私の想い…「命を輝かせる整体」を | 「整体師」という生き方 ~ 一灯照隅、万灯照国 ~

私の想い…「命を輝かせる整体」を

「命を輝かせる整体」

そんな整体を目指したい。
そう思っています。

痛みや不調を改善に導く。
それは、当たり前のことです。
整体師の役割のごく一部に過ぎない。
そう考えています。

命を輝かせるとは、自分が自分らしくあること。

そのためには、どうすればいいのでしょうか。
それは、自然体でいることです。
自然と調和した生き方をすることです。

私が尊敬する武術研究家の甲野善紀先生。
先生は「人間にとっての自然とは何か」を求めて、武道稽古を始められたそうです。

また、合氣道開祖の植芝盛平翁先生は、次のように喝破されたそうです。

「武技は天の理法を体に移し霊肉一体の至上境に至るの業であり、道である」

武道は、武術練磨の上に成立する道です。
武術のルーツは、戦国時代における、生死を賭けた戦闘技術です。
日々の闘いの中で、当時の武芸者たちは、生き残るために、超人的な動きを余儀なくされた。
そのためには、心と身体を究極に鍛錬する必要があった。
その過程は、マクロからミクロに至る宇宙、つまり自然を究めることであったに違いない・・・
先賢たちの文献を読み、また自身の経験から、私はそのように感じています。

やがて戦闘を必要としない世の中になった時、その研究成果が、心身文化として日本に根付いていった。
それが、現在の武道につながっていると考えられます。
ゆえにそれを究めんとする者たちの言葉は、上にあげたようなことになるのではないか。

そして一方で、その研究成果が、現在の整体につながっているのではないか。
私は、そう考えています。

私自身、武道稽古の延長線上に整体師の仕事を見出しました。
武術の理合いは、整体の理論そのものという感じがいたします。
いずれも、自然の理、宇宙の理を究める道、そして人としての生き方を究める道だと思います。

私たちは、間違いなく宇宙の理に則って、この世に人として生を受けたのです。
ゆえに、人としての生き方を究めることとは、徹底的に自分に向き合い、自分を見出していくことではないか。
なぜ自分が生まれてきたのか、自分は何をやりたいのか。
それを必死になって探し、究める中に、最高の喜びと幸せを見出し、毎日を感謝の中で生きること。
私はそのように考えております。
ゆえに、冒頭のような言葉が出てくるのです。

「命を輝かせる整体」


少し大袈裟に聞こえるかも知れませんが、それが私の想いであります。
まだわかりにくいかもしれませんね。
機会を改めて、別の角度からご説明申し上げたいと思います。

今日も生かしていただけることに、心からの感謝を捧げます。
ありがとうございます。