「偶然」は、とても素敵なことをもたらすことが多い。
歌なんかだと、カップルが出会った「偶然」について歌われてるものが多いことからもわかるだろう。
しかし、恐ろしい偶然もある。
「明日、3月20日は地下鉄サリン事件から15年目にあたる」とのニュースを見た。
まかり間違えば、身近な人がそれに巻き込まれたかも知れなかったから、背筋に寒気が走る。
今でも。
私はその当時、川崎市の東急田園都市線沿線に住んでいた(会社の寮住まい)。
東京にお住まいの方はご存じだろうが、その路線は、地下鉄半蔵門線に乗り入れる。
同じ寮に住んでいた、同期の営業社員は神田にある営業所配属になっていて、
田園都市線(半蔵門線)→千代田線に乗り換えるという経路で通勤していた。
あと1本早かったら、ちょうど霞ヶ関駅で大混乱していた中に飛び込む電車に乗ってしまうところ
だったらしい。
「1本早かったら…」と、考えざるを得ない。
その約2ヵ月前、神戸で大地震があった。
やや離れている京都市でも南の方では、家の壁がひどく割れたとかいうことはあったという(友人談)。
しかし、これも私は川崎にいたわけだから、難を逃れている。
(それどころか、出社するまで地震があったことすら知らなかったくらいで)
こういう事件があって、私は、
「何かをしたいと思ったら、可能な限りその時にやっておかないと、何かの『偶然』でできなくなるかも」
と強迫観念のように思うようになった。
その後、勤務中に3日3晩の徹夜が祟って倒れ、病院に担ぎ込まれる、などということもあり、
「身体の動く若いうちに何でもいいから、外の世界を見たい。いや、見ておかなければダメだ」
という意識に完全に傾倒するようになった。
(それが、昨日書いた「外国行きたい病」 の発病)
その結果が、青年海外協力隊への参加、アイルランド・英国在住となる。
今になってみれば、「えらい簡単に動いたな」という気が私自身しなくもないけれど、
世の中、偶然の連発で動いているなと思ってしまう。
しかし、偶然をちょっとでもいい形で受け止めることは、できる気がする。
そこは自分次第なのだろうな、きっと。
