お昼からの現場へ。
これも個人の方からの依頼。
うっ、ひ、広い。
駐車場。
庭。
塀にはひびが。
塀の下の溝もヘドロで埋まっている。
ここを5人かあ。
一人で10人分の働きをする星野さんは、
別の現場に行っちゃったしなあ。
・・・・とか考えている暇はない。
基本的に一日のボランティアは15:30に切り上げ、キャンプには17:00までには戻る。
テント生活をしながら夕方遅くまでやると健康を害す恐れがある。
こういう割り切りも大事。
とにかく出来るとこまでガンガンやるぞ!!
薄井さんも頑張る!
大学生の拓くんはさすがに若い!
僕たち40路、50路がヘロヘロなのをよそに、
元気いっぱい!
背中にも活気があります!
しかしなにしろ5人。
しかも中年率が高い。
駐車場を終わらせるので手いっぱいだな~
と思っていたら別部隊の応援が10人!!!!
やっほー
またやる気復活。
やっぱ数です。
あっという間に片付いて行く。
今日はちょっと難しいなと思ってた庭までヘドロ除去できた!
この間にも大きな余震があり、
ここの依頼主のおばさんが心配してくれました。
おばさん、ゴマ煎餅うまかったよ!!
今日の仕事終了。
おばちゃん感激してくれました。
人がいらっしゃる個人宅や被災者の写真撮るのもルールがあります。
自分の家が破壊されているのを興味本位でパシャパシャ撮られたら嫌ですよね。
がっくりしている写真を興味本位でとられたら嫌ですよね。
でも僕たちはしっかり伝えていきたい。
これからのムーブメントのために。
だからそういうときは、相手に写真を撮っていいか了承を戴くのがルールです。
いつも本当にお世話になっている経営合理化協会の三木さんも言います。
↓↓
これまでは「良いことしてまっせ」的な発信がどうも苦手だった。
でも師に言われた。
「どんどん発信しなきゃダメ!」
「特に、こんなに復興してますよ!」という情報を!
世界的に悲惨な状況は、広く回っていきますが、
その後の復興の情報は、ないがしろになりがちです。
阪神・淡路大震災のときもそうでした。
今までは、
「あの美しい町が、こんな無残な姿に変わってしまいました」
これからは、
「あんなに大きなダメージを受けた町が、こんなに復興してます(部分的だけでも)」
という情報を、私たちは発信すべきではないでしょうか。
そんな情報を少しづつ、草の根でも発信していけば、
現地企業との取引が再開しやすくなり、
現地で失速した様々なビジネスが少しでも速く復活し、
それが本当の復興に向けての追い風になるのではないでしょうか。
悲惨なままでは「頑張れ」という声はあっても、
いつまでたっても、ビジネスの取引や観光客は戻って来ません。
このような考え方から、
これから私は、復興の状況を出来るだけ多くの人に
発信していきたいと思います。
↑↑
ホントにその通りだと思います。
こういう発信を好きこのんでやる人間はいないでしょう。
でも、今後を考えればしっかり発信することは絶対に必要だと思うのです。
1人の100歩よりも100人の1歩。
僕の首あたりの高さにくっきりと津波の跡が残っています。
実際は僕の背よりも少し上まで来たようです。
集合場所に戻ります。
使ったスコップなどをきれいに洗います。
帰りのクルマではへとへと。
足腰が立たない。
しかしものすごい充実感です。
自衛隊のクルマもキャンプに戻ります。
夕方のキャンプ。
それから、め組JAPANのみんなでシェアリング。
ここで僕は話をたくさん聞きました。
瓦礫の山が家の前を塞いでいたために2週間以上も
家の外に出られなかったおばあちゃん。
それを見つけため組スタッフは緊急性が高いということで、
すぐに近くの重機に依頼。
自身も必死で撤去をしました。
そして、
玄関から外に出られたおばあちゃんの表情が忘れられない
と語る彼の眼から、ぽとりと涙がこぼれおちました。
正直、僕はだだっ広い駐車場なんかは重機でやった方が早いと思っていました。
重機が圧倒的に足りない、早く被災地にバンバン投入して片づけた方がいい、と意見をしました。
しかし、あるボランティアの方が語ってくれました。
オレもそう思っていたよ。
こんなのもう住めないんだから潰した方が早いって。
でもね、はじめてドロカキに行ったときに会ったおじいちゃんが言うわけよ。
「この家住めるわな。綺麗にすればまた住めるわな」って。
そう言って、ヘドロから出てきた割れていない皿を川の水で洗ってさあ、
泥まみれの写真を一生懸命拭いてさあ。
よーしって思ったよ。
めっちゃ綺麗にしてやるって。
何しろそのために来たんだから。
畳めくってぜーんぶ泥かいてやった。
おかげでめっちゃ筋肉痛だけどさ。
そう言って彼は笑いました。
未だ行方不明の方もたくさんいるわけです。
仏様がヘドロの中に眠っていらっしゃるかもしれないのに、
重機を簡単に入れることはどうなんだろうね。
そう諭して下さる方もいらっしゃいました。
僕は重機でやれば早いのにと意見しに来たわけではなく、
泥をスコップ一杯でも掻きに来たのです。
あまりに効率が悪く思え、疲れたので、
早くも不満を言っていた自分を恥ずかしく思いました。
思い出させてくれてありがとう。
また、ボランティアキャンプ近くの小学校の話も聴きました。
50人以上の小学生が亡くなり、20名ほどの子供が未だ行方不明ということでした。
避難した方向の先頭から津波が子供たちを飲み込んで行ったそうです。
そして、一カ月ちかく経った今も子供の遺品や仏を探して瓦礫の中を捜しまわる親の姿。
子供の名前が書いてあるピアニカを見つけて抱きしめ号泣するお母さん。
その話を聞いて息が出来なくなりました。
でも少なくとも僕は明日には笑わなければなりません。
薄井さんたちと一緒に来てヨカッタことがあります。
それは夜のキャンプを楽しく過ごせたことです。
僕は一つでも多くの笑顔を石巻にという意志でボランティアに入りました。
しかしながら、あまりに悲惨であまりに厳しい現実を前に何度も心が折れそうになりました。
でも夜のキャンプを囲みながら、
ほんのちょっとくだらないことを話して、
ほんのちょっとおやじギャグを聴いて。
そのほんのちょっとがたまらなく僕を癒してくれました。
仲間の皆さんからいただく沢山のメールも本当に心強かった。
だから翌朝も笑顔で頑張れました。
ボランティアはうつむいていてはできません。
しっかり前を見て希望を胸に動かなければなりません。
こんなふうに。
実際、ちょっと精神的にきつくなってきている方も、
ボランティアスタッフの中には見受けられました。
こんなに苛酷な中でそれほど息を抜くハードもなく、
黙々と働いていらっしゃるのだから当然です。
そんな方々を癒すのは笑顔です。
それ以上に過酷な被災者の方々にも笑顔で少しでも元気を与えたい。
僕はこの日、この一週間は絶対に笑顔でいようと決めました。
翌日僕たちは、
女川・牡鹿半島へ物資を届け隊ということで活動するのですが、
ここにはもっと壮絶な現実が待っていました。
(続く)