「あなたは敵か?」 | クリスチャンとして死ぬこと

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検索できない本当の信仰話をあなたの元に・・・・MAR.2011

ヨシ
「5:13 ヨシュアがエリコにいたとき、目を上げて見ると、一人の人が抜き身の剣を手に持って彼の前方に立っていた。ヨシュアは彼のところへ歩み寄って言った。『あなたは私たちの味方ですか、それとも敵ですか。』」

 

神は、ご自身に

聞き従う民のために、

御霊を与えられた。

御霊は、愛の霊であって、抜き身の剣を手に持つようなお方ではないと思っているが、

それでも、イエスを見つづけている者にとっては、

ヨシュアの前に現れた「神の人」と等しい。

 

「5:15 【主】の軍の将はヨシュアに言った。『あなたの足の履き物を脱げ。あなたの立っている所は聖なる場所である。』そこで、ヨシュアはそのようにした。」

 

私たちは、イエス様の流された血潮によって聖なるものとされた。

御子の愛を受け、一人一人に御霊が与えられた。

私たちは、御霊に守られ、今も生き続けています。

しかし、そんな大切な御霊を受けていながら、

私たちに欠けていることがある。

それは、

私たちのサンダルを脱いでいるだろうか、

それとも、土足のまま、御前に集っているのだろうか・・・である。


Ⅰコリ
「6:19 あなたがたは知らないのですか。あなたがたのからだは、あなたがたのうちにおられる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたはもはや自分自身のものではありません。
6:20 あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから、自分のからだをもって神の栄光を現しなさい。」

 

私たちの人生は、この世の人々とは違う。

何故なら、この世の人々が、一回の食事で満足している間、

私たちは、永遠のいのちを求めて、日夜呻(ウメ)いているからです。

欲深いマサキチは、常に戦闘状態であることは確かです。

抜き身の剣を持った人を見ては、

「見方か、それとも敵か」

常に問われ、心に覚悟をもって生きて来た。

何故なら、

マサキチ一人だけが、天国に行くことは、まずありえないからだ。

キリストの十字架の愛は、

自分だけが幸福で、愛する人々が滅ぶなど、

教えてはくれなかった。

滅ぶも、生きるも、

愛する人々と共にある。

進むしかできない、引き戻ることのできない、

神様が導かれる、エリコの道なのです。

 

「見方か、敵か」

常に問われてきた戦いの日々だったし、

これからもまだ続く問いかけです。

マサキチ自身の滅びを覚悟した聖戦です。

 

だから、

「あなたは、私たちの敵か」

と、短すぎるヘブル語で叫ばれた、ヨシュアの気持ちがよくわかる。

マサキチの日常において、

主が、共に戦ってくださっているのは実際だ、

御霊が、マサキチと共に歩んでくださっている。

マサキチは、そんなに聖よい心を持つ聖人ではない。

しかし、そのような者ではあっても、

マサキチ自身が、生きるために、

神(キリスト)のいのちを、

追い求めている姿勢は変わらないし、

その中で、主は、常に訓練と、御霊の励ましを与え続けてくださっている。

 

これからは、

「あなたは、私たちの敵か」

と叫ぶ日々から卒業し、

「あなたの足の履き物を脱げ。あなたの立っている所は聖なる場所である。」

と命じられる者、聖霊の宮として自覚ある者でありたい。

 

いってきます=