8月28日のこのブログにて「デフリンピックの金メダル候補
」、卓球の上田萌選手のことを取り上げました。
金メダルの期待が高かったのですが・・・。
昨日が、そのデフリンピック卓球競技の最終日でした(全体の最終日は今日)。
上田選手は、女子シングルス決勝で中国選手にフルセットで破れ、銀メダルに終わりました。
最終セットもジュースにまでもつれ込んだようです。惜しいことです。
普通に考えれば、「好成績」ですけれど、テレビでは結果が取り上げられることはなかったし、
新聞にもほとんど載らなかったので、どういう試合振りだったかはわかりません。
ポイント上接戦でも、実力差は大きかったかもしれないし、逆にまったく差はなくて、
ほんの少しの不運に泣かされただけかも。
どちらにせよ今は、全力を尽くしたことで、きっと開放感もあるでしょうけれど、きっと少し時間が経ってくると、
「なぜあと1ポイントが取れなかったのか?」と悔しい気持ちでいっぱいになるに違いありません。
上田選手の今後の活躍に引き続き注目したいと思います。
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さて、上田選手の話ついでに卓球のことを少し。
その卓球競技は、デフリンピックでも世界選手権でも、中国および世界各国の中国出身選手に
よって制圧されている感があります。そしてその中国選手に続くグループも韓国・日本などの
東アジア勢です。
1980年代末~90年代前半に一時、男子種目で欧州の選手が世界制覇していた時期もありました。
しかし、それを除けば、ずっと中国および中国系の選手が覇権を握ったまま。
女子種目にいたっては、1960年代から今日まで、ずうーっと中国選手の天下。
「まあ卓球は中国のスポーツだから、仕方ないんじゃない?」って思われるかもしれません。
いや、ちょっと待った!
卓球は、ほとんどのスポーツがそうであるのと同じくイギリスがその発祥地であります。
意外でしょうけれど。
19世紀後半、ロンドン近郊在住の熱烈なテニス愛好家によって始められたとされています。
どうやって?
イギリスは、秋・冬は雨の日が多く、外でテニスができない。
ならばその間は、家の中でテニスをやろう、ということで、テープルの上にネットを張り、そこでテニスをやった。
それが、卓球の始まり。よって英語で卓球のことを"Table Tennis"というわけです。
その始まった場所は、ロンドン郊外のクロイドン(Croydon)とも、あの有名なウィンブルドン(Wimbledon)とも
言われています(最近の研究では、クロイドン説が有力らしい)。
ちなみに毎夏のテニス選手権の会場になる「オール・イングランド・ローン・テニス・クラブ
(All England Lawn Tennis Club)」にはテニス博物館があり、数々のテニス関連の展示物の片隅に、
その草創期の卓球用具も展示されていて、優雅にボールを打ち合っているイラストも残されています。
テニスの歴史の一部としてちゃんと認識されている、というわけです。
ポロシャツで有名な「フレッド・ペリー」(テニスのウィンブルドン・チャンピオン)も、
元は卓球の世界チャンピオンだったりします(卓球からテニスに転向した)。
ゲームセンターの隅っこの方、もしくは温泉なんかで卓球をする時、ちょっとこのことを思いだして
いただければ幸いです。ここで書いたことをそのままそっくり使っていただいて、
うんちくをかたむけていただくのも大いに結構ですので(笑)。