世界最高峰の自転車レース、ツール・ド・フランスが始まっていますね。
今日はフランスの革命記念日、普通だとフランス人選手が大奮起して区間優勝をするんですが、
今年はそうは問屋が卸さなかったようで・・・。
日本の新城選手も健闘しています。7月25日、パリ・シャンゼリゼのゴールへ無事に飛び込んで
来て欲しいところです。
さて、サッカーのW杯・テニスのウィンブルドン選手権・そしてこのツール・ド・フランスとこの夏の
ビッグスポーツイベントが少しずつ時期をずらして行われました。
結果(ツールは進行中ですけど)、「大本命」もしくは「優勝の有力候補」と呼ばれるチームや選手は
ことごとく敗退しました。
(例:サッカーのブラジル・アルゼンチン、テニスのフェデラー・ロディック・ヴィーナスなど。ツールも
アームストロングは完全に優勝圏外)
なぜ?なぜ?なぜ?
私が思うのは、「強いからといって、それだけで勝てる時代は過ぎたのでは?」ということです。
「過去のネームヴァリューには、周りの人々がびびらなくなった」と言い換えてもいいかもしれません。
事実「たとえ、実力差が明らかにあっても、勝てる方法はある」とアンダードッグ(格下と見られている側)も
何らかの手段でもってして、食らい付くようにもなりました。
例えば、サッカーW杯のスイス(対スペイン)、スロバキア(対イタリア)のように。
「強い者が美しく勝つ」ことはもうないかも…。
会社の経営でも同じように思います。
「上場企業」とか「優良企業」とか言われていても、アッと言う間にその名声は失われてしまう。
原因はさまざまですが、それらはほんの些細なことが多い。
そして、足をすくわれたところへ、ニッチ市場を狙っていた後発企業が殺到する…。
だから、スポーツの勝敗づけも企業の優劣も「強いから勝つ」のではなく、
無名だろうが、後発だろうが、穴馬だろうが、「勝ったものが強い」のではないかと思うのです。
私は「勝てば官軍」」という言葉は嫌いです。
しかし、ルールの範囲内で「手段を問わず」ということはこれからどんどん起こってくるのでは?
ひょっとすると過去の統計なんて意味を成さない時代がくるのかもしれません。
また、未来は不確定だからこそ面白くもあります。
私のような弱者は、そういうところに希望と活路を見い出して、現状を変えようとして、もがくわけです。
過去のデータ通りに物事が必ず流れるなら、
何かを創り出す必要なんかなくなってしまうし、弱者は一生弱者のまま、となる。
そんなんイヤやもんね。
私が、コンサルティングをする時、
(件数が少ないから、偉そうには言いづらいけど…笑)
もしくはカウンセリングをする時、
(お若い方の進路相談・就業支援も業務の一部としてやってます。お金はほとんど頂いてないですが)
いつもそういう気持ちでやっています。
「どっかに綻びとか、取っ掛かりが必ずあるんじゃないかなあ…」って。
