この世界の全ては誰の(何の)ためにあるのか3 | マリーゴールド(草)

マリーゴールド(草)

子ども(明日奏)が生まれたことを機に、僕達の心情の変化みたいなものを残してあげられたらな。と思っています。

僕にとって、人々にとって、宇宙(魂)は一人に一つしかありません。ですが、人間同士集まってコミュニケーションをとる、などして疑似的に共有するような感覚を味わうことが出来ます。人間は、感情移入が出来る動物なので、その分強く一体感を得ることが出来ます。
この体験、交流が長期間得られない場合、孤独に捕らわれ、より己の宇宙を絶対的なものに感じるのだと思います。原因は人によって様々です。もともとコミュニケーションのシステムが薄い場合、感情移入の力が弱い場合、全く人に理解されない理論に達した場合、物凄く大事なものを失った場合、何をやればいいか全く分からなくなってしまった場合、など起こる原因は理解不能な点が多いです。

突然ですが、何を書いているのか訳がわからなくなってきたのでタイトルの
『全ては何のためにあるのか』
に戻ります。疑問文になっていることに意味があります。要するに僕にはある考えが生まれました。

《この世界にたった一つの宇宙を持って生まれてきた。僕の命が尽きればそのたった一つの宇宙が消えてしまう以上、何をやっても自由なのではないか?つまり、この世界の全ては己一人のためにあるんじゃないか?》
ということです。誤解を招きそうですが、僕は人や社会に迷惑をかけるようなことはしません。あくまでこの考えに至る人が他にもいるのではないか?という仮説ですね。

ですが、これを格闘ゲームに当てはめて考えた場合に、また別の考えが生まれました。次にいきます