こんにちは(^_-)-☆ しんのすけです
かなり哀しい物語風に仕上がっている動画を見ました。なかなか面白かったです。
わたしも幸楽苑には以前はよく行きましたが、290円の中華そばが無くなったころから行かなくなりました。一緒に餃子もよく食べましたし、おみやげ用の冷凍餃子もたまに買いました。
店内には創業からの歴史みたいなものや、経営理念のようなものが掲示してあり雰囲気は好ましいものでした。
ところが、ある時期から店の様子がかわり、その後中華そばが無くなったのを覚えています。その後は数回行きましたが、いつしか行くことは無くなりました。多分、最後に行ったのは5~6年前だと思います。
よく行ったのが幸楽苑鷲宮店でした。
大宮栗橋線の道沿いでクルマの交通量は多く、近くには住宅地もあります。裏手には百観音温泉という温泉場があって立地的には悪くなかったと思います。
〒340-0206 埼玉県 久喜市 西大輪2-11-1
ですが、いつの事だか閉店。
トラック野郎と店の名前を変えて再出発したとのことですが・・
https://tabelog.com/saitama/A1104/A110402/11059668/dtlrvwlst/
やっているの? それともまた閉店ですか? よく分からん(>_<)
どうもその原因というのが2018年11月の社長交代であったようです。
創業者の長男である 新井田昇氏(3代目)に変わったのであった。
写真)新井田昇氏
幸楽苑の創業は会津若松で初代の新井田司氏が始めた「味よし食堂」であるが、現在の形を作ったのは2代目の新井田傅氏である。後楽園の近くの中華屋で修行したあと、1967年(昭和42年)に「味よし食堂」の屋号を「幸楽苑」へ変更した。1970年(昭和45年)には法人化し、株式会社幸楽苑に改組している。
1983年には新ブランドの「会津っぽ」を郡山市内に出店するも失敗に終わった様です。
その後、80年代後半からはラーメンブームに波に乗り、次々と出店を展開し一時は業績は良かった様です。
しかし、ラーメン店が大量に増えたことによる競争の激化により利益は減少して行った。
業績は2015年あたりでもあまり好ましくはなく、また380円だった中華そばを290円に値下げした結果客単価が下がり売り上げが低迷したため、その責任を取る形で新井田傅氏が退いたようだ。
新井田昇社長就任後は、19年12月~20年4月にかけて全店舗の1割にあたる51店舗を閉鎖。“ラーメン一本足打法”からの脱却を目指し、ラーメン店からの業態転換を図った。
具体的には「いきなり!ステーキ」や「焼肉ライク」などを展開したが、あまり成功しなかった様です。
出典)東洋経済オンライン
多角化しても業績は悪化する一方で回復の目処が立たなくなったため、2023年6月に新井田昇社長が退任し、元の社長だった新井田傳(創業者・新井田司の実子)が社長に復帰する人事を発表した。
その解説動画がこちらです👇
物語形式で大変面白いですが、少々長いです