遠山郷「和田宿」は戦国時代にはこの付近一帯を治めていた遠山氏の城下町として、江戸時代には秋葉街道の宿場町として栄えたようです。
飯田市南信濃(旧下伊那郡南信濃村)にあって、現在も遠山郷随一の商業地となっている和田地区は、一見すると山里とは思えない程の活気が感じられ、近代的な設備も見られるところです。
そういった意味では「郷愁」という言葉は当てはまらないかもしれません。
しかしながら、街中を歩けば、ちょっとしたところに、昔ながらの風情が感じられるところもまだ残っています。
そんな昔を捜しに、和田宿を歩いてみました。
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今回の遠山郷訪問は、主目的が「霜月祭り」と「下栗の里」でした。
しかし、せっかく遠山郷に行くなら、あちこちを見て廻りたいという想いもあり、ひとり先発してやってきたのです。
和田の街中を歩いてみると、まず目についたのが、和田商栄会が平成11年に設置したという霜月祭りのモニュメントです。
和田宿の出入り口の道路両サイド等に大きな「神の面(おもて)」がついた柱が建っています。
何だか、神の国に迷い込んでしまったかのようで、神聖な気持ちになりました。
街中には、古くから続いているであろう、お米屋さんがありました。
私の故郷にも同じようなお店がありましたが、昭和の雰囲気がぷんぷんと漂っています。
こちらの肉屋さんは比較的新しい店舗ですが、「遠山郷の十二支」という看板が出ており、その肉が販売されているようです。
見にくい写真ですが、看板には左から「鹿・山羊(ヤギ)・猪・豚・雉(キジ)・兎(ウサギ)・鶉(ウズラ)・鶏・羊・牛・馬・熊」と書かれています。
まさしく遠山郷。販売されている山肉(野獣)の多さに驚かされました。
ちなみに、12月13日に宿泊した八重河内地区の「いろりの宿島畑」さんで、鹿・猪・馬・熊肉の他、何と猿肉まで食べる事が出来ました。
食堂の古い看板も発見しました。
今は営業していないようですが、二階の軒先に忘れ去られたように、ぽつんと取り残された看板がその当時の様子を物語っているようです。
この看板も昭和の名残りなのでしょうか。
信南交通和田営業所そばの道を登って行くと…
遠山郷土館「和田城」を経て、龍淵寺と観音霊水があります。
龍淵寺はこの地を領有していた遠山氏一族の菩提寺です。
遠山氏の滅亡は、遠山一族の間に生じた相続争いを原因とする説や圧政に耐えかねた領民達の激しい一揆による説があり、その真相は定かではありません。
境内にある遠山氏の墓所の後ろには、4本の巨大な杉の木が植わっており、パワースポットとなっています。
観音霊水は龍淵寺境内にある湧水で、カルシウムやマグネシウムを多く含んだ硬水です。
平成の名水100選にも選ばれており、当然のごとく、ペットボトルに詰めて持ち帰りました。
昔の宿場町としての風情と現在の文化がうまく融合した街並みの和田宿。
殆ど予備知識もなく、ただ和田の街中を歩いて心に響いたところを取り上げましたが、この他にもたくさんの”いにしえの宿場”が隠れているものと思います。
ゆっくりとした時が流れる中で、遠山郷も和田地区を中心に古くからの良き伝統を残しつつ、発展していってほしいものです。