前の記事でも書きましたが、排斥ついては徹底的に調べてやろうと思って調査の途中でした。
そう、きっかけはちょうど1年前にさかのぼります。
2023年3月12日放送の日本テレビ「真相報道バンキシャ!」で取材に対して
「排斥は聖書に基づくエホバの証人の宗教的な取り決めです。」
と回答したという報道がありました。
ならば徹底的にやってやろうと息巻いていたのです。
私個人の考えとしては、なにが排斥にあたるかというのは別として、排斥という処分自体は問題ではないと思っています。
世の中にも学校の場合は退学処分、会社であれば懲戒解雇など、ある集団においてきまりを守らなかったり信用を著しく傷つけたとき、懲戒や集団の信用を守る手段としてその人を排除する仕組みがあります。
問題は忌避です。
これが本当に聖書に基づいているのか、キリストの足跡に従うクリスチャン会衆に本当にあってよいものなのか。
聖書の他の部分で言っている神様像とは相いれないし、イエスの放蕩息子のたとえ話とも矛盾すると思っています。
忌避が本当に聖書に基づくのか、それを聖書から論破したいと思っていました。
排斥や忌避についてはいくつかの根拠とされる聖句がありますが、まず手始めにヨハネ第二10節の「あいさつの言葉をかけてもなりません」という聖句から調査しました。
でも、先日のJWブロードキャスティングであったように、奴らは補助金欲しさにあっさり解釈を変更してきました。
今後はなし崩し的に緩んでいくんじゃないかと思います。
解釈が変わった以上、この点を突っ込んで調査してもあんまり意味はないでしょう。
古本探して、ネットでこんな本まで買ったのにね。
ものみの塔よ、そんなに補助金ほしいかー!
そんなに裁判費用払いたくないのかー!
まあでもせっかくなので、ここまでの調査結果をここに投下したいと思います。
最後までちゃんとまとめきっていませんが、wordで書いていたものをそのまま貼り付けて、ブログ用に体裁整えたものです。
他にも思うことをブログの下書きにしていたりするので、そっちは記事としてまとまったら追々投稿していきます。
排斥と忌避
問題点を明確にするために、ここでは言葉を分けて考える
排斥…バプテスマを受けたエホバの証人が聖書的に罪とされる行動をし、審理委員会により悔い改めていないと判断されたために下される破門処分。会衆の集会で「エホバの証人ではなくなりました」と発表された時点で有効となる。
塔15 4/15 p.29「エホバの証人が排斥されるのは,2つの条件が同時に満たされる場合だけです。その1つは,バプテスマを受けた証人が重大な罪を犯したこと,もう1つは,その罪を悔い改めていないことです。」
忌避…上記の排斥、または断絶により、家族を含めてエホバの証人の信者や研究生(レッスン生)などから一切の交流を遮断され、あいさつの言葉すら交わすでべきでないとされる扱い。
索引「排斥」-排斥された人との交流: 塔88 4/15 26-30; 塔86 3/15 18
塔88 4/15 27
8 使徒ヨハネが記した書にも,クリスチャンはそのような者たちを完全に避けるべきであるということを強調する同様の諭しがあります。こう書かれています。「先走って,キリストの教えにとどまらない者は,だれも神を持っていません。……この教えを携えないであなた方のところにやって来る人がいれば,決して家に迎え入れてはなりませんし,あいさつのことばをかけてもなりません。その人にあいさつのことば[ギリシャ語,カイロー]をかける者は,その邪悪な業にあずかることになるからです」a ― ヨハネ第二 9-11。
a ヨハネはここで,「こんにちは」というようなあいさつのことばであったカイローという語を用いました。(使徒 15:23。マタイ 28:9)ヨハネは,「両腕に抱きしめる,それゆえあいさつをする,歓迎する」ことを意味し,抱擁をさえ伴う非常に温かいあいさつを指すことのある(13節に出てくるような)アスパゾマイという語は用いませんでした。(ルカ 10:4; 11:43。使徒 20:1,37。テサロニケ第一 5:26)ですから,ヨハネ第二 11節のヨハネの指示が,そのような者には「こんにちは」という言葉さえかけてはならないという意味であることは十分に考えられます。「ものみの塔」誌,1985年7月15日号,31ページをご覧ください。
視点1:翻訳
ヨハネの手紙第二10節
ものみの塔聖書冊子協会発行 ※下線は筆者 |
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日本語 |
英語 |
新世界訳 スタディー版 |
キリストの教えに従わない人があなたたちの所に来たら,家に迎え入れてはなりませんし,あいさつの言葉を掛けてもなりません。 |
If anyone comes to you and does not bring this teaching, do not receive him into your homes or say a greeting to him. |
新世界訳 参照資料付き |
この教えを携えないであなた方のところにやって来る人がいれば,決して家に迎え入れてはなりませんし,あいさつのことばをかけてもなりません。 |
