さすが天の兵車。
急旋回してきましたね。
あ、皮肉で言ってます。
ちょっと前に、元JWの人と「髭の次は輸血が解禁になるんじゃない?」なんてこと話していたんですが、輸血より忌避が先でした。
それもそのはず、忌避、特に未成年者に対する忌避が問題になり、ノルウェーでエホバの証人が補助金を受けられなくなったという確定判決が出ました。
金のことになるとコロッと教理を変えるんですね。
「人間より神に従う」というあの堅い信仰はどこへいったのやら。
寝起きではなこさんの記事見て、びっくりして一気に目が覚めました。
最初は、いやいやご冗談を…エプリルフールにはまだ早いですよと思ってしまいました。
すぐにベッドから出て公式サイトのJWブロードキャスティングを確認しました。
フル尺見たのは初めてです。
要点をまとめてくださってるのはきんたやさん。
時間がない方はこちらをどうぞ。
cats&dogsさんは全文書き起こしてくださってるので、詳しく検証したい方はこちら。
cats&dogsさんのツッコミは私も同じようなこと思いました。
全編見ての感想。
まず思ったのは、やっぱり謝らないんですね、この組織は。
「私たちの聖書理解が間違っていたために多くに人を誤った方向に導き、多くの人を傷つける結果となっていました。大いに悔やみ謝罪すべきです。」
って、口先だけでも言ってくれないんですね。
そこから初めて「私たちは皆さんに戻ってきてほしいと思っています」っていう言葉が言えるんじゃないでしょうか。
今こうやって‟光が増し加わりました”って理解が新しくされるのが仮にも神様のご意志だったとして、以前のやり方で苦しんだ人たちはどうなるんですか?
あの時、傷つき、痛めつけられ、放り出されたのは、神様のご意志だったんですか?
だって、当時は神様のご意志でそこまでしか知らされていなかったんですよね。
私だって死ぬほど苦しんだし、実際自ら命を絶つという選択をするまでに追い込まれた人たちもいるんですよ。
統治体、そしてその統治体に従うエホバの証人は、こういう人についてはどう思ってるんですか?
「この世代」がどうのこうという解釈の変更とは訳が違います。
人の人生を左右する変更なんです。
では、ツッコミ入れていきます。
「エフェソス会衆の人たちのことを念頭に置いていた可能性がある」
ってあくまで可能性の話じゃん。
しかも、自分たちで作ったスタディー版を根拠に言っています。
「長老たちが目指しているのはその人が心を入れ替えているかを判断して裁くことではありません。」
今までずっっっっっと、長老たちが「心を入れ替えているか=悔い改めているか」を判断して、「裁く=排斥の決定をする」をしてきたんですけどね。
それともなんですか、過去の排斥に対してもやり直しの裁判でもやってくれるんですか?
「ではバプテスマを受けた18歳未満の未成年者が重大な悪事に関わる場合はどうでしょうか。」
でたでた、未成年者の扱い。
今回の変更の本丸はここでしょう。
ノルウェーばかりか、世界各国で問題になってるのはこれです。
これで補助金失うどころか、裁判費用まで負担しないといけなくなったんですから、そら組織も必死です。
去年5月の「会衆へのお知らせ」もそうですが、世論や外圧に弱くなってきてますね。
顎ひげだってそうです。
もはや「事物の体制に合わせて形作られる」この組織。
「中には自分がなぜ排斥されたのかを覚えていない人もいるかもしれません。」
排斥理由を覚えていない人ってほんとにいますか?
あぁ、えん罪排斥のことですか。
そういう事例があることを認めましたね。
「4月24日日曜日に記念式を祝うことになっています。1年で一番大切な集会を控えた今この調整がなされるというのは本当にいいタイミングだと思いませんか。」
いや、記念式の出席者増やしたいだけでしょ。
「でも統治体は会衆から除かれた人が集会に来たとき、簡単なあいさつをしたり、歓迎したりするかどうかは伝道者それぞれが聖書の教えによって整えられた良心に沿って決定できると判断しました。」
「良心に沿って決定」。
玉虫色の言葉です。
この言葉でローカルルールが出来上がるんです。
厳しい長老やお局姉妹がいるところは絶対無視が続きます。
「もちろん長く会話したり、交友を持ったりすることはしません。」
その判断基準は?
5分だったらOKなんですか?
じゃあ6分は?
カフェでたまたま一緒になってコーヒー飲むのは「交友」ですか?
そうやって線引きをいちいち考えないといけないきまりなんて作らなきゃいいのに。
「統治体はこの聖句の文脈を調べてよく考えました。そして使徒ヨハネがここで言っているのは、背教者や悪いことを奨励する人のことだと結論しました。」
これ、ずーっと前から言われてませんでした?
しかも、ものみの塔が‟背教者”とか‟大いなるバビロン”ってレッテル貼りしてる人たちが指摘してましたよ。
私もまだ調査の途中でしたが、これ、王国行間逐語訳見てギリシャ語本文ではどうなってるかとか、他の訳はどうなってるかとか調べてました。
統治体はやっと理解できましたか。
聖霊の導きはどっちに注がれてるんでしょうね。
「統治体は姉妹たちが伝道するとき、あるいはクリスチャンの集会や大会に出席するときスラックスを着用してもよいと判断しました。」
「さらに兄弟たちは伝道するとき、あるいはクリスチャンの集会や大会に出席するとき、ネクタイやジャケットを着用しないことにしても構いません。」
パンツスタイル、ノーネクタイ解禁ですね。
日本で「クールビズ」って言われ出したとき、当時現役だったんですが思ってました。
夏の野外奉仕ではネクタイしなくていいんじゃない?って。
だって官公庁でしてないし、しかも地域性を生かしてアロハシャツのとこだってありましたよ。
てか、そもそもこういう会社の服務規定とか就業規則に載ってるようなことをなんで統治体が決めてるんですか?
なんで統治体の判断で禁止とか解禁とかされるんですか?
聖書的根拠あります?
あとは実際の会衆内でどういう運用がなされるかですね。
表と裏を使い分けるのはこの組織の常ですから。
長老の教科書がどう改訂されるか気になります。
私はエホバの証人ではないので、エホバの証人の教理との接点は忌避だけです。
この忌避が緩和されるとなると、これから自分はどうするか考える必要がありそうです。
正直言うと「いよいよ終わりは近い。だから1人でも多くの人が戻ってきて救われるように、今こういう調整があったのだ」と一瞬思ってしまいました。
うちの母はきっとそう言うでしょう。
またエホバの証人になりたいかというと、別に魅力は感じません。
本音と建前をうまく使い分けて、ゆる~くやれるのならいいのかな程度に思います。
どっちにしても組織に戻ってきてほしいのなら、まずは自分たちの聖書理解が間違ってたことを正直に認めて、たくさんの人を傷つける結果になったことを誠実に謝ってほしいです。
これは半分冗談で半分本気ですが、排斥者にも聖書レッスンなるものをしてくれるようで、この際受けてみようかとふと思いました。
誕生日のこと、国旗掲揚のこと、国歌・校歌のこと、学校の選挙のこと、乾杯のこと、血液分画のこと…。
納得のいく答えをくれるのでしょうか。
というかその前に、今の私の立場は排斥者というより背教者に近いのかもしれません。
背教者判定下されたらアウトでしょうね。