この世界の全ては誰の(何の)ためにあるのか4 | マリーゴールド(草)

マリーゴールド(草)

子ども(明日奏)が生まれたことを機に、僕達の心情の変化みたいなものを残してあげられたらな。と思っています。

先に示したように、現実では『一匹の生物』として生きることは困難です。あくまで、社会常識のもと枠内で羽を広げねばなりません。十分なお金も必要です。
しかし、ゲーム内において人は『一匹の生物』として生きることを1000分の1ほどでも味わえます。作られたものである以上、出来ることは決まっていますが、誰かに気兼ねすることもありません。(いわゆるオンラインゲームなど、人が密接に関わってくるゲームにおいては注意が必要ですが)

さて、僕は格闘ゲームが好きなんですが、今はオンラインで世界中の人々と対戦出来ます。基本的には相手の体力を全て奪えば勝ち、自分の体力がなくなれば負け。非常にシンプルです。この瞬間、僕は『一匹の生物』として生きることを味わいます。何をやっても自由、つまりその瞬間、
『全ては己のためにある』
わけであり、己のやりたいことをやって勝つことが許されるのです。
ただ、そこで回避不可能な問題が生まれます。

対戦相手です。
もし、回線が悪さやマナーの悪さで悪評が立つ、ゲームが流行らなくなり自分だけになる、などして対戦不能な状況に陥ったら……恐らく続けることはなくなるでしょう。格闘ゲームは自分一人では成り立ちません、そこには相手が必要です。それは、他の色々なシーンにおいても同じことです。何をやるにしても一歩先、一歩後ろに人がいないといけないのです。

この世界の全ては己のためにあるのか
それともみんなのためにあるのか

人によって導き出される答えは違うと思います。ただ一つ僕に言えるのは、
『格闘ゲームを楽しむためには、対戦相手を大切にするべきだ』
ということですね。