If anyone comes to YOU and does not bring this teaching, never receive him into YOUR homes or say a greeting to him. |
日本聖書協会発行 ※下線は筆者 |
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聖書協会共同訳 |
この教えを携えずにあなたがたのところに来る者は、家に入れてはなりません。挨拶してもなりません。 |
新共同訳 |
この教えを携えずにあなたがたのところに来る者は、家に入れてはなりません。挨拶してもなりません。 |
口語訳 |
この教を持たずにあなたがたのところに来る者があれば、その人を家に入れることも、あいさつすることもしてはいけない。 |
日本語の新世界訳スタディー版以外では、英語のnot bringに相当する「携えず」または「持たず」と訳している。
bringと訳されているのはギリシャ語φέρειであるが、ものみの塔聖書冊子協会発行の「ギリシャ語聖書 王国行間逐語訳(The Kingdom Interlinear Translation of the Greek Scriptures)ではこれをhe is bearingとしている。
ジーニアス英和辞典第4版
- bear=運ぶ、持って行く
- bring=<物>を…へ持って来る
また、φέρειをDeepL(https://www.deepl.com/translator)で翻訳しても、「持参する、持って来る、もたらす」となる。
以上のことから、ギリシャ語本文の字義的な意味から考えると「携えず」「持たず」と訳すのが適切であり、「従わない」という日本語の表現は翻訳者が聖書の本文を超えた意図を付け加えているのではないかという疑念が生じる。
私が命じる言葉に付け加えてはならず,それから取り去ってもなりません。―申命記4:2(新世界訳スタディー版)
視点2:文脈
ヨハネ第二
1 年長者から,選ばれた婦人とその子供たちへ,すなわち,わたしが真実に愛し,また,わたしだけでなく,真理を知るようになった人々すべてが[愛する]者たちへ。2 それは,わたしたちのうちにとどまっている真理のゆえであり,その[真理]は永久にわたしたちと共にあるのです。3 また,父なる神および父のみ子イエス・キリストからの過分のご親切,憐れみ,[そして]平和も,真理と愛を伴ってわたしたちと共にあるでしょう。
4 あなたの子供のうちのある者たちが,わたしたちが父から受けたおきてのとおりに真理のうちを歩んでいるのを知って,わたしは非常に歓んでいます。5 それで今,婦人よ,新しいおきてではなく,わたしたちが初めから持っていた[おきて]を書き送る[者]として,あなたにお願いします。それは,わたしたちが互いに愛し合うことです。6 そして,彼のおきてにしたがって歩んでゆくこと,それがすなわち愛です。あなた方が初めから聞いているとおり,そのうちを歩んでゆくこと,それがおきてなのです。7 というのは,欺く者が多く世に出たからです。すなわち,イエス・キリストが肉体で来られたことを告白しない者たちです。それは欺く者,反キリストです。
8 わたしたちが働いて生み出したものを失わないよう,むしろ十分な報いを得られるよう,自分自身によく気をつけなさい。9 先走って,キリストの教えにとどまらない者は,だれも神を持っていません。この教えにとどまっている者は,父も子も持っているのです。10 この教えを携えないであなた方のところにやって来る人がいれば,決して家に迎え入れてはなりませんし,あいさつのことばをかけてもなりません。11 その人にあいさつのことばをかける者は,その邪悪な業にあずかることになるからです。
12 わたしにはあなた方に書き送るべきことがたくさんありますが,紙とインクによってそうしたいとは思いません。むしろ,あなた方のところに行き,あなた方と向かい合って話すことを望んでいます。それによって,あなた方の喜びが満ちたものとなるためです。
13 選ばれた者であるあなたの姉妹の子供たちが,あなたにあいさつを送っています。
<新世界訳 参照資料付き>
『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』 p. 259
聖書の63番目の書 ― ヨハネの第二の手紙
「ヨハネの第二の手紙」の内容
4 互いに愛し合い,背教者を退けなさい(1-13節)。「選ばれた婦人とその子供たち」に対する,真理における愛を言い表わした後,ヨハネは,それらのある者たちが,み父から命じられたとおりに真理のうちを歩んでいるのを見た喜びを語ります。そして,神のおきてに従って歩き続けて互いに対する愛を示すことを求めます。欺く者や反キリストが世に出たからです。それらはイエス・キリストが肉体で来たことを告白しない人々です。先走ってキリストの教えの域を越えてゆく者は神を持っていません。一方,この教えにとどまっている者は「父も子も持って」います。この教えを携えないで来る人がいれば,その人を家に迎え入れるべきではなく,あいさつもすべきでもありません。ヨハネには書き送るべきことがたくさんありますが,むしろ彼らのところに行って,向かい合って話すことを望んでいます。それは,彼らの喜びが「満ちたもの」となるためです。―9,12節。
