私が小6のころから住んでた実家は祖父母の家と同じ敷地にありました。
敷地には1~2mほどの高低差があって、祖父母の家を「上の家」、私たちの実家は「下の家」と呼んでいました。
そしてその敷地の一角、祖父母の「上の家」の近くには氏神様を祀る小さな社がありました。
引っ越して住み始めた頃は穴が開いてもう本当にボロッボロだったんですが、祖父がいつの間にか新しくして、しかも2段も3段もバージョンアップした立派なものになっていました。
ある時、私たち家族でその社を破壊したのです。
祖父がそんなことを許すはずがありませんので、はっきりとは覚えていませんが、たぶん祖父が亡くなった後のことだったかもしれません。
壊すと言い出したのは母で、理由はもちろん自分の家の近くに大いなるバビロン的なものがあるのが嫌だったからです。
当時は私もしっかりとエホバの証人に染まっていましたので、社を壊すのを手伝いましたし、それがなくなってスッキリとした気持ちになっていました。
それでも、偶像に何の力もないのであれば社があろうとなかろうと関係ないのではないか、ただ無視すればいいだけじゃないかという思いも頭の片隅にありました。
特に、この土地は祖父母のものですし、家自体も元から建っていたもので、私たち家族は家を借りてる店子のような立場です。
それに、他の人から見ても、エホバの証人をやりながら氏神様を祀ってるとも見られることはないはずですし、人をつまずかせるものともならないでしょう。
社に関して自分たちには権利も責任もないわけですから。
いくらエホバが妬む神、全き専心を要求する神だったとしても、権利も責任もない土地から偶像を除き去るようなことは求めないし、認めないと思います。
ただ私たちが拝んだりしなければいいだけなのです。
うちの家族は母がアクセルで、父はブレーキみたいな感じでした。
社の破壊を主導したのは母で、父がどのように関わったかは記憶にありません。
そう考えたら、祖父と父が亡くなり、残された祖母が1人で上の家に住んでいた時期だったような気もします。
その後、祖母も体がだいぶ弱くなり、食事を作ったり病院に連れて行ったりという程度でしたが、介助が必要になりました。
母と妹と弟2がプチ引っ越しをして、「上の家」に住むようになります。
大工さんに頼んで土間を潰して台所を広げたり、和室に祖母用のトイレを設置したりしたのを覚えています。
私と弟1は「下の家」に残り、食事の時だけ上がって行って、夜寝るときに「下の家」に戻るという生活をしていました。
祖母が住んでいた「上の家」には仏壇がありました。
家もその中にある家財道具も祖母の物です。
母たちは介助をするという便宜上、その家に仮住まいさせてもらっているという認識で私はいました。
でも母は違ったようです。
その仏壇も撤去してしまいました。
最近、妹と話してはっきりしたのですが、その仏壇は同じ敷地内にあった牛小屋に持って行ったのです。
私も忘れていましたが、その話を聞いて、当時の私でさえさすがにそれは…と思ったことを薄っすら思い出してきました。
しかも自分たちは触ることができないからと言って、母は近所の人と親戚に運ばせたそうです。
父というブレーキのなくなった家族、どこまででも突き進んでいきます。
私もすでに成人してはいましたが、母がブルドーザーのように物事を進めていくのを止めることはできませんでした。
相談されることはほとんどなく、全部一人でいろいろ決めていました。
(母の悪口を書きたいのではなくて、自分の記憶を振り返っているだけで、割とフラットな気持ちで書いています。)
私が排斥されたのはそれから数ヶ月後のことでした。
その後祖母も亡くなり、土地も「上の家」も「下の家」も私が相続していたのですが、知らないうちに壁に穴が空いていたりしていました。
そのことについて母に聞いても詳しく教えてくれません。
「上の家」の和室は2部屋続き間になっていて、その間にある欄間が彫刻作品と呼べるくらい、かなり凝ったものでした。
その欄間には五重塔を思わせるような物も彫られていて、それもいつの間にか削り取られていました。
芸術品のようなその欄間を私は気に入っていて好きだったので、それが損なわれたのを発見したときとても悲しかったです。
仏壇はまだ牛小屋に放置されたままになっているので、今度帰省した時に対応したいと思います。