平成17年10月に5町村(南安曇郡豊科町・穂高町・堀金村・三郷村・東筑摩郡明科町)が合併して、誕生した安曇野市。
安曇野市は多くの人が「北アルプス・清流・地下水・ワサビ・道祖神…」等々のイメージを抱くように、山々に囲まれた自然豊かな田園風景が広がるところです。
それに加えて、安曇野は「県外からの移住者が多い町」というイメージが私の中にあります。
35年くらい前に信州を担当していた頃、穂高・明科地区には毎月のように足を運んでいましたが、その当時から「県外からの移住者」が多かった気がします。
安曇野在住の私の知人も、県外からの移住者のひとりです。
今回、彼が所属している「NPO法人安曇野ふるさとづくり応援団」が主催している「安曇野まちなかカレッジ」安曇野学講座のひとつ「千国街道旧保高宿さんぽ」に参加してきました。
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千国街道は、新潟県の糸魚川から長野県の松本・塩尻までを結び、別名「塩の道」と言われています。
日本海側からは塩や海産物が、信州側からは麻やタバコを積んだ牛馬やボッカと呼ばれる人々が盛んに行き来していたようです。
そんな千国街道については、昨年11月に小谷村の「千国越えコース」を散策してきました。その時の記事はこちら。
今回の散策は松本宿から数えて、北へ3番目の宿場町である千国街道の風情が残る保高(穂高)宿です。
2月22日の安曇野は、小雨に加えて、風速5~6メートルという悪天候。
こんな天候も影響したのか、募集20名に対して、この日の参加者は安曇野案内人倶楽部の方も含めて9名でしたが、安曇野市役所穂高支所を予定通り13時にスタートしました。
おいおい、こんな日に本当に決行するのかよ(笑)
穂高支所前にある道祖神
まず向かったのが、穂高神社。
その境内の入口にあるのが、明治時代に建立された石造大鳥居です。
写真では見えにくいものの、鳥居の左側の柱には「記念(紀念?)」の文字がありますが、右側の柱の文字は削り取られています。
そこには「戦勝」と彫られていたようで、進駐軍が指摘するであろう問題点を事前に摘み取ったようです。
また、写真ではわかりませんが、若宮社前の狛犬は両前足の間の部分がくり抜かれずに残っています。(胸から両前足が一枚の板のように繋がっています)
これは、江戸で作られた狛犬が手車に乗せて穂高まで運ばれてくる際、壊れないようにする対策だったようです。
この他にも、20年に一度の「大遷宮」で本殿の造営が執り行われる際の話等がありましたが、興味深いものばかりでした。
しかし…
普段はメモ魔の私ですが、この雨と強風でメモ用紙は濡れ、めくれ上がり、滅茶苦茶です。
加えて、寒さで手がかじかみ、集中力も続かず頭に入らない!
という事で、記事内容が多少間違っているかもしれません。
続いて、穂高神社の参道入口付近にある、塩の道と道祖神のある風景。
こちらにある道祖神は、元は大町市にあったものを穂高に移転し、集めたものです。
安曇野に点在する花崗岩で出来ている?多くの道祖神と違い、これらは砂岩で作られており、雨等による損壊を防ぐ為に屋根がついているようです。
道祖神すぐそばの道が「塩の道」で、道幅が1.5軒(2.7m)。
荷を積んだ牛同志がすれちがえる幅になっています。
でも道がきれいすぎて、私のイメージする「塩の道」とはかけ離れていました。
塩の道と道祖神
旧街道の入口である「北の枡形」付近にも、また道祖神がありました。
枡形とは有事の際、敵の侵入から身を守る為、宿場の出入り口で道をクランク状に曲げた場所のことですが、続く暴風雨で集中力がさらに低下しており写真撮影していません。
それにしても寒い!
しかし、他の参加者は傘もささず、平然とした顔で、説明に聞き入っています。
安曇野人?恐るべし!!です。
ちなみに、安曇野移住1年弱の知人はただひとり、しっかりと傘をさしていました。私もいれてもらいましたが…
さてさて、旧保高宿です。
旧街道沿いには往時を偲ばせる商店が、裏路地には石造物等が建っていました。
まずは案内人の知人で、今回の散策に同行された方のご実家である、散髪屋「美弘軒」さん。
ご厚意でその内部まで拝見する事が出来ました。
150年前から営業していて、つい5年前までは現役のお店だったとの事。
右から「理髪師」と書いています
続いて、老舗のわさび店さん。
レトロな店構えです
その次は、明治初期の自由民権運動家である松沢求策氏の生家です。今は「あづみ野バザール若松屋」というお店になっています。
密閉性の高い構造の開き扉
その後、「南の枡形」脇にある、普段は鍵がかかっている十王堂とすぐそばの庚申塔へ。
鍵を開けて中を見せて頂きました
彩色が施された青面金剛像
そして15時すぎに、ようやく出発地の穂高支所へ戻ってきました。2時間強の行程でした。
今回の散策コースでは、「塩の道」だったところは整備拡張され、小谷村の千国越えコースのように当時の面影を感じ取る事は出来ませんでした。
しかしながら、旧街道沿いには風情のある古民家や商店が数多く残っており、旧宿場町を垣間見る事が出来ました。
解散後、安曇野市内にある「しゃくなげの湯」でじっくりと温まり、ようやく生気を取り戻した私でした。