「欺く者…すなわち,イエス・キリストが肉体で来られたことを告白しない者たち…欺く者,反キリストです。」<ヨハネ第二7節> ※下線は筆者
キリスト仮現説(Docetismus)
初期キリスト教会における異端説で、キリストはその生涯を通じて肉体をもった現実的存在ではなく、仮現的存在であったとするもの。<ブリタニカ国際大百科事典> ※下線は筆者
つまり、この「反キリスト」とはキリスト仮現説を説くグノーシス派のことを念頭に置かれていたものと理解でき、ヨハネ第二は反キリストつまり異端への警告を述べたものである。
「この教えを携えないであなた方のところにやって来る人がいれば,決して家に迎え入れてはなりませんし,あいさつのことばをかけてもなりません。」<ヨハネ第二10節>
キリストの教えを携えないでやってくる人=反キリスト(異端の教師)
当時のギリシア・ローマ世界では巡回哲学者や宗教家が多いたという時代背景を考慮するなら、「家に迎え入れる」という表現がなされていることも理解できる。礼拝は家で行われており、そこに巡回伝道者が訪れ説教をしていたからである。そしてこのことからも「not bring」は「従わない」ではなく「携えないで」と訳すべきであると言える。
よって、「家に迎え入れてはならならず、あいさつのことばをかけてもならない」というのは異端の巡回伝道者に対してのものであると解される。
なお、異端(heresy)と背教(apostasy)の違いは、ジーニアス英和辞典第4版によると
- 異端=正統からはずれていること。また、その時代において正統とは認められない思想・信仰・学説など。
- 背教=①教えに背くこと。②〔宗〕〈apostasia〈ギリシア・ラテン〉〉キリスト教で、その信仰を捨てて異教に改宗し、または無宗教になること。
となっている。
ものみの塔オンライン・ライブラリーを英語で検索した結果、heresyという語が聖書中で用いられているのは、ジェームズ王欽定訳の使徒24章14節の「『派』と呼ぶ道」(新世界訳参照資料付き日本語)のみである。一方、apostasyは多数使用されている。
参考資料リスト
●ゲルハルト・フリードリヒ監修 NTD新約聖書註解 公同書簡
●ハーベスト・タイム・ミニストリーズ「#24ヨハネの手紙第二【60分でわかる新約聖書】」
https://www.youtube.com/watch?v=99-CdyMPIw4
●ハーベスト・タイム・ミニストリーズ「ヨハネの手紙第二・第三(2016年聖書フォーラムキャンプin大阪) 中川健一」
https://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/harvest-time/ヨハネの手紙第二・第三(2016年聖書フォーラムキャンプin大阪).pdf
●Wikipedia「仮現説」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%AE%E7%8F%BE%E8%AA%AC
●ポーネーティカ「古典ギリシャ語のあいさつのことば」
http://toxa.cocolog-nifty.com/phonetika/2007/05/khaire_d4fb.html
●12 The Case Study of the Elect Lady 2 John
https://jacobgerber.org/wp-content/uploads/2018/10/2-john-case-study-elect-lady.pdf
●Preach From The Housetops「How Should a Disfellowshipped Person Be Treated? Part 5」
(屋上から説教する「排斥された人はどのように扱われるべきですか? パート5」)
●四国大学紀要,A52:41-51,2019「新約聖書(第二ヨハネの手紙)を読む 蔵谷哲也」
https://core.ac.uk/download/288224535.pdf
●ロゴス・ミニストリーのホームページ「聖書の学び 新約 ヨハネの手紙第二「真理のうちに」」
https://www.logos-ministries.org/new_b/2jn.html
●人生が100倍楽しくなる、パスターまことの聖書通読一日一生5「第二ヨハネの手紙」
https://blog.goo.ne.jp/happy_well/e/baa72225021154ffa99dc10d6b1633da
●市川喜一 著作集「ヨハネ文書の成立3 第三章 長老ヨハネとその共同体」
https://www.tenryo.net/old/JohnIntr03.htm
●Wikipedia「ヨハネの手紙二」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E3%81%AE%E6%89%8B%E7%B4%99%E4%BA%8C