選民 | クリスチャンとして死ぬこと

クリスチャンとして死ぬこと

検索できない本当の信仰話をあなたの元に・・・・MAR.2011

申命記
「14:1 あなたがたは、あなたがたの神、【主】の子どもである。死人のために自分の身を傷つけたり、また額を剃り上げたりしてはならない。
14:2 あなたは、あなたの神、【主】の聖なる民だからである。【主】は地の面のあらゆる民の中からあなたを選んで、ご自分の宝の民とされた。」

 選ばれた民かぁ~

なんだか、マサキチのうちに嫉妬心があることに気づかされる。

「死人のために自分の身を傷つけたり、また額を剃り上げたりしてはならない。」

これは異教の風習を禁じたところである。

愛する神の民ではあっても、

彼らが生き残るためには、

異教の風習は避けることが必須であった。
「14:3 あなたは、忌み嫌うべきものは、どのようなものも食べてはならない。・・・」

この食べ物の規定は、

御子の時代に入っては成立しているとは思わない。

これは、当時の神の掟であって、

それを守ることが、

神の民としての旗印であったからだ。

今は、ユダヤ人ではあっても自由に食べることができると思っている。

現代、

全世界中に住む、一部のユダヤ系権力がアメリカの選挙を牛耳っていたり、

世界の経済に大きな影響を与えている現実において、

ヒトラーや、反ユダヤ主義だけじゃない、

キリスト教徒の中にも、このルサンチマンは当然存在するようになってきたのでは。

マサキチの中にも存在しかねない。

キリスト者のルサンチマンは、攻撃的ではなく、

むしろ、自己悔改めによってその霊性によって自らを鎮める。

または、ユダヤ人を特別扱いし、

そして、キリスト教徒とは別扱いする、

そういった二極化を求める神学によって割り切ろうとする。

 

私たちは、この偉大な民、へブル人、イスラエル人、ユダヤ人が、

神様から、特別に愛されていることを知らされるとき、

確かに、羨ましい思いが芽が出てしまうかもしれない。

だからといって、この民は別扱いすることはとても危険である。

むしろ、同胞として交わりの中で、愛すべきである。

もちろん、

神が愛する民、このへブル人、イスラエル人の歴史を無視した、

一部の利権系ユダヤ人の非人道的な行為は、

決して、許してはいけない。

 

その一部の不信仰なユダヤ人権力者こそ、

むしろ、全世界に対してゲットーを持ち、

ルサンチマン的になっているではないだろうか。

 

他の民族との精神的ゲットーを自ら持ち、

周りの貧しい人々(寄留者)を苦しめているのであれば、

これはルサンチマンの応報である。

 

「4:29 ・・・あなたの町囲みの中にいる寄留者や、孤児や、やもめが来て食べ、満ち足りるであろう。それはあなたの神、【主】があなたのすべての手のわざを祝福してくださるためである。」

 

かつてエジプトで寄留者であったのだから、

寄留者たちをあわれむことは神の命令である。

また、神は御子を通して、

すべての人類へ救済を施された。

神は、決してアラブ人(パレスチナ人)を否定してはいない。

ましてや、日本人であっても、神は、神の子としてくださったのだから。

 

愛する我が子が、苦しむのを見過ごすことができる親があるだろうか。

全ての親は、ヤコブがヨセフを愛し苦しみ、また喜んだのと同様に、

神は、

苦しみもするし、生きもする。

私たちは、御父の苦しみを経験して知っているならば、

その思いを決して無視した言動を取ってはならない。
 

いってきます=