高い。

駐車場を終わらせるので手いっぱいだな~

と思っていたら別部隊の応援が10人!!!!


やっほー

またやる気復活。


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やっぱ数です。

あっという間に片付いて行く。


今日はちょっと難しいなと思ってた庭までヘドロ除去できた!


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この間にも大きな余震があり、

ここの依頼主のおばさんが心配してくれました。

おばさん、ゴマ煎餅うまかったよ!!


今日の仕事終了。

おばちゃん感激してくれました。


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人がいらっしゃる個人宅や被災者の写真撮るのもルールがあります。


自分の家が破壊されているのを興味本位でパシャパシャ撮られたら嫌ですよね。

がっくりしている写真を興味本位でとられたら嫌ですよね。

でも僕たちはしっかり伝えていきたい。

これからのムーブメントのために。

だからそういうときは、相手に写真を撮っていいか了承を戴くのがルールです。



いつも本当にお世話になっている経営合理化協会の三木さんも言います。

↓↓

これまでは「良いことしてまっせ」的な発信がどうも苦手だった。

でも師に言われた。

「どんどん発信しなきゃダメ!」
「特に、こんなに復興してますよ!」という情報を!

世界的に悲惨な状況は、広く回っていきますが、
その後の復興の情報は、ないがしろになりがちです。

阪神・淡路大震災のときもそうでした。

今までは、
「あの美しい町が、こんな無残な姿に変わってしまいました」

これからは、
「あんなに大きなダメージを受けた町が、こんなに復興してます(部分的だけでも)」

という情報を、私たちは発信すべきではないでしょうか。

そんな情報を少しづつ、草の根でも発信していけば、
現地企業との取引が再開しやすくなり、
現地で失速した様々なビジネスが少しでも速く復活し、
それが本当の復興に向けての追い風になるのではないでしょうか。

悲惨なままでは「頑張れ」という声はあっても、
いつまでたっても、ビジネスの取引や観光客は戻って来ません。

このような考え方から、
これから私は、復興の状況を出来るだけ多くの人に
発信していきたいと思います。
↑↑


ホントにその通りだと思います。

こういう発信を好きこのんでやる人間はいないでしょう。

でも、今後を考えればしっかり発信することは絶対に必要だと思うのです。

1人の100歩よりも100人の1歩。


僕の首あたりの高さにくっきりと津波の跡が残っています。

実際は僕の背よりも少し上まで来たようです。


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集合場所に戻ります。

使ったスコップなどをきれいに洗います。


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帰りのクルマではへとへと。

足腰が立たない。

しかしものすごい充実感です。


自衛隊のクルマもキャンプに戻ります。


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夕方のキャンプ。


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それから、め組JAPANのみんなでシェアリング。


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ここで僕は話をたくさん聞きました。


瓦礫の山が家の前を塞いでいたために2週間以上も

家の外に出られなかったおばあちゃん。

それを見つけため組スタッフは緊急性が高いということで、

すぐに近くの重機に依頼。

自身も必死で撤去をしました。

そして、

玄関から外に出られたおばあちゃんの表情が忘れられない

と語る彼の眼から、ぽとりと涙がこぼれおちました。


正直、僕はだだっ広い駐車場なんかは重機でやった方が早いと思っていました。

重機が圧倒的に足りない、早く被災地にバンバン投入して片づけた方がいい、と意見をしました。


しかし、あるボランティアの方が語ってくれました。


オレもそう思っていたよ。

こんなのもう住めないんだから潰した方が早いって。

でもね、はじめてドロカキに行ったときに会ったおじいちゃんが言うわけよ。

「この家住めるわな。綺麗にすればまた住めるわな」って。

そう言って、ヘドロから出てきた割れていない皿を川の水で洗ってさあ、

泥まみれの写真を一生懸命拭いてさあ。

よーしって思ったよ。

めっちゃ綺麗にしてやるって。

何しろそのために来たんだから。

畳めくってぜーんぶ泥かいてやった。

おかげでめっちゃ筋肉痛だけどさ。


そう言って彼は笑いました。


未だ行方不明の方もたくさんいるわけです。

仏様がヘドロの中に眠っていらっしゃるかもしれないのに、

重機を簡単に入れることはどうなんだろうね。


そう諭して下さる方もいらっしゃいました。


僕は重機でやれば早いのにと意見しに来たわけではなく、

泥をスコップ一杯でも掻きに来たのです。


あまりに効率が悪く思え、疲れたので、

早くも不満を言っていた自分を恥ずかしく思いました。

思い出させてくれてありがとう。



また、ボランティアキャンプ近くの小学校の話も聴きました。

50人以上の小学生が亡くなり、20名ほどの子供が未だ行方不明ということでした。

避難した方向の先頭から津波が子供たちを飲み込んで行ったそうです。

そして、一カ月ちかく経った今も子供の遺品や仏を探して瓦礫の中を捜しまわる親の姿。

子供の名前が書いてあるピアニカを見つけて抱きしめ号泣するお母さん。

その話を聞いて息が出来なくなりました。


でも少なくとも僕は明日には笑わなければなりません。


薄井さんたちと一緒に来てヨカッタことがあります。

それは夜のキャンプを楽しく過ごせたことです。

僕は一つでも多くの笑顔を石巻にという意志でボランティアに入りました。

しかしながら、あまりに悲惨であまりに厳しい現実を前に何度も心が折れそうになりました。


でも夜のキャンプを囲みながら、

ほんのちょっとくだらないことを話して、

ほんのちょっとおやじギャグを聴いて。

そのほんのちょっとがたまらなく僕を癒してくれました。

仲間の皆さんからいただく沢山のメールも本当に心強かった。


だから翌朝も笑顔で頑張れました。


ボランティアはうつむいていてはできません。

しっかり前を見て希望を胸に動かなければなりません。


こんなふうに。


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実際、ちょっと精神的にきつくなってきている方も、

ボランティアスタッフの中には見受けられました。

こんなに苛酷な中でそれほど息を抜くハードもなく、

黙々と働いていらっしゃるのだから当然です。


そんな方々を癒すのは笑顔です。

それ以上に過酷な被災者の方々にも笑顔で少しでも元気を与えたい。

僕はこの日、この一週間は絶対に笑顔でいようと決めました。


翌日僕たちは、

女川・牡鹿半島へ物資を届け隊ということで活動するのですが、

ここにはもっと壮絶な現実が待っていました。


(続く)