父方の祖父母は農家でした。
祖父が農作業中に脳卒中を起こし亡くなってしまいましたが、その年の稲刈りも脱穀も終わった後だったので、残された農作業はほとんどありませんでした。
翌年の春までは農閑期です。
翌年の米作りをどうするか。
家族の中で話題になった時、私やります!って手を挙げました。
ほぼ毎年、田植えや稲刈りを手伝っていました。
学校休んで手伝ったりしたこともあるくらいで、農作業は嫌いじゃありませんでした。
農業で生計を立てることまではできないかもしれませんが、少なくとも自分たちで食べる米くらいは作りたいと思いましたし、その方が経済的ではないかとも思っていました。
何より、祖母はこれまで毎年毎年、何十年もの間自分の田んぼで採れたお米を食べていました。
祖父の急死によって米作りを辞めてしまい、それが突然できなくなるのは祖母にとっては忍びないだろうという思いもありました。
農作業を手伝っていたとはいえ、トラクター乗るのも初めてでした。
メーカーの人に乗り方や操作方法を教わりました。
田植えをする前に耕さないといけないのですが、実は見てるほど簡単なものではありませんでした。
ただトラクターを動かすだけでは端に土が寄ってしまうのです。
田んぼには水を張るので、水の入り口から出口を考えながら全体を均していかないと、土が寄って高くなったところには水が行かなくなってしまいます。
その辺は近所のおじいちゃんが仕上げとしてやってくれました。
田植えもそのおじいちゃんが田植え機を貸してくれた上に、手伝ってもくれました。
当時私は学校を卒業して、一応は社会人になっていました。
仕事もし、さらに奉仕をしながら田んぼの面倒を見るのはなかなか大変でした。
夏はこまめに草刈りをしないと、畦道はすぐに雑草が伸び放題になります。
連続補助開拓をしていましたので、要求時間は50時間。
周りの田んぼに比べて、全然管理が行き届いていませんでした。
でもそんな中でも稲はちゃんと生長し、やがて花を咲かせました。
稲の花は数時間しか咲かないそうです。
自分が植えた稲が花を咲かせた姿に、とても感動しました。
「わたしは植え、アポロは水を注ぎました。しかしそれを成長させてくださったのは神です」っていう聖句が思い浮かびました。
人間のやれることには限りがあっても、それを超えた神様(自然)がちゃんと植物を成長させて、収穫できるようにさせてくれるんだなという思いです。
その年はウンカの被害がひどく、周りの田んぼも被害を受けて稲が黄色くなってしまったところも多かったです。
それでも収穫したお米は一等級になりました。
ビギナーズラックみたいなものだと思います。
その年もちゃんと祖母には自分たちの田んぼで自分たちで作ったお米を食べさせてあげることができました。
翌年以降は、さすがに米作りは諦め、近所のおじいちゃんに田んぼを貸すことになりました。
できたお米はそのおじいちゃんが借し賃代わりに分けてくれることになったので、それ以降も自分たちで食べる分のお米には困ることはありませんでした。
ちょっと前、会衆内で家庭菜園のすすめが発表されたそうですね。
私も正直アホみたいなお知らせだと思います。
農業をほんのすこーしだけ齧った経験から言うと、売るための作物づくりって生半可な気持ちじゃできませんよ。
あと、食糧不足って天候や病気、害虫などで作物が不作になって起きることも多いと思いますが、そういう時って家庭菜園も不作なんじゃないでしょうか。
それよりもむしろ、困った時にお互い助け合えるように普段から近所の人と良好な関係を築いておきましょうとか、会衆内で持っている者は持っていない者と分け合いましょうとかならないのが不思議でなりません。
真のクリスチャンなんでしょ。
あ、発表の(5)にあるように使っていない農地が実家の横にありますので、統治体のおっしゃるように家庭菜園したい人には貸しますよ。