「整体師」という生き方 ~ 一灯照隅、万灯照国 ~ -502ページ目

私の想い…「命を輝かせる整体」を

「命を輝かせる整体」

そんな整体を目指したい。
そう思っています。

痛みや不調を改善に導く。
それは、当たり前のことです。
整体師の役割のごく一部に過ぎない。
そう考えています。

命を輝かせるとは、自分が自分らしくあること。

そのためには、どうすればいいのでしょうか。
それは、自然体でいることです。
自然と調和した生き方をすることです。

私が尊敬する武術研究家の甲野善紀先生。
先生は「人間にとっての自然とは何か」を求めて、武道稽古を始められたそうです。

また、合氣道開祖の植芝盛平翁先生は、次のように喝破されたそうです。

「武技は天の理法を体に移し霊肉一体の至上境に至るの業であり、道である」

武道は、武術練磨の上に成立する道です。
武術のルーツは、戦国時代における、生死を賭けた戦闘技術です。
日々の闘いの中で、当時の武芸者たちは、生き残るために、超人的な動きを余儀なくされた。
そのためには、心と身体を究極に鍛錬する必要があった。
その過程は、マクロからミクロに至る宇宙、つまり自然を究めることであったに違いない・・・
先賢たちの文献を読み、また自身の経験から、私はそのように感じています。

やがて戦闘を必要としない世の中になった時、その研究成果が、心身文化として日本に根付いていった。
それが、現在の武道につながっていると考えられます。
ゆえにそれを究めんとする者たちの言葉は、上にあげたようなことになるのではないか。

そして一方で、その研究成果が、現在の整体につながっているのではないか。
私は、そう考えています。

私自身、武道稽古の延長線上に整体師の仕事を見出しました。
武術の理合いは、整体の理論そのものという感じがいたします。
いずれも、自然の理、宇宙の理を究める道、そして人としての生き方を究める道だと思います。

私たちは、間違いなく宇宙の理に則って、この世に人として生を受けたのです。
ゆえに、人としての生き方を究めることとは、徹底的に自分に向き合い、自分を見出していくことではないか。
なぜ自分が生まれてきたのか、自分は何をやりたいのか。
それを必死になって探し、究める中に、最高の喜びと幸せを見出し、毎日を感謝の中で生きること。
私はそのように考えております。
ゆえに、冒頭のような言葉が出てくるのです。

「命を輝かせる整体」


少し大袈裟に聞こえるかも知れませんが、それが私の想いであります。
まだわかりにくいかもしれませんね。
機会を改めて、別の角度からご説明申し上げたいと思います。

今日も生かしていただけることに、心からの感謝を捧げます。
ありがとうございます。