マリーゴールド(草)

マリーゴールド(草)

子ども(明日奏)が生まれたことを機に、僕達の心情の変化みたいなものを残してあげられたらな。と思っています。

早いもので生まれてもう3ヶ月になりますが、毎日娘の成長を楽しむ反面、生活としては少し単調に感じます。僕がそう思うくらいだから、娘に付きっきりの妻はもっとじゃないだろうか。もちろん、娘が泣いたりとか、言ってる間にハイハイを始めたりしてバタバタするので時間が経つのはとても早く感じます。ですが、定期的にミルクをあげること、一緒に遊んであげること、寝かしつけ。大まかな流れに単調さを少しだけ感じます。

書いてて今頃バカらしくなってきましたが、贅沢な悩みというやつですね笑
僕は記憶力は自信のない方だが、ときどき自分の嫌いなものを思い出して再認識しないと、自分が分からなくなってしまいそうで怖い。人並みに嫌いなものはあるし、食べ物は妻と比べてもそうだが、普通の人より多いだろう。小さい頃から、トマト、玉ねぎ、なすび、長ネギ、ニラとかセロリなどの野菜が苦手だった。ただ、時間が経つにつれ大人になるにつれ、その嫌いな野菜たちを周囲に大声で発信し続けないと、自信がなくなってきたように思う。ただ、間違いなく不味いはずなのに。
トマトは味が駄目。煮込んでスープになどしたらおわってる。玉ねぎ、長ネギは食感がだめ。何か舌触りがヌルヌルしてる。なすびもそう。何かぐにゃぐにゃで、なすび!って感じ。でも…‥…。
当たり前だけど食べる機会が多い、サラダに入ってるわ、カレーに入ってるわ、玉ねぎやネギなんて何にでも入ってる。トマトのヤツもだ。最近もてはやされてる。
時間が経つにつれ、いかに体に良いか、健康に生きるために必要な成分が含まれているであろうことなど、人間にとってあまりにも多くのプラスの要素が刷り込まれて、むしろ進んで食べるようになった。食べるようになりだしてからは不思議な感覚だ。美味しいとは思わないけど、体が欲しているような感覚がある。顔をしかめながらトマトジュースを飲む。不味い!だが不思議と爽快な気分だ。
僕はこれらの食べ物を果たして嫌いなのだろうか。
先に示したように、現実では『一匹の生物』として生きることは困難です。あくまで、社会常識のもと枠内で羽を広げねばなりません。十分なお金も必要です。
しかし、ゲーム内において人は『一匹の生物』として生きることを1000分の1ほどでも味わえます。作られたものである以上、出来ることは決まっていますが、誰かに気兼ねすることもありません。(いわゆるオンラインゲームなど、人が密接に関わってくるゲームにおいては注意が必要ですが)

さて、僕は格闘ゲームが好きなんですが、今はオンラインで世界中の人々と対戦出来ます。基本的には相手の体力を全て奪えば勝ち、自分の体力がなくなれば負け。非常にシンプルです。この瞬間、僕は『一匹の生物』として生きることを味わいます。何をやっても自由、つまりその瞬間、
『全ては己のためにある』
わけであり、己のやりたいことをやって勝つことが許されるのです。
ただ、そこで回避不可能な問題が生まれます。

対戦相手です。
もし、回線が悪さやマナーの悪さで悪評が立つ、ゲームが流行らなくなり自分だけになる、などして対戦不能な状況に陥ったら……恐らく続けることはなくなるでしょう。格闘ゲームは自分一人では成り立ちません、そこには相手が必要です。それは、他の色々なシーンにおいても同じことです。何をやるにしても一歩先、一歩後ろに人がいないといけないのです。

この世界の全ては己のためにあるのか
それともみんなのためにあるのか

人によって導き出される答えは違うと思います。ただ一つ僕に言えるのは、
『格闘ゲームを楽しむためには、対戦相手を大切にするべきだ』
ということですね。