本当に「戦争」は終わったのだろうか? | Tadのブログ

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ウロウロ、フラフラしている京都のAround40男(本業:診断“志”資格を持つ経営コンサルタント、副業:いろいろ)が、趣味の世界・日々思うこと・気づいたことなど、いろんなことを書いています。
ちょっとのぞいていって下さーい。

今日は64回目の終戦記念日とのことで、それにちなんだことを書きたいと思います。

また、小難しい話になると思いますが、宜しくお付き合いください。



1週間ほど前、読売新聞のオンライン版 にこんな記事が出ていました(クリックして読んでください)。

この時季になると、よく先の大戦に関連したニュースがいろいろ出てきて、「今年も、もうそんな季節に

なったなあ…」などと思ったりします。


(この橋が造られた経緯は、Wikipediaの「泰緬鉄道」の記事 をお読みください。私が説明するよりも

広範囲かつ的確でしょう)


さて、この記事 に出てくるクウェー川鉄橋 ですが、私は12年前ではありますが、訪れたことがあります。

ですので、その記事を見て、「なつかしいな」と思ったのですが。

ただ、そこを訪れた最終目的は、その鉄橋を見ることではなく、その同じ街(タイのカンチャナブリー)にある

「連合軍共同墓地」(この泰緬鉄道建設に従事させられ、その末に亡くなった連合軍捕虜が眠っている場所)

を訪れることにありました。


こちら↓がその写真です。上がその入り口、次に内部、下が全容です。12年前に普通のカメラで撮った

写真をスキャンしたものなので、見づらいのはご容赦ください。



<入り口…傾いています、済みません>


診断“志”Tadのブログ-連合軍共同墓地


<内部…両翼にそれぞれの兵士の墓標があります。"A soldier name unknown"と書かれた墓標が

本当に多かった>


診断“志”Tadのブログ-共同墓地の内部



<共同墓地の全容…正面の石碑には"Their name liveth for evermore"(彼らの名はとこしえに生きる)

とあります>


診断“志”Tadのブログ-共同墓地内全容



それで、なぜそこへ行ったかというと、「戦争はある人々にとっては、まだ終わっていないのではないか」

と常々思っていたからです。


さらに、なぜ、「戦争はある人々にとっては、まだ終わっていないのではないか」と思ったかと

言うと、その連合軍共同墓地に眠る兵士に「無名戦士」がとっても多かった、ということを人づてに

聞いていたからです。


ここまでで十分お分かりいただけると思いますが、つまりは、その兵士達の消息は当然誰にも

知らされていない、ということになります。本国から何千キロも離れた場所に眠ったままで…。

ご家族にも「行方知れず」と伝わっているだけではないでしょうか。そういう状態で気持ちの整理が

つけられるのだろうか?私がその立場だと到底難しいでしょう。


となれば、実際の戦闘行為は終わっていても、ご家族にとっては「戦争」はいつまでも終わらない

ことになります(日本でもまだ「終わらない戦争」と戦っている方々が大勢いらっしゃる)。


これが、タイトルで、


本当に「戦争」は終わったのだろうか?


とした理由です。


別に、この鉄道を造った時の旧日本軍の捕虜の扱いがどうのこうのとか、言うつもりはありません。

ただ、巷で「戦争が終わって云々」言ったところで、個々人の中では、いつまで経っても

「終わらない戦争」があり、一旦始まった悲しみや苦しみは延々と続くのだ、と言いたいのです。


「覆水、盆に帰らず」とは、よく言ったもので、一旦起こってしまうと、元には戻れないし、ずっと

それを引きずることになります。どれだけ忘れようとしても。


戦争の理由が何であれ、こういう悲しみや苦しみを味わうのは大抵、一般の人々です。

それをよく理解した上での結果ならまだしも、ほとんどの場合はよくわからないまま、

結末を迎えることになったのでは、と思います。


ゆえに私達は、そういったことを繰り返してはならないし、繰り返さないためには、起こり得る

あらゆることに対し、きちんと理解を深めた上で言動していくべきでしょう。

また、もし事を起こすというのなら、それ相応の覚悟の上でなくてはならないのだと、肝に銘じる

必要もあるのではないでしょうか。


選挙も近いですが、政治を司る方々も、そういう状況まで考えた上で、方向性を出してもらいたい、

と願いますし、私達の側でもそれに応じた責任を果たすべきものと考えます。



これが、今日という日にあたって、思い出したこと、考えたことです。



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