申命記
「14:1 あなたがたは、あなたがたの神、【主】の子どもである。死人のために自分の身を傷つけたり、また額を剃り上げたりしてはならない。
14:2 あなたは、あなたの神、【主】の聖なる民だからである。【主】は地の面のあらゆる民の中からあなたを選んで、ご自分の宝の民とされた。」
選ばれた民かぁ~
なんだか、マサキチのうちに嫉妬心があることに気づかされる。
「死人のために自分の身を傷つけたり、また額を剃り上げたりしてはならない。」
これは異教の風習を禁じたところである。
愛する神の民ではあっても、
彼らが生き残るためには、
異教の風習は避けることが必須であった。
「14:3 あなたは、忌み嫌うべきものは、どのようなものも食べてはならない。・・・」
この食べ物の規定は、
御子の時代に入っては成立しているとは思わない。
これは、当時の神の掟であって、
それを守ることが、
神の民としての旗印であったからだ。
今は、ユダヤ人ではあっても自由に食べることができると思っている。
現代、
全世界中に住む、一部のユダヤ系権力がアメリカの選挙を牛耳っていたり、
世界の経済に大きな影響を与えている現実において、
ヒトラーや、反ユダヤ主義だけじゃない、
キリスト教徒の中にも、このルサンチマンは当然存在するようになってきたのでは。
マサキチの中にも存在しかねない。
キリスト者のルサンチマンは、攻撃的ではなく、
むしろ、自己悔改めによってその霊性によって自らを鎮める。
または、ユダヤ人を特別扱いし、
そして、キリスト教徒とは別扱いする、
そういった二極化を求める神学によって割り切ろうとする。
私たちは、この偉大な民、へブル人、イスラエル人、ユダヤ人が、
神様から、特別に愛されていることを知らされるとき、
確かに、羨ましい思いが芽が出てしまうかもしれない。
だからといって、この民は別扱いすることはとても危険である。
むしろ、同胞として交わりの中で、愛すべきである。
もちろん、
神が愛する民、このへブル人、イスラエル人の歴史を無視した、
一部の利権系ユダヤ人の非人道的な行為は、
決して、許してはいけない。
その一部の不信仰なユダヤ人権力者こそ、
むしろ、全世界に対してゲットーを持ち、
ルサンチマン的になっているではないだろうか。
他の民族との精神的ゲットーを自ら持ち、
周りの貧しい人々(寄留者)を苦しめているのであれば、
これはルサンチマンの応報である。
「4:29 ・・・あなたの町囲みの中にいる寄留者や、孤児や、やもめが来て食べ、満ち足りるであろう。それはあなたの神、【主】があなたのすべての手のわざを祝福してくださるためである。」
かつてエジプトで寄留者であったのだから、
寄留者たちをあわれむことは神の命令である。
また、神は御子を通して、
すべての人類へ救済を施された。
神は、決してアラブ人(パレスチナ人)を否定してはいない。
ましてや、日本人であっても、神は、神の子としてくださったのだから。
愛する我が子が、苦しむのを見過ごすことができる親があるだろうか。
全ての親は、ヤコブがヨセフを愛し苦しみ、また喜んだのと同様に、
神は、
苦しみもするし、生きもする。
私たちは、御父の苦しみを経験して知っているならば、
その思いを決して無視した言動を取ってはならない。
いってきます=